後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2014年11月29日土曜日

台湾です

明日から333㎞のマラソンです。
武内さんも走ります。

ネット接続が悪く記事を読み込めません。タイ旅行の更新遅れます。
お待たせして申し訳ありません。

ゼッケン番号たまたま53だったので、6と2を足して6532ロッコーミーツにしました。
がんばります。



2014年11月28日金曜日

番外編 みさとちゃんのウェルカムボードと動画

いとこのみさとちゃんが結婚しました!
おめでとうございます!

ハッピーウェディング動画
http://youtu.be/v2bIyn0XXtE


ウェルカムボードをつくりました。

みさとちゃん

かずおみさん

撮影するとき大変だったのは、白い背景を家の中に探すことです。

写真を現像してざっくり切り抜きます。

文字は、手でかたちづくりました。

自信作だったのに親戚に気持ち悪いと言われて、率直に自分はウェディングボードには向いてないと思った。
これすごいハイセンスだと思ってるから…。

わたしは好きです。変かな。変かも。

ウェルカムボードの前で口論する父と姉。
原因は父のご祝儀の封筒の紐がちょうちょ結びだったからです。本当は結婚の時は結びきりという水引にしなくてはいけないのに父がそれを知らなかったため「常識がない」と言って姉に猛烈に怒られているところ。

結婚式はすばらしかったです。

わたしはご主人の一臣さんを写真でしか見たことがなかったので、ご本人と似顔絵とが似ていますように! と緊張しながら出席しました。イケメンでした。ずっと絵と同じしわしわの顔をしていてほしかったです。


しわしわになれ!

みさとちゃんは小さいときから仲よくしてくれる、あこがれのいとこでした。
お正月はいとこのみんなと遊べることが何よりうれしかった。
明るくてバレーが上手で、すごいなあと思っていました。
わたしは母親の教育方針でいつも変な手作りの服を着せられていたのですが、たまにみさとちゃんのお下がりの服をもらえると本当〜にうれしくて、市販の服だ市販の服だ! と宝物にしていました。みさとちゃんの服を着ている時だけ自信があった。そういうのみさとちゃん知らないんだろうなあ。
回想にふけっていると、何度も天を仰ぐ父の様子を見た姉が「雪辱を果たそうとしているようだ」とバカにしていて、ちがうよ! 涙をこらえる感動的な場面じゃん! おねえちゃんそういうおもしろいこと言うならわたしは自分の発言としてそれブログに書いたりするよ! 心の中で思いました。
それから美しく剥かれたカニに感心して、すごいカニカマだねと興奮すると、なんで結婚式にカニカマが出るんだと言って姉にまた笑われた。常識がなくてかなしい。
父は次々流れるビデオ演出に釘付けで、「武内さんの動画を見てすごいと思っていたけど今はだれでも編集したりできるんだねえ」と、内容よりもむしろ文明そのものに痛み入っていました。何時代から来た人なんだろうと思いました。結婚式でタイムトラベルまでできるとはお得なことでした。

控え室では、談笑する皆の輪に入ることなく父が片隅でじっと体育座りをしており、体育座りって…。社会性があまりにもなかった。自分の自閉傾向の源流はこれだと思いました。DNAに危機感を持ちました。

みさとちゃん本当におめでとうございます!
みさとちゃんと同じ血だと思うと希望が持てますありがとう。
みさとちゃんと一臣さんとは高校の同級生なんですって。
うらやましすぎて何の感想も持てません。
いつまでもお幸せに!!

2014年11月27日木曜日

関さんです/六甲最終日

六甲ミーツアートの最終日が終わりました。

この「後頭部ビジネス」は旅自体も旅のご報告自体もまだまだ途中なので気を抜いている場合じゃないのですが、撤去を終えた後、すこーんと虚脱感に見舞われました。

最後の日、今年六甲に滞在されていた作家の三宅さんとお話しました。三宅さんは開幕時と比べるとひげもじゃの頬が明らかにこけて、憔悴されている様子でした。

滞在つらかったでしょうー!! 

