後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2017年10月31日火曜日

176km〜195km《武内》

若木です。
武内さんの後半戦です。
なんか色々すみません。
この完走文はフィクションです。

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前半、まだひとりで浮かれて走ってる時、「あ〜ばかに生まれてよかった!」って何度も思い、そして口ずさんでた。

私、苦手なものがカタカナと数なんだ。

高3になる時選択授業があって、社会科の科目をね、選ばなきゃいけないんだよね。倫理か政治経済かの、どちらか。先輩にどっちがカタカナ少ないか聞いたら、「倫理は外国人の名前とかいっぱい出てくるから、倫理はカタカナ多いよ〜」って言われて、それで政経にしたんだけど、結局政経、全っ然わかんなかった。興味も持てないし。今考えたら絶対倫理だったよね。おもしろいのは。

あと数ね、引き算ができないでしょ。まあ割り算もかけ算もできないんだけど、……あっ、繰り上がりのない足し算はできるよ!

だから、エイドの名前色々あるでしょー、ルリキア、ネスタニ、テゲアメゲア、アリストテレス、みたいな。どこがどこだかさっぱり覚えられないし、246キロ引く何キロって計算ができないせいで残りの距離もわかんないんだけど、でも、あんまりなんにもわかってなくても、とにかく走って、途中でやめさえしなければゴールには着くんだよなと思って、「ばかでけっこう! おおいにけっこう!」って。

「あ〜! ばかに生まれてよかった〜!!」
超肯定感。多幸感。
「全然つらくないし幸せだ、超幸せだ」ってずっと思ってた。

ばかは風邪引かないとか言うでしょ。ばかであほだからこそ、私はつらさを感じないで済むようにできてる気がしたんだ。もしばかじゃなかったら、こんなふうには走れなかっただろうって思うと本当に幸せを感じた。
「ばかに生まれて幸せだ。」そう気づけたことがうれしくてたのしくてますますテンションが上がっていった。

そして後半。

私よく「気持ち」って言うんだ。
気持ち。
眠さなんて気持ちじゃん。
「気持ちが足りないだけなんだよ。甘えてるだけだよ! 幸せだよ!」そう思うんだけど、でも眠さがとれないんだよ〜。幸せと眠さとが両立しちゃうの。
『ばかは風邪引かない』みたいに、『ばかは眠くならない』的な、ばかを対象にした特典があればいいのにってほんとに思った。眠気免除サービスみたいなやつ。

なんで今までのレースでは眠くならなかったんだろうって考えて、そういえばいつもくるちゃんがいたなあと思った。くるちゃんが「眠い眠い」うるさいから、自分まで眠くなるわけにはいかないと思って、くるちゃんの介護で眠くならずに済んでたの。
思い返せばスパルタスロン、ここまでの全組み合わせが完全にそのパターンだからね。
弱ってる人といると強くなる。
だれかが眠いと覚醒する。

レースも後半になって、マック(鈴木)さんと一緒に走り出したんだけど、マックさんはしっかりした人なの。
私がだめになる組み合わせなの。
ますます眠いの。

「眠くなってください。」
マックさんにお願いしたわけ。

マックさん普通の人だから、最初わかってくれないのね。
「いや寝ちゃだめだよ」とか言って。
「ちがうんですってばー! マックさんが眠いのやるんですー!」って、「演技してください」って何度も必死で説明してるとだんだんわかってきてくれて、それでマックさん、ちゃんと演技してくれるのよ。

「ねむいよお〜。ぼくもうねむくなっちゃったよお〜。」

私、「何言ってんの! 眠くなってる場合じゃないでしょ!!」って、そうするとちょっと目が覚める。
でもまた眠くなって、「マックさん! 眠いのやって!」

「ね〜む〜い〜よお〜。もう走りたくないよお〜」
「そんなこと言ったって行くしかないでしょ!」
「だってねむいんだもん〜」

マックさん真面目だからね。
寸劇にも付き合ってくれるし、残り時間、残りの距離、計算して計画練って、丁寧にサポートしてくれるんだけど、 何しろやさしいからさ、怒ったりは苦手なんだよ。

