後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2015年12月31日木曜日

大会前夜

体は休めていたいけれど、やることがないとプレッシャーに精神が蝕まれます。
胸騒ぎを沈めたくて暇つぶし。

ゼッケンの両サイドに、日の丸と大会マークを描き加えました。


ウェアの右袖には、チェックポイントや各関門の制限時間。

左袖には標高グラフ。


グラフを集中して模写していると、膨れ上がっていた不安も落ち着き、さらに出来映えが良かったためにまだ走ってもないのに充分な満足感が…。

暇なん? と聞かれると、だから暇つぶしって言ったじゃないですか。

けれども、地図などの紙媒体を持って走ると、汗や雨に濡れてボロボロになってしまう恐れがあるので、ウェアに直接書き込むのは実際おすすめです。
荷物も減るしね。
素肌に油性マジックだと擦れて消えてしまいがちですが、布だとその点も安心です。

ゼッケンやウェアに小細工すると、あとはすることがなくなってしまいました。
万全と呼ぶべき状態。
しかし、いつもギリギリまで準備を先延ばしにしてドタバタやっているわたしには、余裕のある今の状態がどうも居心地悪くって…。
「安心」がこえぇんだ。
不安依存でした。

布団に入って、ネットで過去のスパルタ完走記をおさらいしているうち、まぶたが重たくなってきました。
外はまだ明るいけれど、時刻は18時。
ホテルのレストランの夕飯時間は20時〜21時です。
翌朝のスタートのことを考えると本当はすぐにも就寝して良いくらいなのですが、例年わたしは緊張で不眠に陥っています。
そのため、遅めの時間になるけどちゃんと夕飯食べよう、おなかいーっぱいにしたら眠れるかもしれないから、というのが作戦でした。

「あきちゃん、眠くなってきた。」
「ほんと? じゃあちょっと寝る? 20時に起こすよ」
「ありがとー。」

すぴー。

……………。

「くるちゃんごめん! やばい寝過ごした」

武内さんの抑えた声を現実のこととは思えずに、またまた〜。じょうだ〜ん。と、幸せな感覚を伴ってわたしは明るく武内さんの顔を見ました。
顔を見たらすぐに、冗談じゃないことがわかった。

オワタ……。

もうスタートバスが行っちゃったと、わたしのスパルタはこんな形で終わりを告げたかと思うと無感情で、
「今何時…」
と不気味に静かな声を出すと、
「21時2分。」
でした。

な、ん、だ、よ!!
もう朝かと思ったよ!!
ざけんな!!

まだスタートじゃなかったんだ! やり直せるんだ!! 
そう思うと、安堵と同時に激しい怒りがこみ上げてきて、
「はあ!? てめえが起こすっつったんだろ!」
ひどい捨て台詞を吐いてわたしは階段を駆け下りました。
あきちゃんのバカわたしのバカ! 予定狂った!!

とはいえギリシャはルーズさには定評があるし、21時2分でしょ? まだ開いてるよね、と確信していたレストランはこんな時だけきっちり閉まっていて、それでも駆けてきた勢いを止められずドアに体当たりしたら開きました。

給仕さんが、翌朝のテーブルセットをしています。
リュックの中に機内食のパンがあるし、そもそもおなか空いてないや、このまま帰ろうと思いましたが目が合ってしまいました。

あー…。
あの…、アイムソーリー…。遅れました……。

給仕さんは眉をひそめながらも端の小さなテーブルにわたしを案内し、お水をついでくださいました。
気まずく体を縮めて食べるハンバーグは味がせず、そそくさと席を立ったところでギイッと音がしてドアが開き、のぞいたのは間抜けな顔した武内明子です。

給仕の人怒ってるよ!

