後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2016年4月14日木曜日

ニュースになりました

武内さんが大会前日にアップしたフェイスブックが話題を呼び、ニュースになりました。

台湾の2ちゃんねるにもちょっとだけ記事が上がっていたそうで、ネットだいすき現代人としてテンションが上がりました。



それから、テレビにも少し取り上げられました。

反響が大きく、わたしたちこれでついに世に出るのかも! と武者震いしましたが、言わば地震に乗っかって広まったみたいなものなので、心中、少なからず複雑でした。

結果的に、地震を踏み台にすることになっていやしないか。

でも結局そんなには跳ねなかったからやっぱり大丈夫です。
ニュースの映像、2分ぐらいです。
見てみて下さい。

2016年4月13日水曜日

今大会を振り返る

去年リタイアしたナンハンで今年は3位に入れたことは大健闘の結果でしたが、自分以外の日本の方はもれなく優勝されていて、しかも「目標通り日本人で優勝独占できてよかった」などとおっしゃっているのが切ない感じでした。
優勝してない者には触れないほうが話がすっきりするのはわかるけど、事実は「120km女子以外は優勝独占」なのになと思うと、何かしっくりきませんでした。
そりゃあ皆さんは招待選手だけど、わたしだって別に賑やかしで参加したわけでは……。

でもやはり、優勝した彼らと比べると、マラソンに対する意識はどうしようもなく低かったであろうことも否めません。
自分の実力がないことにうんざりする。
上ばかり、見てばかり、ないものばかり。
自分も来年はきっと!! と思って一時的にメラメラ闘志が湧きましたが、燃えている最中からすでに、「明日になればこの悔しさも鎮火するだろう」と冷静に予感しているところがもうだめでした。

漫画の衣装は確かに好評ではありましたが、マラソン大会という競技に参加している以上、ちゃんとマラソンの部門で張り合えるようになりたいです。お笑い部門じゃなく走り部門で……。


2013年、初めてのナンハンで100kmにエントリーし、50kmでリタイアした武内さんは、あれから3年の時を経て、今回ついに100kmを完走できました。

「本番を通して練習を知った気がする。」
完走後、武内さんが漏らした感想に、なんか伝統工芸の匠みたいなこと言うなあとわたしは尊敬の念を抱きました。
本番を通して、練習の何たるかを知る。
わからないけど、すごく深いことを言ってる気がしました。過大評価するわけじゃありませんが、武内さんぐらい鋭敏な感覚があれば、確かに本番での一歩一歩に、とてつもない啓示を感知するのかもしれない。常人にはちょっと理解し難いけど、そういうこともあるのかもなあ……としみじみ、降参していると、「ちがう。今回初めて練習して大会に出たから。」だそうでした。3年間で初めて練習した、ってそれはそれですごいです。

これまで、マラソン大会の翌日は歩くことすらままならなかった武内さんですが、さすが練習した甲斐あって今回は大会後も元気いっぱいでした。
夕飯時には、「台湾、これまで何度も来てるけど、今回の旅が一番食べ物おいしく感じる! 全部めちゃくちゃおいしい」と興奮しており、さらに、「なんかここ最近、肌の調子もいい!  体質変わったかも!」と、感動にうち震えていました。
いいことづくめで気にくわないです。
ランニング雑誌にでも寄稿すれば?  と、わたしは醒めた目で思いました。
「良い情報ばっかりだとステマだと思われるから、適当に困ったことも織り込んでさ……。」
例えばわたしはすぐ日に焼けるのですが、丸一日外で走っても白いままの武内さんを「ずるーい」と羨むと、「くるちゃんは地黒でしょ」と言われたむかつく。

あと、何に感化されたか、100km完走してからというもの武内さんがやたらと「メソッド、メソッド」連発するようになり、わたしはそのたびに薄ら寒く思っていたのですが、よくよく発音を聞くと「メゾット」って言ってて、濁点の位置違う。この人メソッドのことリゾットと混同してるんじゃないかと思うと、バカで許せました。


2016年4月12日火曜日

写真の件

ゴールして後日ネットに、みんなが撮ってくれていた写真や記事をたくさん見つけました。
大会が撮ったプロ写真もあったし、台湾の知り合いが撮ったものも、知らないだれかが撮ってくれていたものもありました。







マラソン大会の写真サイトでは、アクセス数というのでしょうか? だれのどの写真が何回閲覧されているかがわかる、ぎょっとするサービスがあるそうなのですが、自慢じゃないけど武内さんとわたしの写真のアクセス数が他と比べて相当多いそうです。