「叩いてください」って頼んだら、腰のあたりぽんぽんされて、「そうじゃないもっと上! もっと強く! そうそうそれそれ!」って言ってやっと背中バーンってしてくれてね。厳しいスパルタ教育に関しては、完全に指示待ち人間よ。あれだね、人間やっぱり一長一短だね。一短っていうか別に、私が眠くならなければそれでいいんだけどさ……。

なんか、ごまかせるような眠気なの。ふわ〜っと眠い。
ごまかせるような眠気だから、しっかり対策もしない。

マックさんに、「そんなんでふらふら歩いててもだめ。休んだ方が絶対いい」って言われるんだけど、私きっと休憩してもぐーぐーは眠れないから、そしたら時間ロスするだけじゃん。休んで回復する保証なんてないし、「いやだ休みたくない」ってつっぱねて、マックさん「休むべき」、私「休まない」の平行線。
でもそうやって口論してるとちょっと気合いが戻ってくる。

「余裕あるから眠くなるんですかねえ! 余裕なんてないですよねえ!!」ってマックさんにキレ気味で聞くと、「走れてれば大丈夫」とか冷静に言われて、またしょぼ〜ん、みたいな。



《ギリシャの哲学者アリストテレスは、アレクサンドロスの家庭教師をつとめた。》

2017年10月30日月曜日

165km〜176km《若木》

サンガス山を上りきると、頂上のエイドには大滝さんの姿がありました。
大滝さんはビニール袋をかぶってエイドの奥の椅子に座り、暖をとっていらっしゃるようでした。
雨も降ってきて寒かったから、「大滝さん! わたし行きます!」って言ってすぐに出発したのですが、あとで聞くと大滝さん、このとき眠くてぼーっとしていたんですって。なんだ眠いのなら「ちんこ!」って言ってくれたらよかったのにと思いました。
きっとすぐまた追いついてきてくれるだろうと思って、わたしは先を急いだのでした。

雨とは言ってもそれほど強い降りではありません。
ただ、ふきさらしの山は風が強くて、そこそこのペースでしっかり走っていないとすぐに凍えてしまいそうです。

毎年苦労していた下り坂は、今年は危なげなく走れました。
ライトを明るく換えたんです。ペツルの、新しく出たやつ。電池じゃなくて充電式の。
いままでずっと、軽さ最優先でペツルのEライトを使っていましたが、豆電球みたいな光では砂利道やガレ道では見通しが利かず、こわい思いをしてきました。
誕生日に姉に買ってもらった新しいライトは、軽くてしかも感動的な明るさでした。
道がはっきり見えるだけでなんて走り易いんだと歓喜して、気持ちまで文明開化したみたいな明るさで、夜道をひた走りました。

でも、下りきって安全なアスファルト道路に変わったところで、一気に眠気の揺り戻しが来ました。

おでこの明るいヘッドライトが、降りしきる霧雨のかぼそいラインをキャッチして、ツーツー、テテン、暗闇の皮膚をつつくような光の刺繍が、ツーツー、テテン。雨のステッチの柄模様。
それを見ているともう気が狂いそうに眠くなる。
けれども、目の前を絶えず流れる繊細な刺繍から逃れようとまぶたを閉じると、そこはわたしの内側で、こっち来ちゃだめ! だめだめ、外見て! 道見て! って。そして目を開ける、ステッチがうるさい、目を閉じる、眠りの中にいる。

道路のつぎはぎに足をとられてハッとする。
「怪我するよ!!」
自分に向かって大声でがなりたてる。

つんのめるように足が止まって、「うわあまた寝てた!」
パッと目を開けると分岐点ギリギリに立っている。矢印と逆の道に進路をとりかけている。
「そういうことしてるから!! 迷うんだよ!」キレて泣きそうな声でまた怒鳴る。