武内さんもわたしと同じように「まだレストラン営業してるはず」と思っていたに違いなく、超感じ悪い前情報を与えてわたしは武内さんを置き去りにし、部屋へと戻りました。

よく考えれば、18時〜21時まで、まとまって3時間も寝られたのです。
既に去年の大会前夜の総睡眠時間を超えています。
あんなにきつく当たることなかった、っていうかほんとはただただあきちゃんありがとうだよな…。
悔いて詫びる意志が固まりかけたところで、武内さんがしおれて帰ってきました。

くるちゃんほんとにごめんなさい……。

先に謝られてしまいました。
そしたらなんか、なんでか、変になっちゃったパワーバランスを軌道修正できず、わたしは謝るどころかかえって増長して、なおもつんけんしちゃったんですよ。
あ〜あ、寝れねーなーって雰囲気をビンビンに醸し出して、まだ起きてるってアピールするために咳払いしたりして……。
ガキかよ。

安心がこわいとか言ってたら、本当にドタバタが訪れていることが皮肉でした。
もう不安を待ち望んだりしません。

そして日中の大会説明会で社長ランナーの方が配布してくださった睡眠サプリをありがたく飲んだら、粉末に思いっきりむせてますます眠れなくなり、慣れないことはしないほうがいいのかもしれません。
睡眠サプリには副作用がないと書いてあるけれど副作用がなければ効き目もないのでは…?
宗教も薬も、信じていない者に恩恵はもたらされないと思いました。
服薬の備考欄に、「性格良い人のみに効能あり」って書いておいてほしかったです。

それでもその後寝付けたのは、すべて睡眠サプリのおかげですありがとうございます。

リラックスナイト、激推しだよ♡

大会前日

大会前日は、とにかく休養に徹したいです。

それでも、少しでもギリシャの暑さに慣れておきたい焦りは濃く、日差しの中に飛び込んで、浜辺に横たわることにしました。
休養と暑気順応との両方を望みます。

手指の股にサラサラ砂をこぼしながら、武内さんと、ぽつりぽつり、会話をしました。

「どうなの? 調子。」
「うん。」
「いけそう?」
「いける。」

視線は交わしません。

「あきちゃんはどうなの」
「あきちゃんは楽しむよ。」

武内さんは日焼けしないよう、大きなゴミ箱の陰にこじんまりと隠れています。

これがラストチャンスであることを、ふたりともわかっていました。
とか言って去年もラストチャンスって言ってたっけ?
今年が、泣きのワンチャンス。
この一回、完走できてもできなくても、これが最後の挑戦です。

練習はしました。
悔いはありません。

「あきちゃんわたしさ、わたし以外のだれが完走するんだって気でいるよ。もしさ、リタイアだったにしてもさ、練習不足の脚でリタイアするより、練習し過ぎの脚でリタイアしたいって思ったんだ。でさ、ほんとに、一生懸命になれたからさ、だからよかったって思ってるよ。もちろんリタイアしたらすごく寂しいとは思うけど、またこうしてチャレンジできて満足だよ。後悔、しないんだ。」

突然べらべら話し始めたわたしの早口を、武内さんの帽子の広いつばが受け止めます。

「……っていうのが公式のコメントね。『後悔しない』っつって、爽やかにね。だけどほんとは、全然そんなすっきり整理できる気がしないよ! これだけやってリタイアって、ちょっとどうなるかわからない。思い返せばもっと、ああすればよかったこうすればよかったって後悔も反省もいっぱいあるし、うおおおお! わたしはもう既に猛烈に悔しいよ。今のこの生殺しの状態が地獄だよ! 早くやっつけちゃいたいし、来年また来たいよ!!」

砂にめりこんだ両の手のひらから、いやな汗がしみ出すようでした。
明日まで何時間?
スタートまであと何時間、この気持ちを抱えて待つの?