武内さんが、「わたしはいいとしてさあ、くるちゃんのこの顔とか、すごい数の人が見てるんだけどみんなどういう気持ちで見てるのか不思議なんだよね。ちゃんと笑ってくれてるのかな。なんか一応、女子だしさ、どう見ればいいのか、見方がわからないんじゃない? これは芸だからウヒャヒャヒャって思ってくれていいんですよって、一言アナウンスしておくほうが親切だと思うんだけど。」そう言って心配してくれました。
ネットの向こう側にいる、顔の見えない台湾人への配慮は素晴らしいとして、わたしのことは人とも思っていない感じがいっそ気持ちよかったです。それと、わたしの顔は芸ではないです。



武内さんを笑顔で迎えたテープ係の女の子が、ゴールした直後のその背中を、真顔に戻ってしげしげと眺めていました。

おめでとうございました。

それから武内さんは自分の写真を改めて見返して、「なんか走ってる時がんばって笑顔つくってもイマイチにしか写れないから、わたしも今度からくるちゃんみたいに苦しい顔して走ろうかな」とか言ってきたので、「イマイチだと思うのは自己評価が高すぎるからだよ!」と反論しました。
けっこう普段から、まあまあの出来の写真もあります。それにふたりとも変な顔して走っていたら、日本人やばいと思われそうなので、日本の名誉のためにもまあまあのかわいさではいてほしいです。

2016年4月11日月曜日

壇上へ






ゴールしてしばらくは動けず、解剖中も元気にピクつく魚みたいに、わたしは倒れこんだまま足だけを惰性で時折ばたつかせていました。
介抱されて起き上がり、スタッフの方に肩を支えられて歩きました。

体育館のほうから、「くるちゃん〜、トイレ行ってた〜…、見逃した……。」と、ビデオカメラを首から下げた武内さんがやって来て、「痛恨……。ゴールもっかいやり直して……。」かわいそうなぐらいごめんごめんと謝られました。
「全然全然、速くゴールできた! それよりおめでとう! あきちゃんこそ速かったんじゃない?」 「うん12時間ちょっとだった。」
えー! 速いよ!! おめでとう!

よろこびをわかち合っていると、壇上へと促されました。
女子3位。表彰されました。

↑腕、重見さんの絵。

途中までは完走すら、もうだめだと思っていたから、表彰台に立てて感無量でした。
武内さんにも壇上に上がってもらって、ふたり並んで、背中に書いた「台南加油」を見せました。

「加油」がいるから、がんばれました。


たくさんの声援と笑顔に涙が止まらずに、マイクを要求しました。


せーので声を合わせて、力いっぱい、「我愛台湾! 台南加油!!」




ひとりの力は、ふたり合わせると2倍になるんじゃない、100倍だと思いました。



また、一生の思い出ができました。
このペースで一生の思い出を増やし続けたら、自分は早晩、破裂するんじゃないかと思う。すごい裕福だ。「一生の思い出」の数々が血管を圧迫しているような気持ちです。血中濃度がひどいです。わたしはもう末期です。
なんかもう疲れちゃって、老後みたいな満たされ方で、指示されるがまま、ボケーっと記念写真に収まっていました。

2016年4月10日日曜日

ゴール

120km、制限、15時間。
15時間を2で割って7時間半。
スタートのAM4時に7時間半を足すと、AM11時半。
最後までイーブンペースで行けるはずはないから、少しは前半に貯金しておいて……。

一生懸命計算をして、自分の折り返しポイント目標到達タイムは、11時20分に設定しました。

重見さんとすれ違ってから1時間20分が経過し、あっけなく11時20分。当初の目標時刻は過ぎましたが、まだまだ、折り返し地点は先のようでした。

続々と折り返してくる選手が「クァイタオラー!」、もう着くよ! と励ましてくれますが、それはかなり前から聞こえている嘘でした。
1km進むのがすごく長くて、時計を見たらキロ10分ペース。
荒い呼吸ながら、わたしは冷静に考えました。
11時半までなら、完走確定ペース。
11時45分ならまだ、完走圏内。
12時なら駄目だ。完走圏外だ。

完走、できないものは仕方ないから、なんとかして美談にするには、途中すっ転ぶ(わざと)しかないと思いました。『若木は負傷しながらも諦めずに走った。制限時間にこそ間に合わなかったが最後まで自分の足で120kmを闘い抜いた』とか……。
はあ。
ふがいなくてため息が漏れます。
時計を見るたび、絶望が深まります。
うつむきすぎて首が凝りました。
完走圏内ペースの到達、不可!
11時48分! 60km!  折り返し地点到着!
遅い!!!
でもまだ、12時にはなってない!
関門アウトでもない!!
まだ圏外じゃない。こっから挽回する。