去年コースロストしたことを思い出す。
「お願いしっかり!」
祈るように進む。
眠い。

危ない思いをしては目が覚めて、「ああよかったもう起きた、もう大丈夫」って思うんです。そしてすぐまた、平然とやって来る眠み。

眠み、それは諸悪の根源です。
表面的には振り払えても、見渡す限りいなくなったと思っても、土中深くまだ、眠気の根っこが残っている。伐採じゃだめだ、引っこ抜くんだ。すっぱり根絶やしにしないことには、切っても切ってもまた新しい眠みが生えてくる。無限のいたちごっこに消耗する。
「根こそぎいくよ、できるでしょ?」
言い聞かせて、雄叫び、爆笑、水かぶり、自傷、あらゆる戦法を試すものの、どうしてもどうしてもどうしても、眠気の根絶に成功しない。

頭の中には家系図がありました。
父母や祖父母から枝分かれしてきた我々が、どのルートを遡っても結局サルに辿り着くみたいに、どうあがいても、どうもがいても、わたしの意識は眠りの元に戻ってゆく。

ブッダは、「生・老・病・死」の四苦にぜひ「眠」も加えるべきだった、とわたしは真面目に考える。
さてはブッダのやつ、246km走ったことないんじゃないの、と思う。
死は死んじゃえばそれで終わりだから簡単だ。四苦メンバーとしてふさわしくない。
「生・老・病・眠。生・老・病・眠。」
よい。しっくりくる。
「生・老・病・眠。生・老・病・眠。」
唱えてみると「みん」がかわいい。くすぐられるようにまた、眠くなる。


2017年10月29日日曜日

165km〜176km《武内》

若木です。
武内さんの記憶がいよいよ朧げです。
この完走文はフィクションです。

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………

夜には自信があったからね……。
自分が眠くなってびっくりした。

山を下りてからひとりになって…、このへんほんとに記憶がないや。

蛇行してもいいような広い道がずーっと続くんだよね。
単調で、ずっと眠い。

走るの遅くなってるってわかるから、なんとかしようとは思うんだけど、眠さに甘えかけてる自分もいるんだ。
完走が目標だからな〜。そんながんばらなくてもいいよな〜。完走さえできればいいもんね〜。それにしても眠いな〜って。
闘志が湧いてこないのよ。

それでも外人に追い越されるとハッとして、「こんなんじゃだめだ、この人についていこう」って思うんだけどそれができない。
「次はこの人」って決めて、「次こそ離されない」って思うのに、やっぱりついていけない。
日本人も来ない。日本人いたら絶対つかまえるんだけどさ……。

でも、これでこのスピードでやってたらほんとにゴールできないと思って、追い抜いてきた外人に向かって、「ねむい!」って言って手を差しだしたの。

手をつないでいっしょに走り出したんだけど、外人も疲れてたみたいで歩いちゃって。でも、歩きでもしっかり歩けてるだけで全然ちがう。進めるんだ。

歩きながら、
「♪夜〜明け〜が来〜ない夜〜はな〜いさ〜」
って、合唱曲を歌った。
「ジャパニーズソングだよ」って言って。
レース中、誰かが眠いときのために用意してた歌だったんだけど、まさか自分が眠くなるとはね。
冒頭「夜明けが来ない夜はないさ あなたがぽつり言う」っていう歌詞なんだけど、「あなた」のとこを「わたしがぽつり言う」に替えて、「夜明けが来ない夜はないさ」って、自分に必死で言い聞かせてた。

外人とは次のエイドでお別れしたよ。
ハンガリー人だったんだけど、最後に名前を聞いたら「ピーター」って言うから、「ピーターパンね、オッケー覚えた」と思った。

大きいエイドにいた小谷さんに、ライト預けさせてもらって、睡魔撃退法を習った。こめかみのツボ。効かなかったけどね。
「眠気覚ましの飲み物もありますよ」って言ってくれたんだけど、「炭酸とかかなあ、まずそう。」と思ってもらわなかった。