「くるちゃん、帰ろっか。」
武内さんがにっこり笑って、砂の中から手を引き上げてくれました。
わたしは自閉症の子どもみたいに嗚咽しながら激しく体を揺らして、波が落ち着くのを待った。

武内さんの包容力に依存しきっている自分の醜態は、だけどなんとなくなつかしくて、胃もたれしそうなやさしさの正体は母親の甘やかな影でした。


痩せたわ。

去年の反省をふまえ、今年、完走への鍵はまず痩せることに据えました。

ダイエット方法はシンプルです。
走りまくって、あまり食べない。

意志の弱さには自信があるので、外出時にお財布を持つのをやめました。
ポケットに小銭があると、走っている最中も自販機の甘い飲み物に目を奪われたりして集中できないから、喉が乾くと公園の水を飲みました。

はじめは脱水に苦しみましたが、そういうものだと乾きを説き伏せていると案外体は慣れるもので、20kmくらいなら夏でも給水無しで保つようになりました。
でもそれ以降はだめだ。
我慢しすぎるとどんなに水を飲んでも、以降乾き続ける事態になるから、ロングの時は限界を迎える前に給水したいです。

街の至るところにあるコンビニやスーパーは、闇市だと思うことにしました。
戦時中や、北朝鮮みたいな。
あるけど、ないんだ。あれはわたしには手の届かない高値で売買されている、密売品なんだ……。

手に入らないのなら、諦めるしかありません。
誘惑されなくなると通勤ランもはかどります。

スパルタスロン前の、夏の間の一ヶ月半、岡本太郎美術館で展示をさせていただいていました。
美術館で、車輪の中で走る、そういう展示。
それのどこが美術なんだというご指摘は正しいですよ。
うるせえ、わたしゃスパルタスロンの練習がしたいんだよ!

朝9時半から17時まで、開館時間中はほぼずっと走って車輪を回していました。

ここにいたよー

万歩計の平均歩数はだいたい1日5万歩です。
1万歩で、約7km。
館内で毎日約35km稼いでいます。
それから、中野←→向ヶ丘遊園の通勤ランの往復が38kmなので、合わせて70km?

一日、70km。
今だから軽い調子をよそおっていますが、きつくないわけないです。
朝6時半から夜8時まで、動き続けているわけです。
ずーっとひもじくて、ずーっと疲れていて、頭の中は食べ物のことばかり。
けれどもそうやって毎日疲れきっていると、家で暇でぶくぶく太っていた日々のように鬱めいた症状は起こりようもなくて、なんか……。
あの人もあの人も、有酸素運動が足りないだけじゃない?
強くなるということは、思いやりをなくすということでもあります。

休館日の月曜はランはお休みしてプールに行っていました。
プールのあとは友人が滋養のつく手料理をふるまってくれて、一週間分の栄養補助食品を持たせてくれたり、とにかく至れり尽くせり、ありとあらゆる周囲の協力のもとに、9月までにやっと15kg落とせました。

痩せたら暑さにも強くなった。
こんだけ走りゃあ完走できんだろと思った。

少なく見積もって、月間走行距離、1400km。
かたぎの人には到底できない練習メニューだけど、かたぎじゃない道を好んだのはわたしだし、そしてそれはそれなりに、いばらの道でもあるからな。

鼻高々で京都に帰ったら姉に、
「あんた……痩せていい気になってるところ本当に申し訳ないんだけど滅茶苦茶老けたね。」
と言われて、一瞬で鼻がへし折られました。
ちなみに姉は細くて巨乳で京大卒で専業主婦で、言わば人生無双! 顔以外はな! 顔のみ、わたしと同じ血だよ! ハハハハハ!!

現在のわたしの体重だよ。
ザ•リバウンド!(それでいて若返ってはいません)


※ささやかな抵抗ですが、これはあくまで冬の着衣での数値だということをお忘れなきよう……。

嘘にしたくない

今年はスパルタスロン以外の大会にエントリーしていなかったので、ギリシャでは久しぶりに顔を合わせるランナーの方が多くいて、お世話になった皆さんに再会できるのはうれしいものでした。
あれ? 痩せたね! 今年はひと味違うね!
なんて言われて、デレデレよろこんだりして……。

あ!
大島さん!
お久しぶりです!