仲良しのスタッフに抱きついてべそべそしている間も、口腔いっぱいにビスケットを詰め込んで咀嚼しており、闘志は燃え盛っていました。1秒たりとも無駄にする気はありません。泣きながら慌ただしくエネルギーと水分とを補給し、わたしは猛然と、今来た坂を下り始めました。

先行ランナーを次々抜いた。
「シャシン! シャシン!」
100km部門、78km部門のランナーと合流して、写真を撮るから止まってくれと幾度か呼び止められたけど、ごめん! 急ぐ!! わたしはさらにペースアップしました。
カメラマンのチンちゃんもいたけど、昨日みたいな笑顔はつくれませんでした。

下りのスピードを止めたくなくて、つい給水を怠って気づけば30km。
無補給で走り過ぎました。
気温はかなり低く、水分なんか取らなくても平気だと侮っていましたが、体は思った以上に渇いていたようで、以降のエイドではすべて止まって苦しく給水することになりました。

残り28kmの大エイド。
ここが関門なのでしょう。計測シートと、カウントダウンの時計が視界に飛び込みました。
二度見しました。
目を疑いました。
時刻はまだ、15時にもなっていません。
ゴールのリミットは19時だったはずです。
あと4時間以上ある。
もし今のペースを維持できるなら、関門に間に合うどころじゃない。もっと早くに帰れそうでした。

武内さんは元気で走っているのだろうか。まさかまだ、ゴールしてはいないだろう。
エイドで時々、「アキコライマ?」明子もう来た? って聞いてみたけど、だれも知らないみたいでした。
あきちゃんと会えたら、ふたり並んでゴールできたら最高だなあと思いました。

この先は、これまで飛ばしてきたような激坂はもうありません。下り坂はゆるやかになり、加えて平地も、上り坂も混じり始めます。
去年はこの28kmで大失速したのでした。
悪いイメージしかありませんが、この一ヶ月間の練習量がわたしを支えました。
合宿した!  去年より走り込んだ! 120kmがなんだ! 246kmだって走れたんだ(後半つぶれたけど)!!

息が切れて、上りはもう走れませんでした。
少しでも前にという気持ちで、腰を折って上体を前倒しし、まっすぐ伸ばした腕を付け根から動かして、のしのし、大股歩きで進みました。

応援の車が缶ジュースを渡してくれました。…と思ったらビールだった、どうしよう困った! 捨てることができずに、「シュワイガー! ビール! あげるね!」と前を歩くランナーに預けました。ごめん、いらなかったらまただれかに渡して!  ごめんありがとうごめん!!

呼吸はもう開放しました。
苦しいけど、このまま最後まで全開で行く。

残り6km地点で、沿道にマルコを発見。
マルコは道の反対側にいましたが、果敢に横断してすごい形相で武内さんの消息を確かめました。
「アキコダイジョーブダイジョーブ〜!!」
余裕の口ぶりから、かなり前に通過したことが伺われました。
合流の夢は諦め、自分の記録を少しでも縮めることに集中。

120kmゼッケンのランナーは他の部門に比べ少ないこともあり、「あの人120だよ」「すごい」というやりとりがそこかしこで聞こえました。
うっせえ! ほんとにすごい人はもうとっくにゴールしてるよ!
的はずれな苛立ちに襲われます。
「痛いとわたしはぶちゃくなる」というCMのコピーが頭をよぎりました。
きついとわたしは邪鬼になる。
爆発しそうなエネルギーの濁流が、体中をほとばしっていました。マグマを感じた。
荒々しい呼吸をばらまいて、わたしはギリギリの気持ちで脇目も振らずに突進していました。

喘いでいるのはガス欠のせいだと思われたのか、ひとりのランナーがエナジーバーを差し出してくれました。いらないごめんシェイシェイ! 
残り5km。
14時間切れるかもしれない。
エナジーバーのお兄ちゃんがなんでか並走してくれていましたが、「ニーシェン! ニーシェン!」武内さんに習った言葉をわたしは叫びました。「先行って!」です。「ニーシェン! シュワイガー!」お兄ちゃんを振り切りたいのだが、これ以上はどうあがいてもスピードアップできません。ノー!! むずがってさらに激しく爆走していると、さらにもうひとり、並走する人が増えていて、両隣をぴったり、ランナーに挟まれてひた走る謎のラストスパートになりました。
何だこれ。
でももうどうでもいいやと思ってわたしはわがままに走りました。何度も時計を見たので、14時間を切りたいのだという意図が伝わったんだと思います。左側のお兄さんが、腕時計のGPSを見ながら「3km」「2km」「1、5km」カウントダウンしてくれました。
頭がしびれてきた。
すごい追い込めてるうれしい。