それから門川さんと、「キロ7分で行けばじゅうぶん余裕持ってゴールできますね」とか話したんだけど、「いやあたしキロ7分とか全然です。いまたぶんキロ8分とかキロ9分とか……」って。
実際は、キロ10分とかでもゴールできたんじゃないかなあ〜、計算できないからわかんないんだけどさ……。

遅いから、いくら残り時間あっても安心できないはずなんだ、ほんとは。
くるちゃんがいたら、「こんなんじゃいつまでたっても着かないよ!」「とっとと行くよ!」って言うだろうなあと思った。でも私楽天的だからさ、うまく焦れなくて。時間まだまだあるなあってついのんびり考えちゃって、余裕もあるから眠くもなるわけでね。

そんなこんなでだらだらしちゃってたんだけど、そうだせめて腕ふりをがんばろうと思って、遅いながらも走ってたの。
そしたら、後ろから鈴木さんが「いい感じですね」って声をかけてきて、「いやいい感じじゃないんです、ただいい感じにしてただけなんです」って。

鈴木さんが「次のエイドまでいっしょに行きましょうか」って言ってくれるから、「助かった〜」って思ってたらその次のエイドで、「よかったらいっしょにスパルタまで行きませんか」って鈴木さん言うの。

「えっいいいいんですか!? でもあたしすっごい遅いですよ!!」
「いいですよ。自分も調子悪くてゆっくり行きたいから」

って。
……言ったがために鈴木さん、これから大変な目に合うんだけど。
でも言い出したの鈴木さんだからね。



2017年10月28日土曜日

159km〜165km《若木》

サンガス山ベースエイドは、わたしの、とても思い入れのあるエイドです。

はじめて出た4年前も眠くて、上り坂は苦しくて走れず、ここの関門がもうギリギリでした。
「急いで! ハリーアップ! ユーキャンドゥイ!」
エイドから出てきて沿道でランナーを鼓舞していたボランティアの女の子が、死にかけているわたしを見捨てられなかったんでしょうね。手をつないでひっぱってってくれたんです。
関門、絶対間に合わないと思っていました。
だけどその子のおかげでかろうじて、2分前に通過できて、でも私は「サポートを受けた」と見なされて失格宣告されちゃったんです。その後運営の寛大な措置により失格は取り消され、レースの続行を許されるのですが、頂上までは達することができないまま、タイムアップとなりました。

女の子の名前はエレナと言いました。
リタイア後、レオニダス像の前でばったりエレナと出くわして、「ゴールできなかったよごめん」って、わんわん泣きながらハグしたんです。
苦くてしょっぱい、あたたかな思い出。

エレナはその後も毎年ベースエイドでスタッフをしてました。
ベースエイドはわたしにとって、スタートでもありゴールでもありました。
エレナとの再会のハグが、わたしにどんなに勇気を与えたことかわかりません。
エレナがいるからベースまでがんばろう、エレナに会えたからゴールまでがんばろう。
そうやって走るのが、わたしのスパルタスロンだったんです。

……ここまでセンチメンタルに浸っちゃうと、なんかエレナ、死んでなきゃいけないみたいな展開ですが、大丈夫エレナ死んでないです。

今大会の前日、エレナからメールが来たんです。
タイトルは、「Spartathlon Mountain Base」。

「ハロークルミ、今年は友だちと出るのよね? 準備は順調? 私は今イングランドの大学にいて、とても悲しいことに今年はそちらに行けないの。このレース、あなたが成功できますように。また会おうね〜!」

というのがその内容で、他にエレナの書いた、スパルタスロン愛溢れる長文の手記も添付されていました。

まず何? イングランドってどこ、イギリス? 
エレナよ〜、ギリシャの女神よ、会えないの寂しいよ〜!!