バイキング会場でサラダをお皿によそいながら、はしゃいでご挨拶したら「大島じゃないけどね…。」と薄く微笑まれて、合ってたの前半の「大」だけでした。
時間よ巻き戻れ……。

普段ランニングコミュニティにいないせいで予習復習の機会が少なく(いいわけ)、人の名前がどうも記憶に定着していないようでした。
その他同種のしくじりを立て続けに犯してしまい、もう不用意に名前を叫ぶのはやめようと思いました。
ケアレスミス、ケアレスミス…。

兜の緒を締め直したところで、またしてもしばらくぶりの方と階段でばったり。
どうしよう、以前よくしていただいたお礼をきちんと言いたいのだけれど、名前の漢字はわかっているけど読み方があやふやです。

「〜〜〜さん…?」
口を中途半端に開いてもやもやっと発音すると、外国の名前みたいになりました。
階段の下段にいたわたしは、〜〜〜さんを見上げるかたちになり、ついすがるような上目遣いで口ごもってしまったのですが、
「よう来たな。絶対、完走しよな。」

〜〜〜さんはわたしが去年リタイアしたことも知っていて、やさしい笑みをたたえて様々なアドバイスをくださいました。
また会えたうれしさと、レース本番が刻一刻と近づいている緊張とで、鼓動がドクドク鳴っています。
全力を尽くすお約束をしてお礼を申し上げると、彼はしなやかな身のこなしで上階へと駆け上がって行かれました。

ぽわーんと、いつまでもほうけたように見送るわたしの隣で、じっと押し黙っていた武内さんがその時、低い声色でこう言ったのでした。
「あの人リタイアして、くるちゃん完走するよ。」

ちょっと!?
何言ってんのさ!
あの人、すごいランナーなんだから!
スパルタだって何回も完走してるし、すごい実力者でしょや!
何も知らないくせに適当なこと言わないでよ!!

思わず北海道弁が飛び出るほどわたしは動揺して、けっこう本気で武内さんに怒った。
なんでそういうこと言うの? みんなで完走したいじゃん……。

武内さんは、「そっか、ごめん。」とすぐに翻して、「なんか、構図と光かなあ〜? なんかさ、あの人が上に立って、上から物言ってる感じとか、逆光で昏いのとか、なんか、そう見えちゃってね。ごめんごめん。」
そう言ってのほほんと補足してきましたが、黙れ芸術家。とわたしは思いました。

それまでわたしたちは、極力、完走できるのできないのという話を避けていました。
核心に触れたくなかった。
お互い明言を避けて、臆病だけど大切に、大切に育ててきた「完走」の決意でした。

初夏、友人たちで集まって、だれかが持っていたタロット占いをしたことがあります。
職場の行く末や、姑の寿命を占う友人たちを横目に、わたしはイエス/ノーカードを使って、「痩せますか!」と詰問しました。

うぉっしゃあああ! 出た!! イエス!!! 痩、せ、ます!!!!!

「完走できますか」とは、とてもじゃないけど聞けませんでした。
別に占いなんて信じているわけじゃないのに、それでも「ノー」でも出ようものなら立ち直れないと思ったから。

わたしにとっての「完走」の二文字の重みを武内さんはよくわかってくれていると思っていたのに、構図だとか光だとか、そんな抽象的なイメージでぶち壊されたことが腹立たしくて、やめてよ嘘になっちゃうよと思いました。

『あの人リタイアして、くるちゃん完走するよ。』

〜〜〜さんがリタイアするわけないし、そしたら、くるちゃんが完走するのも嘘になっちゃうじゃん。
あきちゃん。
わたし完走したい。
嘘にしたくないよ。

べっとり疲れて、その日は眠りにつきました。




2015年12月30日水曜日

アニータ現る

健康診断書を提出して代わりにゼッケンを渡される大会受付には、時間をずらして行ったのに長い行列が出来ていました。
ギリシャおなじみのいい加減スケジュールで、遅れて受付が始まったそうです。