駆け寄りそうになりました。
おいたわしい……。
心底案じてはいるのですが、同じ辛さを共有できたことへのよろこびがゼロだったかというと嘘になります。自分も昨年滞在していた者として、大作家に先輩風吹かせてきました。いい気分でした。
滞在きついあるある》で盛り上がり、理解者ヅラして三宅さんの心の闇をにこにこ覗いていると、「若木さんは元気そうだね。開幕の時はものすごく落ちていたのにね」と言われて、何のことだろう。だれと間違われているのかなと思いました。
それから少しして、そうだそうだ当時は夏の制作道場が終わったばかりで三宅さんの前で泣いたりしてしまったんだった! と思い出し、それをあっけらかんと人違い扱いした自分の忘れっぽさを頼もしく感じました。なんなら三宅さんも泣いてくれないかなと思いましたが、「先週泣いたから今は泣かない」とのこと。
我々の行き着いた結論は「みのむしの人すごい(六甲滞在の歴史をつくった初代大賞受賞者)」で、わたしはなんとなく敗北者のような気持ちで六甲とお別れしました。

六甲ミーツアートがあったから生まれた「後頭部ビジネス」でした。
自分で思っていたよりもずっと、六甲のことを考えていた2カ月半だったんだなあと思います。

よっしゃー解放された! オラオラオラ!! と、ぐっと背もたれにもたれかかったら、背もたれが壊れて自分だけ後ろにばたんと倒れてしまったようなそんな心もとない気持ちです。

日記の更新が遅くなりました。
書いては消し書いては消しというジャコメッティみたいなことをしていたら文が進まず、「喪失感があるということはがんばっていた証拠だよ」みたいな、やさしい人が言ってくれそうな甘やかしのもと、ブログから逃避していました。
ジャコメッティを引き合いに出すとかいうおこがましいことをして自分の首を絞めてしまいましたが、書きます!


最終日の六甲には京都から走って行きました。
後頭部には、昨年からずっと担当してくださっている関さんの顔を描かせていただきました!




似てるけど、別物……。
本物から活力を引いて気色悪さを足したような顔になりました。
肌色が原因なのではと思って何パターンも補正。
やさしい暖色で明るくしてごまかしています。

京都駅で記念撮影。
駅は観光客でいっぱいです。
わたしわたしー。住んでる住んでるー。と思って優越感。
顔色はごまかせない……。
心の目で補正してください。


武内さんと別れて、夕方出発しました。
たぶん真面目に走ったら六甲まで8時間くらいで着くと思うのですが、寄り道をしながらだらだら走っているのでなかなか行程が減りません。




眠い。
なくなりそうな充電を気にしながら朝を迎えました。

六甲ケーブル駅の右手に、山上までのハイキングコースがあります。
ハイカーの方が何組かいらっしゃったのですが、後頭部の顔で驚かせたくないと思うとなかなか抜けず、かと言って休むと体が冷えてしまいます。ペース配分が難しかったです。

この階段を上りきると山上駅です。
植物園はここからさらに2kmほど上ったところ。
行って、何をすると具体的な内容を決めていなかったので、もっと遅く着いたらよかったなあと後悔しながら歩きました。

結局、関さんからお電話をいただくまで山荘でぐずぐずやっていたのですが、その時山荘でお会いした三宅さんの弱りっぷりにお力をいただいて、やる気が出ました。

植物園に着くと思いがけず、関さんはじめスタッフのみなさまが「おかえりなさい!」と迎えてくださって感激。がんばらなくてもいいや、と少し思っていたことを反省しました。




関さんそっくり! とみんなに後頭部を笑ってもらえたこともうれしかったし、関さんご本人も「自分はもっとかわいい」という当然の感想を言わずにむしろ後頭部の顔に表情を寄せてきてくれて、プロ彼女ならぬ《プロ後頭部》と命名したくなりました。
最高にありがたいモデルでした。