わたしは当然会える気でいたから、メールの内容はもちろんショックではあったのですが、それよりもわざわざ連絡してくれたことへの驚きが大きくありました。えっ、気にかけてくれてるの? 律儀だなあ丁寧だなあって。

手記によると、なんでも彼女は13歳のときからずっと、ベースエイドのボランティアをしてきたそうです。今年は大会に参加できないことをどれだけ残念に感じているかがそこにはせつせつと綴られていました。……まあ英語できないのですべて勝手な憶測なのですが、そう推察させてしまうぐらいの迫力ある文章量でした。エレナの真心が行間からひしひしと伝わってくるようで、気づくとわたしはド感動していたんです。

それでね、こんな返信をしたのでした。


「Elena!!!!!!!!!
 Please send your portrait!
 Tomorrow, I want to draw your face on my back head.
 LoveLoveLoveLove,and sad(;_;)

 大大大大大大大好き!!

 KURUMI」




できない英語の精一杯。

「お前の写真を送ってくれ。明日わたしは後頭部にお前の顔を描く。愛しておる、そして悲しい。大大大大大大大大好き! くるみ」

この文面と、それから剃り上げたまっさらな後頭部の写真とを添付して、伝われ! 意図!! と願いを託して。

エレナが今年は会えない旨を知らせてくれるまでは、後頭部やろうかどうしようか、ずっとぐずぐず迷っていました。正直、やりたくない気持ちのほうが強かった。でも今、心は決まりました。
「エレナの顔を描きたい。」
そう強く思ったんです。
どうしても描きたい人がいるなら、わたしは大丈夫。強い後頭部でいられますと思いました。

それから、ばっちり趣旨を理解したエレナが感激の言葉とともに送ってくれた写真はとんでもない美貌のポートレイトで鼻血が出ました。


《これが》
《これに》


というわけでこのスパルタスロン、エレナといっしょにここまで走って来ました!
今年も来ました、サンガス山ベースエイド!

「見て見てエレナだよ〜!」、スタッフの面々に勢いよく後頭部を差し出しました。
「アイスィー、アイスィー、話は聞いておる」と、鷹揚な歓迎でハグしてくださったおじさんが、わたしの顔面に向かってグッとスマホを突き出した、画面の中には、動くエレナ!! イングランドにいるエレナと、テレビ電話をつないでくれていたんです。

真夜中、暗がりの中で実際眩しいディスプレイと、画面越しでもちゃんと眩しいエレナのオーラとで、なんだかわたしはバグってしまって、わからなくなっちゃって、なにがなんだか。壊れたおもちゃみたいに、「セ・アガポ」をひたすら言いまくっていました。ギリシャ語で、「愛してる」。
地球でいちばん美しい、テレフォンショッキングの時間でした。

4年目、エレナ以外のベーススタッフとももうすっかり顔なじみです。お母さん(仮名)とも再会の固いハグ。
「速くなったねえ、強くなったねえ」って、毎年の成長を笑顔でねぎらってくれるのがしみじみうれしくて、どうしようこの気持ち、言葉にして伝えなきゃと思って、「このベースエイドはわたしにとっての実家です。里帰り、待っていてくれてありがとう。見守ってくれてありがとう。お父さんお母さん、ありがとう。」みたいなニュアンス、でも「実家」をなんて言うのかがわからなくて……。
絞り出したのが、「マイマザー&ファザーイズデッド。アイハブノーホーム。ナウ、アイムインマイホーム。ディスイズマイホーム。アイシンク、ユーアーマイマザー&ファザー」っていう……。
うち、確かまだ父親は元気に生きてるはずなんですけど、話を簡単に、かつドラマチックにするために、勢い余って父のこと殺してしまいましたよ……。
ごめん父と思って、父のご冥福をお祈り致しながら、のこのこ山を登りました。



はい、こちらがエレナの手記だよ〜!
ぜひ読んでみて、そしてわたしに和訳の全文を教えてください。

http://www.spartathlon.gr/en/newsroom-en/web-news-en/73-a-volunteer-s-letter-to-the-2017-race-spartathletes.html