手続きが終わり、ソファに腰掛けていると、メガネの快活な女性に話しかけられました。

「エクスキューズミー? あなたたち去年もいたわよね? 後頭部のね?」
「サンキュー、あなたも走っていたんですか?」
「ノー。わたしはハズバンドの応援なのよ。」
「グッド。こちらも友人アキコが応援に来てくれています。」
「カーがあるの?」
「バスです。アンドユー?」
「カーよ。バスだと80kmまでしか応援できないでしょう?」
「イエス。寂しいです。(まさか? という期待の気持ち)」
「80km以降は、わたしの車にお乗りなさいな」
「(キターーー)!!しかしペースが違います。あなたのハズバンドのフィニッシュタイムは?」
「アバウト34時間ハーフよ。」
「オウ…、わたしは去年160kmでタイムアウトしているし、今年もギリギリ、36時間かと…。」
「ノープロブレム、それはその時考えましょう。」
「レアリー? ワッチュアネーム?」
「アニータよ。」
「アニータ! ナイスチューミーチュー! あなたのご親切に感謝します! サンキューフォーユアカインドネス!!」

固く握手を交わしました。

大会が出してくれる応援バス(兼リタイアバス)は、80km地点までのわずか3箇所にしか停まりません。
80km〜246kmのまだ3分の2も残されている道程を、応援の奥様方はホテルで、ネット速報が更新されるのをじりじり待つしかないのだと聞きました。

去年と同じことやっても仕方ないからね。という話はふたりでこれまでも何度かしていて、レンタカーを借りるという案も実現こそしませんでしたが話題に上ってはいたのでした。
力不足で立ち消えになっていた80km以降の課題が、アニータの申し出によっていきなり解決に向かいました。

よっぽど用事がない限り、人々の集まる空間をなるべく避けていた我々が、どういうつもりでいたずらにそこでボーッとしていたのか思い出せませんが、「座ってるといいことあるね」と言い合ったそうです。あほっぽいな。

せっかくギリシャまで来たんだから、あきちゃんにもあたらしいワクワクがありますように。退屈してほしくないな。わたしの成績の如何にかかわらず、目一杯楽しんでほしいな。
願いが不意に届いてしまったようで、ドギマギしながらも、差し伸べられた善意の手を無我夢中で握り返しました。



わたしの後頭部

短い熟睡の後にアラームで起床。
武内さんを起こしました。
朝が苦手なはずの武内さんが一発で起きたので、どうしたの?  と戸惑うと、わたしの殺気を感じて寝過ごせなかったそうです。
ギリシャの朝食バイキングを、わたしは心底楽しみにしていたのでした。
オレンジジュース!  フルーツポンチ!  デニッシュ!  パウンドケーキ!
あ、ま、い!

胃にたらふく詰め込むと満足して、光を浴びに外へ出てみました。

日本にいると定期的に人見知りを発症してつい挙動不審になってしまうわたしですが、外国ではスイッチが入るのか、陽気なマインドを保っていられます。
外弁慶。

明るい気持ちで自動ドアの向こうに駆け出したら、機材を背負ったカメラクルーっぽい方がふたり陽光の中で談笑されていて、カチッと目が合いました。
「ワオ! お前! ウェルカム!」
回り込んで後頭部を確認され、今年はうしろの顔がないとわかると、
「オーマイガッ! ホワッツハプン!?」
何が起こったんだと大げさに嘆かれました。

えへへー?
覚えてくれているなんてすごいな。
わたしはわたしで予想外の反応に目を丸くして、次の瞬間口からこぼれ落ちた言葉は、
「完走したら後頭部やるよ!」
でした。
我ながら、思いがけないことでした。

去年は後頭部ビジネスをしながらリタイアしてしまい、ふがいなさに震えました。
今年は走るの一本に絞って、観光もしないつもりです。とにかく完走、ただただ完走することだけを考えてギリシャに来ました。

当時リタイアに落ち込み続けていたわたしを、友人が見かねて諭してくれました。
「くるみちゃんさ、大罪を犯してしまったかのように思い詰めてるけどさ、別にみんな、だれもそんな責めてる人いないと思うよ。みんなもっと普通にあたたかく応援してたと思うよ。」
そうなの……? みんな、侮蔑してるか嘲笑してるかじゃないの?