関さんの衣類をお借りして全身モデルになりきる初の試みも。
いい匂いの洋服に汗の匂いをプラスしました。


六甲の初日に来てくださった方がこの最終日にも顔をみせてくださったり、以前ご一緒した作家の方がお越しくださったり、会いたい人に会えてわたしはとても幸せでした。
去年の風船のことを覚えていてくださるお客さんもたくさんいて、感無量です。
わたしは特別なことを何もせずただ後頭部を晒していただけだったのですが、『自分が居る』ことのパワーというか…自分さえ居れば他のすべてのことをごまかせるから、滞在がつらいのは当たり前だがそれ相応の効果はやはりあると思いました。

植物園まで来てよかった、よろこんでもらえてよかったです。


夕方になると植物園は恐ろしく冷え込み、後頭部を中心にわたしは凍えました。
朝と比べて後頭部の顔色がどんどんずず黒くなってきている、と関さんが教えてくれました。
今までそんなに高速で変色したことはなかったように思います。寒いと皮膚を守ろうとして発毛のスピードが速まるのではないか?   反論を予期しての仮定だったのですが、だれにも否定されませんでした。
「樹木になる」という当初のコンセプトはほとんど浸透しませんでした(自分も忘れていた)が、後頭部の関さんパワーで、環境に適応する樹木的生命力をお見せすることはできたと思います。




映像制作者の武内明子さんはこの日は来られませんでした。
お客さんに「映像もみたで〜。おもろかったで〜。なかなか飽きひん映像ってないよなあ。」と誉められると、いやいやそれほどでも、と謙遜しそうになりましたが、別に身内じゃないから受け入れていいのか? 

最終日をともにしてくださった関さん、作品をご覧になってくださったみなさん、スタッフのみなさま、お世話になりました。
本当にありがとうございました!

ワカキ撮り計画のふたりを今後ともよろしくお願い致します。

2014年11月24日月曜日

昨日今日明日

昨日、京都芸大の版画専攻三回生のグループ展(という授業)、《クローゼット》のゲストトークに行ってきました。

トークは午後一時から。
トークがはじまる直前の朝の、山下さんとの会話です(緑の吹き出しがわたしの発言)。
このあと武内さんも「くるみ頑張れ!」と会話に加わってこの件は終わりました。

わたしは録音する気など全くありませんでした。聞きたいなら来れば、と思いました。聞かせねえよと思っていました。

そしたら、だれが来たと思いますか。

武内さんが、来ました……。

昨夜ロシアから成田に着いて、武内さんは東京の自宅へ帰宅、わたしは夜行バスで京都へ帰ったのです。
「本当にありがとう!  また!」
とか言って。
まさか。
まさか来るなんて思ってもみませんでした。
ちなみに会場は京都駅近くではありません。バスを2本乗り継いで坂道を歩かねばならない、ほとんど民家のような土蔵が舞台です。

トークが始まって少ししてから遅れて入場してきた方がいて、目でご挨拶しようと思ったら何かただごとじゃない雰囲気で、けれども武内さんが来るとは全く考えてもみなかったわたしは事態をちょっと飲み込めず、観客の皆さんといっしょに呆気にとられるばかりでした。

なんでこの人、目にいっぱい涙を溜めてんだ?  ていうか泣いてる!  こわいんだけど!!
センセーショナルな登場でした。

それからさらに驚くべきお客さんがあって、後頭部ビジネスの北京旅行1日目に似顔絵を描いた、ゆうきくんご一家が来てくれたのでした。
わたしたちはゆうきくんの顔写真しか知らなかったので、ゆうきくんが動いている!  ゆうきくんから音声が出ている!  生ゆうきだ生ゆうきだ!  3Dだ!!  と大騒ぎでした。