2017年10月27日金曜日

159km〜165km《武内》

若木です。
武内の完走文を手がけております。
眠気のため、武内さんの記憶が曖昧になってきました。
この完走文はフィクションです。

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大和田さん、先に行っちゃったかなーと思って山登り始めたんだけど、すぐに「いたいた、よかった〜」って追いついて来てくれたの。それで、「膝に手を当てて体重かけたら登りやすいよ」とか教えてもらったり。

山はねえ、寒かったねえ。
風がビュービュー吹いて、霧雨も降っていて。
ウィンドブレーカー2枚にゴアテックスみたいなの、預けてた上着、全部着た。こんなに預けて、くるちゃんに笑われると思ったけど、笑われてもいいやと思って預けたのが正解だったね。くるちゃんさあ! そんな寒くないよとか言ってたけど、さっむいよ! みんな普通に着込んでたよ! 私普通だよ! 3枚着込んでちょうどよかったよ! 

サンガス山のベースからトップまではあっという間だった。
距離も短いよね。あ、もう着いたの? って拍子抜けするぐらい。

ただ、山頂から下りに入ると、滑るからなのか眠いからなのか、スピード出なくてすごい遅いの。ガレてるガレてるって聞いてた割には大したことないなと思うんだ。だけど走れない。
大和田さんも待ってくれてるんだよね。でも、大和田さんの、走って待って、の、待ってのパートが長くなっていて、迷惑かけちゃってるなあと思う。

そしたらね、うしろから辻本さんが来たの。
辻本さん、山がメインだって話してたじゃん。おお、山の辻本さんとほんとに山で出会っちゃったよ、まさに山男じゃんと思うとおかしくて、ちょっと元気出た。

私たち、辻本さんからトレイルやってるって聞いたとき小バカにしたじゃん。
「うわ〜、どうせアームウォーマーつけたりするんですよね〜?」とか言ってさ。トレランの人ってオシャレですよね〜高機能グッズかっこいいです〜みたいなこと言ってふたりしてニヤついたじゃん。辻本さん、「いや、ほんとにアームウォーマーつけようと思ってたんだからやめてください」みたいな。

そしたらね、その、アームウォーマーをつけた手で、私の手を引いて走ってくれたの。ガシッと。

山男!!!!!

「自分の靴はトレイル用だから滑らないんだ」って、ここぞとばかりに山ってて、ものすごく頼もしかったよ。山男最高、すてきだなあ〜と思った。
おかげで大和田さんも待たさずに済んで、リズム良くスタスタ行けたの。

無事に下れて、下りきったところで、あとはもう行けるでしょって感じでふたりとも先に行っちゃって、ひとりになった。


《こじゃれた最先端ウェアに身を包む山男イメージ byアキコ》

2017年10月26日木曜日

148km〜159km《若木》

大滝さんは、スパルタスロンに数多く参加されているレジェンド代表の方です。お医者さんでもあられます。
わたしと武内さんはふたりとも、昨年から大会に提出する診断書を大滝さんにお願いしており、また他にも多くのことをご相談させていただいてきました。
武内さんは、足首の違和感のこととか、腹痛のこととか、血尿のこととか、体の症状についてのこと。
わたしはというと、主に眠気のことでいつも悩んでいて、でも大滝さんも眠気にはとても弱いって。「自分も毎回眠気でつぶれる。解決策があるなら自分が知りたい」って。
それで、それぞれオリジナルの眠気対策を披露し合っていたのですが、わたしが「『ちんこ!』って叫ぶ」という、恥ずかしさで眠気を散らす方法を言ったらウケて、別にこっちはウケ狙いのつもりなく真面目に敢行してた秘策なんですけど……。
うなだれてたら、わたしの捨て身が大滝さんに通じて、真顔で「オーチンチンの歌」を教えてくれたりして(ユーチューブにある)、けっこう仲間内では、眠気覚ましアイテムとしてのちんこが流行っていたんです。