自分が性格悪いせいで、他の人も自分と同じように意地悪なんだと思い込んでいました。
良くない。
良くない発想でした。

ここに来てなお、リタイア罪を引きずって肩身の狭い思いでいたわたしに、「おいおい後頭部はどうしたよ!」となんのわだかまりもなく(当たり前か。)声をかけてくれたギリシャ人に、もう去年みたいにしんきくさい顔は見せたくないと思いました。

完走して、堂々と、後頭部ご開陳したいな。
よろこんでほしい。
絶対。




熊本成田モスクワアテネ

武内さんと、熊本空港から成田空港へ。

そのまま空港のソファで雑魚寝して、翌朝搭乗ゲートに向かいました。
わたしのバックパックの重さは7kgと軽く、国内便でも問題にならない重量でした。
何を忘れたんだろうと思わず不安に駆られます。

エイドに預ける予定のういろうを非常食に格下げしてコソコソ食べようとした瞬間、「お疲れさまです。」の声が降ってきて、ハッと顔をあげると並んでいたのはいつも親切にしてくださる北海道のご夫婦でした。
ご主人がスパルタスロンに参加されるランナーです。

「わたしたちもモスクワ乗り換えです!」
同じ便でアテネを目指すと知り、行程を共にさせていただけることになって心から安堵しました。

我々の乗ったアエロフロートの機内映画には日本語設定がなくて、わたしは映画を機内食よりも楽しみにしていたのでとてもがっかりしました。
そんな中、言葉がわからなくても画を追って楽しめるアクション映画は貴重で、当時まだ日本で公開されていなかったジョンウィックがとりわけ最高でした。
主人公は、キアヌっていうお米みたいな名前の俳優です(余計な説明)。
悪役は皆同じスーツを着ているので筋を見失わずに済みました。セリフもありがたいことに少なくて、英語わからないけど、どうせ気の利いた掛け合いをやってたんだと思います。
キアヌリーヴスが悪に復讐しまくるただそれだけの映画で、わっしょいわっしょいでした。

モスクワでは2時間程度で乗り継ぎでき、非常に効率良く、短時間でアテネに到着しました。

アテネ空港、23時。
日本ではギリシャの経済危機が大きく取り上げられていて、また難民が公園にあふれているなどのニュースもあり、わたしはとにかく治安が心配でした。
明るくなってから行動しようと我々はこの日も空港泊の予定でしたが、北海道のランナーさんが音頭を取ってくださり、深夜2時、4人で空港バスに乗り込みました。

真っ暗な夜をバスがゴトゴト走ります。
乗客はまばらで、張りつめた気配はどこにもありません。
けれども、寒さで荷物をぎゅっと抱きしめていると体は自然に警戒態勢にかたどられていて、うとうと眠たくても、異国の真夜中だという緊迫感は損わずいられました。

大会指定のホテルに着いたのは午前3時半だったでしょうか。

ホテル大丈夫かなあ。
朝までロビーで待機させてもらえるかなあ。
去年は名簿に不備があって受付で1時間以上待たされました。
その上今年は、この通りの非常識な時間の訪問です。
うまくいくわけない……。
エントランスで弱腰になる我々を制すように、北海道の方の「グッモーニン!」という朗々たる挨拶が響き渡りました。
いやいや、そりゃあ北海道の日の出は超早いけど、いくらなんでもこれを朝と呼ぶのは無理があるのでは……。
しかしそんな心配をよそにあっけなく手続きは終わり、「朝食の時間は7時からだから」というフロントマンの言葉とともに手元に残されたのはカードキー!
え、うそ、もうチェックインしていいんですか!?
ま、じ、で!?