ゴール直前は細い通路に入るため、3人での横並びを解体しなければなりませんでしたが、わたしはなんの遠慮もなく先頭を切りました。でも絶対間違ってないと思った。ここまでの流れと空気とポジションから自分が主役の場面だし、お互い譲り合うようなぬるたい茶番は御免でした。1時間前まではあんなに武内さんといっしょにゴールしたいと思っていたのに、もう今は、だれかとゴールするような馴れ合いは考えたくもありませんでした。

てめえらが勝手についてきたんだからな!  

車の運転中とか、気性が激しくなる人、いますね。…自分だな。免許絶対取っちゃだめだな。これが自分の本性なんだと思いました。鼻息すごいです。

フンガフンガ!!
わたしが行く! 

ただもう、1秒でも速くゴールすることで体がいっぱいでした。




57分を示すデジタルの明かりを目の端で捉え、わたしはゴールゲートに転がり込みました。

のちにネットでみつけた、だれかが作ってくれてた画像集。
力尽きてくたばる瞬間。
ゴール。

2016年4月9日土曜日

シェイシェイ、シュワイガー


苦しげに走るせいでしょうか、それともタイツのお尻に「おなかすいた…」のコマがあるせいでしょうか。
わたしはとにかく声をかけられ、そして物資をいただきました。
サプリ、ドリンク、パワージェル。
エイドは5km置きにあって、十分なサポートです。不便はありませんでしたが、それぞれ大変ありがたく、謹んで拝受しました。

役立ったのが、武内さんに教わった中国語、「シュワイガー」です。
シュワイガーとはイケメンの意。
「謝謝、シュワイガー。」物をくれた人に主に使いました。
カタコトの日本語を話せる方に、中国語はできるかと聞かれて「シュワイガー」と言うと、困った顔で「アナタハスゴイデス」と返され、あれ?  と思いました。「イケメン」って言ったらてっきり、義理でも「カワイイ」が返ってくるものかと……。
見込みが甘かったです。

7時前かなあ、後ろから「がんばって!」と声をかけられ、なめらかなネイティブ発音にハッと顔を上げると100kmトップの石川選手でした。ものすごいスピードに、「がんばってー! 石川さんがんばってー!!」と慌てて背中に叫びました。周りのランナーがこっちを見てただにこにこ笑っていて、物足りなさを感じました。全員で「がんばってー!」の合唱を送りたいところですが、そんな統率力は自分にはないのでした。

それからかなり間があいて、100km2位の台湾選手。
「ローム(若木)!」と名前を呼んで、「ガンバテ!」、追い抜き様にアミノバイタルのスティックをくれました。トップ選手がそんな!? びっくり、そしてすみません恐縮です。
背中に描いた漫画のセリフ、「我愛台湾」に対する皆のアンサーが、これらの「ガンバテ」なのかなと思うと目頭がしきりにあつくなりました。

「台南加油」のセリフの片割れ、武内さんも、今頃ガンバテ、山を走っているはずです。
マラソン中は、「台南」担当の若木と「加油」担当の武内はバラバラになって、わたしの「台南」は単体では意味を成さないけれど、続きの「加油」は自身が全身で表現しようと思いました。
「台南加油」。
必ず届く、必ず届ける。

8時46分、石川選手が折り返してきました。
見事なスピードです。
声援を送ると、視線を揺らさず前方一点のみを見つめて「あーい!」と応じてくださって、走り去ったあとには「あーい」の音だけが凛とした佇まいで残っていました。

100km女子の椎名さんが来たらなんてお声をかけようかと思っていたけれど、お会いできないまま、100km部門の折り返しポイントを通過しました。120部門は、まだまだ、ここから15km登ります。

120km部門をトップで折り返して来るであろう重見さんと、すれ違うのは10時頃だと、わたしは踏んでいました。
折り返し、なんて応援しよう。
「ガンバッテ」「加油」は他の方からも散々言われているはずだから、何かもっと他の言葉でインパクトを残さなければとわたしは思案しました。

インパクト順だと、「大好き>好き>すてき>かっこいい>がんばれ>ナイスラン」かな。どれをチョイスしよう。「ナイスラン」はおこがましいので却下。「大好き」はさすがにおっかないからやめよう。だけど「好き」だけだと叫んだ時にリズム取りにくいんだよな。「シュワイガー」の流れで、「かっこいい」が言いやすいな。

よし、「重見さんかっこいい」に決定です。

9時58分でした。
あまりにも読み通りの時間に先導の大会車が現れて、後ろに重見さんの姿を小さく確認しました。トップ! 独走!  さすが!!