質問タイムに、ゆうきくんが、気になっていることがあると言います。
お母さんがそれを慌てて止めていて、あちゃー、性格批判されるのかなあ、でも心の準備はできているのでなんでもどんと来いですよ!!  と思って超身構えたら、なんのことはないお金の話でした。
「旅行いっぱい行ってずいぶんリッチなんだね」
なあんだ、そんなことか、です。
ほっとしました。

「北京は父親主催の《武内さんへのギフト旅行》なのでお金はかからなかった、タイはホテル込み燃油込みでひとり4万の格安チケットがとれた、ロシアも血なまこになって航空券を探してひとり7万弱、ギリシャはもともと行く気で貯金をしていたけど、それも10万以下の航空券を探せました。海外へ行ったからと言って贅沢をするわけではないので、今のところ六甲や福山や札幌のギャラでまかなえています。ただし旅行は年内で一旦終わる予定です。」

ここまで内情をつまびらかにしなくとも良かったのでしょうが、リアリティを優先させてがんがん数字を出してゆうきくんを圧倒しました。

ゆうきくんがかわいかった!  その上かしこかった!  会えてうれしかったです。ありがとうございます!

三回生からは、武内さんに向けて「なぜ若木さんに協力してあげているんですか?  なぜいっしょにやっているんですか」という問いがありました。

「…たのしいから。」
武内さんが首をかしげて頭悪そうに答えていたけど、わたしはそれだけじゃないと思った。たのしいからだけでこんなことできない。

「武内明子が来た!!」
トークの終わった夜、興奮して共通の知人にメールをしたら「お前ら友情が美しいな」と返ってきて(皮肉かな)、わたしはそうだろうそうだろうと得意に思いました。
それから、ひらめいて、武内さんは、わたしたちは、《「美しい友情」という作品》をつくろうとしているのではないか。そう感じたのでした。

いい作品をつくりたい、いい展示にしたい。

ふたりの関係性がひとつの《作品》であり、旅行やイベントの数々は《展示》に当たるのではないか。
もっといい作品、もっといい展示。
口にはしなくとも、たぶん、互いの覚悟のもとに成り立っている《美しい友情》なんだと思います。
武内さんがプロデューサーで、わたしが演者かな?
課題、美しい友情。

武内プロデューサーからは、肝心のトークには「知ってるエピソードばっかりだった」という耳の痛い判定を受け、「でも学生には刺激的だったと思うよ。」となぐさめてもくれたのですが、わたしはやばい新作つくらなきゃと思いました。
新作できるまでトークにはもう来なくていいよ!!

三回生の皆さんはとても立派な学生でいらっしゃいました。
わたしは自分のズタズタな制作態度に悪い影響を受けないでほしいなあと思った。
これでいいと思ったら大間違いです!  わたしは奇跡の作家(無能という点において)なだけです。
しっかりしているみんなは自力で、そのまますくすく版画をやればいいと思います。そして、成功したあかつきにはわたしに何か、こまい仕事を与えてほしいです。なんでもやりまーす!

トーク後の談笑風景。

母校の後輩に呼ばれることがこんなにうれしいこととは思いませんでした。うれしいと思えたこともよろこばしいことでした。
自分のことなのですが、自分の親のような気持ちというか…。
これから活躍して、皆さんに誇りに思ってもらえるようになりたいです。
三回生の皆さんありがとうございました!

東京に帰る武内さん。
ありがとうございました。

わたしはミーツアート最終日に六甲山に着くよう、いま京都から走って向かっているところです。
現在まだ高槻らへん。
先は長いです(すっぽかしたい)。

後頭部には、六甲ミーツアートで担当してくださっている関さんの顔を描いています。


それと、同じく旅券を買ってくださった六甲ミーツアート総合プロデューサーの坂本さんもタイにお連れしたのですが、日記がミーツアートの会期中に追いつかなかった…。
すみません!  写真だけ一枚アップしておきます、ごめんなさい!  一週間以内を目標にアップします!  ごめんなさいー!!

(坂本さんは象に乗りました)