こうしてわたしと武内さんは、3日ぶりに布団に横になれたのです。
しかも、朝ご飯も食べて良いなんて、ほんとは昼食からのパックだったのですが、ギリシャすごい。ふところ。

ギリシャはいい加減だってよく日本の方が憤慨しているのを聞くけど、こんないい加減もあるんですね。国民性に筋が通っています。
わたしはもう金輪際、いい加減だという理由でギリシャを批判することはありません。
ありがとうありがとう。



2015年12月29日火曜日

ねんかかる武内さん

ギリシャに行く前に、武内明子さんと合流するため熊本に行きました。

武内さんは画家です。
春から、津奈木町のつなぎ美術館で、5ヶ月間に及ぶ滞在制作をしていました。

夜にねんかかる

「ねんかかる」とは、熊本の方言で、「よりかかる」の意だそうです。

久しぶりの武内さんにわたしは人見知りしており、気軽に「あきちゃん」とねんかかれない、心の距離を感じていました(用法一例)。

所在無さのあまり、美術館へ向かう電車の中で武内さんへのお土産だった八ツ橋を食べてしまいました。
お菓子だけがいつも味方でいてくれる…。
食べ切るとおおらかな気持ちになって、早く武内さんに悪事を申告して怒られたいと思いました。
甘味がわたしの精神安定剤です。

9月19日、早起きして、武内さんといっしょに少し町を走りました。
海に山に中学校に、ずっとブログで見ていた津奈木町に自分がいるのが不思議で、武内さんの夢の中をさまよっているような、なんだかくすぐったい気持ちでした。

武内さんの滞在制作の成果を発表する展覧会初日。
この日は学芸員の柳沢さんと武内さんとの対談も予定されていました。
緊張が行き過ぎた武内さんは前日から感情を壊しており、わたしが熟睡から目覚めると、「くるちゃんがスパルタ前夜に寝られない、寝られないってイラついてる気持ちが今ならわかるよ…」と、寝不足のブスな顔でうめいていました。
そうか、あきちゃんにとってこの日は、わたしにとってのスパルタスロンなのか。
同情するしかないです。

定食屋さんで皆でお昼を食べているときにも、胸がいっぱいとかで食が進まない武内さんはついには号泣して、迫り来るトーク本番に絶大な不安を残していました。

わたしは武内さんの残飯をハイエナのように食べながら、反面教師反面教師と念じていました。
自分は、スパルタ前夜は絶対うまく寝てやるからな、気丈に振る舞っちゃうんだから!
泣きじゃくる武内さんの姿をなるべく白けた目で見ようと努めましたが、自分も大一番の前には決まって取り乱すタイプなので、人ごととは思えずみっともなかったです。

トークは涙をまじえながらも和やかなものになりました。
武内さんは時々とぼけながら、自由に観衆に立ち向かっていました。
わたしは柳沢さんのありがたい講釈を、背筋を正して拝聴しました。
自分の絵の感じ方に自信がなかったので、オフィシャルな人のオフィシャルなトークでもって、確証を得た気になりました。

展覧会自体は、あの武内さんが描いた絵だと思うとまともに見られず苦労しましたが、すこやかな気配がすみずまで感じられ、じんわりあたたかい気持ちになりました。
ただ、会場の入り口にあった、ご挨拶をかねた解説文がすごくて、筆者は学芸員の楠本さんなのですが、『そもそも武内は他者への依存心が強く、〜。』の一文には思わず目を疑いました。
静かな美術館で大笑いしてしまいましたよ。
そんな解説ほかで見たことないんだけど、一体武内さんどんな制作してたんだ、と想像すると痛快でした。
何度読んでもウケます。


2015年12月28日月曜日

ファザコンだよ

夏は東京にいました。
9月に京都に帰りました。

スパルタスロンまであと3週間です。

「お父さん!  最近お金使いたい気分じゃない!?」
「別に。」

父には沢尻エリカばりのつれない態度をとられましたが、めげずにランニングシューズを買ってもらう約束をとりつけました。

念のため断っておきますね。わたしは学生じゃないんですよ。
学生どころか、アラサーっつーか、ジャスサーっつーか、30!
中年にして父にたかる娘!  親不孝!