「重見さんがんばってかっこいい大好きがんばってー!!!!!」

ああああ、あれよあれよと、合わせ技で言っちゃったよと思いました。
すれ違う時間がことのほかたっぷりあって、尺をすごく有意義に使ってしまいました。
そしたら重見さんが、スピードはそのままに、ゆったりとおおらかに腕を伸ばした。腕が翼みたいに見えました。わたしは一瞬、この人空を翔ぶのかなと思った。
それから、ああ、ちがう、タッチしてくれるんだと理解した瞬間に手のひらがバチンと弾かれてよろけました。
ロータッチ!!
ぶほおおおお!
初めてこんなスピードでタッチしたよ!! 風圧すごかったです。速い選手はハイタッチじゃなくてロータッチなんだなと思いました。
重見さんを描いた右腕と、重見さんご本人の右腕が重なった瞬間、わたしは「我愛台湾」のことを忘れて、「日本人超誇らしい」と愛国心でいっぱいに満たされていました。


2016年4月8日金曜日

ダイアログインザダーク

ナンハン120kmは、標高2330mまで60km上って、折り返して下る往復コースです。

午前4時、スタートして5kmも行くと集団はばらけ始めました。
ライトを持たないわたしは、俗に言われるコバンザメ走法(他人のライトの明るさを借りる走法)で日の出までを乗り切るつもりでしたが、周りの方のペースが速くてついていけません。
外灯は一切なく、どこまでも漆黒の闇でした。

以前東京で「ダイアログ・イン・ザ・ダーク」という、暗闇を体験するイベントに参加したことを思い出しました。確か5000円とかで、「本当の真っ暗闇」を味わえるエンターテイメントです。
のちに姉に話したら、「バッカじゃないの」と言いたげに、「なんで田舎者のあんたが都会人の集いに顔つっこんでんの」と蔑まれました。「暗闇なんてむかし普通にあったしょや。」
自らの出自を思い知らされました。

そして今また、ダイアログインザダーク・イン台湾。
暗闇体験をしています。
路面は整備されたコンクリートですが、わずかなつぎはぎに足をとられそうでこわいです。ゆっくり走りました。

午前5時。
武内さんがスタートしたなあ。…と思うことはなく、ダイアログインザダークのことをわたしは延々考え続けていました。
走っている最中は、脳内の有り余る暇をつぶすための、何か考えごとが必須アイテムです。
「ダイアログインザダーク」って言うだけで字数が稼げるので、「ダイアログインザダーク」、重宝しました。言いたくなっちゃう。「ダイアログインザダーク。」
マラソン中はすべての単語を絶対略して考えない。「スマホ」は「スマートフォン」だし、「ケンタ」は「ケンタッキーフライドチキン」です。

真っ黒だった世界に色が付き始めるまでは、最初はわかるかわからないか、ごくごく微妙な変化でした。それが、しゅわしゅわ明るさを帯びてからは、うわっと一気に山々のかたちが浮き彫りになって、眼前にひらけた雄大なパノラマがド迫力です。ひとりでに仕上がっていく絵画を見ているような感動がありました。

夜と朝は毎日必ず訪れているのに、なぜ今だけこんな、絵画が生まれる瞬間に立ち会っている気分になるのだろう。
不思議でしたが、それはきっと普段、完璧な暗闇の中に身を置いていないせいですね。街にはどこかに必ず灯りがあります。光の感動をダイレクトに100%味わうには、やはりダイアログインザダークだと思いました。わたしも今やもう立派な都会人です。



2016年4月7日木曜日

スタート

朗報です。
100kmも120kmも、制限時間は14時間だと思い込んでいましたが、120kmは1時間長い15時間制限でした。
なんだよ〜! じゃあ完走できるじゃん!
一気に心が晴れました。
ただ問題は、武内さんとのスタート時間が違うことです。
同時スタートで序盤はいっしょに走れると思っていましたが、最初から離ればなれ。
120kmの部のスタートは午前4時なので、午前3時25分、宿のご主人に朝ご飯を持たせていただき、出発しました。