極め付けには、イオンのゼビオでの待ち合わせに、わたしは寝坊しました。
携帯には待ちぼうけをくらった父からの怒りのメッセージが入っていて戦慄。
仕事で遅くなって……とかなんとか嘘ついてゼビオにダッシュしました。
気まずかったです。
今明かされる嘘の件につきましてはその節は本当に本当に申し訳ありませんでした。

なんか安くなってないかなあと思ったけど秋はマラソンシーズンだからかバーゲン品がなくて、だけど青いアシックスを買ってもらったよ!
定価のアシックスは必要以上にピカピカで、外に履いていくのがもったいないくらいでした。

トレイルなどを走りまくっていると、2週間でシューズはちゃんと汚れて、足にも馴染んでくれました。

「あんたいつ出発?  壮行会するよ! 」
「今日だよ!」
父がメールをくれて、急遽、中華をごちそうになりました。

「すぐ出来るやつお願いします!」
慌ただしく注文して、片端からかっ喰らいます。
時間ないのに杏仁豆腐を追加したりしているうちに間に合わなくなって、直接自転車で駅まで行き、自転車の搬送は父にお願いすることにしました。

それから、自転車をバトンタッチしたらすぐに帰ると思っていた父は、そのままなんとバスが出発するまでを見届けてくれたのでした。

「まあ、がんばってきな。」

ぶっきらぼうな父の短い言葉に、決意を込めてうなずくと、うつむいた視線の先にはくったりした青いアシックスがありました。

「お父さん。…絶対、この靴にゴールまで連れてってもらうから!」

バスの窓からは、はにかんで小さく手を振り返す父の姿があって、何これ。
いいシーンすぎて、どちらかが死ぬんじゃないかとわたしは思いましたよ。

「ポストにタッパー入れといたから、食べきれなかったら冷凍ねー!」
わたしが死んだら煮物が遺品になるのかな…とか想像すると、今生のお別れに涙があとからあとからボロボロこぼれて、激情型でした。

そして現在父は中国人の女に結婚詐欺されそうになってるんですけど、そんなところもいとおしいです。
お父さん一生大好きです(また靴をお願いします)。



2015年12月27日日曜日

スパルタスロンのこと書きたいこと

今年の9月、ギリシャにて、スパルタスロンというマラソン大会に参加してきました。
2回目の挑戦でした。
去年はリタイアしてしまった大会です。

去年のリタイア記。
後頭部ビジネス


のちに武内さんがつくってくれた動画。

ちょうど1分のところで抱きあっているのが、リタイア記の中に登場している、失格宣告を受けた時のお姉ちゃんです。

言えない気持ちを卵とじ、言えない気持ちを卵とじ……。

今年のスパルタスロンは後頭部ビジネスとしての活動ではなかったのですが、完走文を書きたいです。


「本当に大切なことは誰にも言わない。」
友人がふと漏らしたポリシーを聞いてから、わたしはだんだんと物を書くことに尻込みするようになりました。
大切な思い出を保護したい気持ちは、やがて書きたい欲求を上回るようになり、書くこと自体が後ろめたい行為に感じられてきました。
どれも大切な思い出のはずなのに、被差別記憶にしてネットにアップしてしまった数々のエピソードを思うと、裏切ったような心苦しさがありました。

言えない気持ちはゆるく卵でとじてひっそりあたためたいと思っていましたが(強引な引用)、2015年を振り返り、人と比較したりして自分を見つめ直した結果、わたしは大切さよりもおもしろさを優先させたいという方針で心がかたまりました。

多くを語らず澄ましているのが上品でお洒落だけど、それが大人のあるべき姿だとは思うけど、それじゃあ笑えないじゃないですか!
わたしは、断然、笑われたいですね!

だから、大切かどうかという基準は見過ごして、あんなこともこんなことも今は書きたいです。
このような心境の変化により反動でドサッと書くと思うのですが、それに伴い迷惑をこうむるのは周りの皆さんで、堪忍堪忍です。