武内さんは午前5時スタートなので本来ならばもっと遅くて良いのですが、4時スタートのわたしについていっしょに来てくれました。


会場に着くとカメラマンが大きく手を振って合図しています。チンちゃんでした。
朝からかわいいって奇跡です。


いっぱいの顔見知りのみんなと、写真を撮りました。
少し、取材みたいなこともされました。
にぎやかな会場でした。

「さっき重見さんいたけど。」
トイレから戻ると、武内さんが教えてくれました。
「なんかビニール袋着てた。ちょっと遠くにいたし、目合わなかったから声かけてない。」

重見さんは、日本を代表する陸上選手です。
幸運にもスパルタスロンでお会いでき、話が弾みました(主観)。3人のお子さんをはじめご家族に対する愛情も深く、とりわけ地域を背負って走る真摯な姿勢に非常な感銘を受けました。ほんとにすごい人ってすごぶらないよね。武内さんと言い合いました。

その数ヶ月後、ナンハンの選手名簿に重見さんの名前を見つけた時にはただもう驚きました。これまでの3年間、ナンハンに出場している日本人は我々以外にいなかったこともあります。
わたしも、武内さんも、うれしかったけれど、「でもなんかちょっと寂しいな。わたしたちの大会じゃなくなっちゃうみたいで。」武内さんが言いました。
「そうだね」と同調しかけて、「でもわたしはそういう考え方は嫌いだ」ときっぱり思いました。
自分たちだってそう思われていたと思うよ。ここだけじゃなく至るところで。過去形だけじゃなく現在進行形でも。「新参者が」って。台湾の人からは、「もっと日本人つれてきて」って再三お願いされていたのにふたりとも友だちいないから全然貢献できなかったんじゃん。やっと日本人が来てくれてとてもうれしいよ。わたしは重見さんに恥ずかしくないよう日本の一員としてがんばりたいよ。

重見さんのあずかり知らぬところで、わたしは重見さんに過度の意味付けをしていました。
ナンハンで重見さんに会えると思うことが、自分の発奮材料になりました。

漫画を描いたときには、「台南加油」以外のコマを思いつかず見切り発車で始めたため、右腕のコマが埋まらなくて「どうしよう何描こう、…はっ!」


重見さん描いた。

武内さんが唖然として、「……この文脈だと、普通ここは彼氏とか家族でしょ? 『彼氏も応援してくれてるし、よしがんばろう』って感じにしか読めないよ。まさかの『ストーカーしてる重見さんのフェイスブックです』だよ。これ重見さん本人が見たらかなりこわいよ。」そう忠告してくれました。わたしは、「でも重見さんのフェイスブック、仕事でやってますって感じですごくいいんだよ。自我が全然なくてさ……」言い訳したけど、そういう問題じゃないそうです。
なんか描いてたらますます重見さん好きになっちゃったよ〜! と騒いでいると、武内さんが「やれやれ」と「うひひ」の混じった顔で、「ターゲット発見だね」と、人聞きの悪いことをつぶやいていました。

昨夜の懇親会でお目にかかれるかと楽しみにしていましたが叶わず、声をかけられるとしたら途中の折り返しだなあと思っていました。
スタートまであと5分。
カメラに囲まれもみくちゃになっていますが、そろそろスタートゲートに移動したいです。

120kmの出走選手は皆もうとっくに整列していると思い慌てていたのですが、レーンはガラガラで、上位を狙う有力メンバーがわずかに1列、先頭に並んでいるだけでした。

あわわわ重見さんいるじゃん〜。
重見さんのすぐ後ろにつけてしまいました。
集中されているだろうなあと思うと話しかけられず、でもカメラに密着されてわーわーやっているうちに、重見さんの首が45度、回転して後ろを向きました。
わたしはかぶり物と全身タイツです。

「うわぁびっくりした!」

重見さんしゃべった!
重見さん声だした!

わー重見さん!!
わたしはすかさず「見て見て重見さん描いたの」右腕を突き出しました。

「おーすごい」

重見さん見てくれたー!
「見て見てふたりそろって漫画なの」武内さんと肩を寄せ、後ろを向きました。

「おーすごいハハハ」

重見さん笑ってくれたー!
至福!

そのときの笑顔がこちらだよ!
後に新聞に載ったやつだよ!


レース前なかなかこんな顔しないよ!
取材班的にわたしたちグッジョブです。
重見さん重見さん!!
号砲ドン、スタート。

2016年4月6日水曜日

チンちゃん

今大会には、招待選手として3名の日本人がエントリーされていました。
120km男子に重見さん、100km男子に石川さん、100km女子に椎名さん。
ナンハンは今年から、日本の、京丹後ウルトラマラソンと提携するようになったのだと聞きました。

今晩、招待選手たちを招いての歓迎会があるそうで、わたしたちもお呼ばれに預かりました。

宿の斜め向かいの食堂にはもう皆が集っていて、拍手喝采で出迎えてくださいました。
「台南加油」の衣装も着ていたので大いに盛り上がり、ひとしきり記念写真を撮り終えたあとで円卓に座りました。

隣の座席には招待選手の方がいて、「日本人ですか?」「芸人さんなんですか?」。
「はははは、いえ、美術をやっていて…。明日わたしたちも走るんです。」
……重見さんはいらっしゃらないのかな。所在なくそうつぶやくと、「重見さんは来ませんよ」とのことでした。そうかあ。

石川さんは27歳、椎名さんは20歳。
走力すごすぎる方たちとこうして同席させていただいていることが何かの間違いなのですが、おふたりともお若いせいであまりこちらにへりくだらせてくれず、むしろなんだか遠慮させてしまったようで悪いことをしました。
いつまでも年下キャラでうまくやっていきたいのですが、もうあとは年齢詐称するしかないです。

走力と年齢と精神年齢(我々が5歳)とが比例していないぎこちない会話のさなか、武内さんがひそひそ声で、「くるちゃん。となり。見てみな。すごいかわいい」と耳打ちしてきました。
処理できないほどたくさんの方に声をかけられ写真を撮られるので、わたしは無意識のうちにあまり人の顔を直視しないようにしていたのでした。
慌てて左隣を見ましたが、距離が近いせいかなかなかピントが合いません。3秒ほど凝視して、「これは」と思いました。これは、ただごとではありませんでした。ピントが合わなかったのは距離感のせいではありません。眩しすぎるのが原因でした。

ウルトラスーパーかわいいい!
360度かわいい、史上最強かわいい!!

彼女もランナーで、先日フルマラソンを完走したそうです。
名前は陳です。「チンって呼んで」って言われたけど「チン」って言うたびにどうしてもよこしまな気持ちになってしまうので、「チンちゃんでもいい……?」。

チンちゃんに、明日は何キロ部門に出るのか聞くと、明日は走らず取材なのだと名刺を渡されました。チンちゃんカメラマンだそうでした。明日、チンちゃんがランナーの写真を撮るみたいです。撮る側より撮られる側になったほうが世界のために絶対いいよと思いました。




は〜もうチンちゃんかわいいパーフェクト、うぶげもかわいい、体温もかわいい、吐く息までかわいい、とか言って夢中でチンちゃんの呼気を自分のほうに扇いでいたら、「さすがにやめて」と武内さんにたしなめられました。
チンちゃんが台湾で最も重要な美のスポットであることは間違いないです。

チンちゃんとの自撮りは、後頭部を向けて乗り切っていましたが、ついに正面の顔を要求されてしまいました。
チンちゃんのスマホを自分のツラで汚したくない一心で、撮影中も恥じ入ってご飯を食べ続けていたのですが、その後チンちゃんのフェイスブックにアップされたスリーショットは全然、許容範囲でした〜! 
明るさを加工してくれており優しさを感じましたが、チンちゃんが我々について「日本美少女!」と説明をつけているのはやりすぎだと思いました。日本と美と少女を貶めないでほしいです。

わたしは食事中なのが幸いし、お箸のおかげでガチャガチャの歯並びを隠せているし、武内さんもエラをわからなくするため、画角からわざとはみ出るよう写ったそうです。
これからも必死の創意工夫でSNS時代をサバイブしていきたいです。

2016年4月5日火曜日

アドバイス

関山に到着。
駅前にて。


4年間ナンハンに出続けた積み重ねと、武内さんのフェイスブック効果がてきめんでした。
たくさんの方に歓迎していただきました。
わたしは自らの気弱さから覆面を決して外さないのでしたが、みんながにこにこ受け入れてくれてホッとしました。
武内さんが、あるランナーの発言を通訳してくれました。
「2年前ナンハンでクルミ見たけど、泣き叫びながら走ってるのに速かった、って。すごいって。」
そうですかそういうことになってますか。それでは今回も遠慮なく、泣きながら走らせていただきます。と思いました。


泊まるのは例年と同じ、慣れた旅館です。
明日の大会本番では、宿のご主人が車で送迎してくださいます。
ご親切に本当に感謝です。

ウェアにゼッケンをつけたり、シューズにチップをつけたり、それぞれ明日の準備をしました。

「何かアドバイスくれない?」
武内さんが言いました。
自分のことで手いっぱいで忘れていましたが、そういや武内さんは人生初の100kmマラソンなのでした。
アドバイスねえ…。わたしは悩みました。

わたしは自分の良いところを、決してアドバイスしない点だと思っています。自分がすごいランナーならまだしも、ランニング塾に通った経験もなく、正解を知りません。自分にとっての良いことが武内さんにとっても良いことだとは限らない。サイズも違う、体質も違う。何もかも走りながら自分で見つけるしかないんだと、諦めにも似た感情でしみじみ思うのです。
……などと、合宿中のある日の練習後、聞かれもしないのに語っていたら、武内さんには「それ全部痛いほど感じているよ」と言われました。「今言ったこと全部」だそうです。
遠くない未来、自分と武内さんの立場は逆転するだろうとわたしは思いました。武内さんがすごいランナーになったあかつきには、ぜひ武内先生にアドバイスを頂戴しよう……。

ぼんやり夢想しているわたしに、武内さんから、再び100㎞を走るアドバイスが要求されました。

「う〜ん…。原因を内に求めないこと……?」

体がしんどくなった時、決して内省しないこと。練習不足だったかなあとかレース中に後悔してもどうしようもないから、エイドで補給するなり、靴紐を緩めるなり、トイレ行くなりマッサージするなり。とにかく原因を外に求めることだね! 
それから、誰の言葉も聞かないことだね。だからわたしのこの戯言も右から左へ受け流して欲しいと思いました。

そうやって結局、けっこうアドバイスかましてる自分に苦笑いです。本当は今まで色々言いたかったのに我慢していたのかなと思うと、自分がけなげです。

2016年4月4日月曜日

移動


後頭部描いてもらいました。


ウインクにしました。


もうこうなると後頭部は漫画の一部でしかなく、後頭部単体としては全然目立ちませんでした。
今まで後頭部を使ってかなりいろいろ、もうやり尽くしたと思っていたのですがまだあるもんですね。可能性うれしいです。



マラソン会場の関山へ、午前の電車で移動します。
昨日の夜市で正面の顔の扱いに困ったので、今日はマスクで武装しました。
高雄駅までは宿から歩いて15分ほどです。


駅構内で、待ち合わせしていたマルコたちと合流しました。
駅にはナンハンに参加するランナーがたくさんいました。皆同じ電車で関山を目指すようです。
写真撮影大会になりました。既に武内さんのフェイスブックで今回の試みを知っていた方が、まだ知らない方に趣旨を次々説明しています。広報を済ませておくと、確かに話がスムーズでした。

ランナー軍団でワーワーやっていると我々のもとに警察が近寄ってきました。
こ、公序良俗……?
自分の全身タイツが猥褻物に当たらないのかわたしは恐怖に襲われ、「ポリス……タイホ……?」と、両手を手錠のポーズにしてマルコに助けを求めました。冷や汗がドッと湧き出ましたが、警察の目的は取り締まりではなく、なんかのスローガンを手に持たされて仲良く写真に写りました。


でもシャッターを切られている間も、いつ警察の態度が豹変するかと思うと発汗が止まらなかったです。

改札口に移動してからは、一般市民の方々とも交流させていただきました。
博愛モードに入ったわたしはずっと、左肩に描かれた吹き出し「我愛台湾」を叫んでいたのですが、売店からエプロン姿の方が走り出てきて両手いっぱいのお菓子をくださいました。
ぬおおお!
芸能人だと思われたのかな!!
武内さんに興奮をぶつけると、「『我愛台湾』をただ心からよろこんでくれただけだと思うよ。芸能人よりそっちのほうがよっぽどすごいよ。」との見解でした。


いただいたお菓子です。
サクサクしたクレープロールでした。
すごくおいしいですこれからお土産は必ずこれにします!

電車に乗り込み、クレープロールやヤマザキパン、マルコにもらった手作りプリンなどを食べました。

回想:出発前に買ってもろたヤマザキパン


窓の外は曇り空でした。
明日の天気予報も、曇り/雨です。


窓辺に並ぶ、ジップロックに入ったマルコ手作りのおかずが、雨雲を背景にして占いみたいに見えました。花びらを1枚ずつちぎって、好き嫌い好き嫌い好きをやったみたいに、お天気占い。おかずとおかずの隙間のかたちに見る大会の天気は、降る降らない降る降らない降らない、「雨は降らない」です。

たくさんごちそうさまでした。
我愛台湾!

マルコとハズバンドは笑いが絶えない

撮影:マルコ