だから今回わたしのペースが落ちてふらつきかけたときも、「ちんこちんこちんこちんこ」ってちんこ4コールするだけで深刻度レベル4の眠気だとすぐにわかってもらえました。大滝さん、すかさず景気付けに「オーチンチン」を歌ってくれたのですが、物静かな大滝さんがそれ歌っても子守唄にしか聴こえない。かえって逆効果なんですよ! ちょっと歌はやめていただいて、わたし自ら努力しなきゃと思って、大滝さんに向かってどうかしてる下ネタをガンガンかましました。
握りしめていたお手頃サイズの氷を口につっこんで、「見て〜こうして出し入れするとちんこしゃぶってるみたいですよ〜」ってにやにやしたりとか……。
でも大滝さんはそれを無視。完全無視。
そこにいない人みたいな横顔をして淡々と走られて、そりゃあね、よろこばれでもしたらちょっといやだったとは思いますよ! でもせめて、怒ったり困ったり、少しはリアクション、ないと寂しいじゃないですか! 眠気も全然覚めないし、くそうと思って、「大滝さん、ちょっとちんこ触らせてもらっていいですか?」って言おうかと思って、思うとものすごくドキドキして、これは使えると思いました。もう一度やってみました、心の中で。「大滝さんちんこ触らせてもらってもいいですか?」もうすごい、耳とか熱くなっちゃって、うわーもう眠くないぞー! これ効くー!! って。三度目の「大滝さんちんこ(以下略)」をやってみた勢いで、ほんとに、ほんとに言ってみちゃおっかな? そう本気で思って、本気で思うとまた一からドキドキできて、……もちろんほんとには言わないんですけど。

自分に最低限のモラルが残っていて安心しましたが、「ついに最低まで落ちたか」とも思いました。秘蔵のちんこ作戦だったはずが効力落ちまくっていて、耐性できるの早すぎ、羞恥心失せすぎでした。そんなとこに適応能力発揮しなくともよいのだと思った。

そんなふうにしてどうにか、150kmあたりまで来たんです。
つづら折りの上り坂に入るところで、「わたし遅いしもう大丈夫です」と大滝さんに先行していただいて、大滝さんの背中が夜闇に消えた……ところでまた! 眠み!!

本当に後悔した。わたしは腹の底から後悔しました。
やっぱり大滝さんに「ちんこ触らせて」って言うべきだったと思って、やっぱ考えるだけじゃだめだった言わなきゃだめだった…と思って。
だめでした眠かったですー!

でも、前後する早歩きの外国人が数人いて、わたしがところどころ起きてちょこちょこ走って追い越すと、「ユーアーストロング」ってエールをかけてくれたりして、そうやって、なんとか、眠気のばかやろうが油断した隙になんとか走って、なんとか、なんとかかんとか、サンガス山ベースまで、なんとか今年も辿り着くことができたんです。


2017年10月25日水曜日

148km〜159km《武内》

若木です。
武内語の翻訳をしております。
一応、この完走文はフィクションです。

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大和田さんといっしょに坂道を上り始めたんだけど、なんと私、なんとまさかの、眠いのが来たんだよ……。
さっきまであんなに威勢よかったのにね。
山田さんがいなくなって、ゲップが出なくなった代わりに眠くなった。
山田さんの眠気が私に引き継がれちゃったみたいに、私が「眠い人」になった。

まだ、せいぜい1時とか。
信じられないよ、自分でも! いまスパルタ中だよ!? おかしいでしょ、って。
眠いんだけど、眠いって認めたらそれが本当になってしまいそうで、内心まだ半信半疑。
普段から夜型だし、大会中眠くなったことも今までそんななかったし、大会前、何を心配してなかったかって眠気の心配だけはまったくしてなかったからね。
眠気かー! そこノーマークだった! と思った。

私、感動すると、きついのを忘れられるんだ。
苦しい時きつい時、感動すると辛さがなくなる。
要は感情が高ぶればいい。だから怒りとか悲しみとかでもいいんだろうけど、それらネガティブな感情は自発的には作り出せないんだ、私は。
でも感動ならいくらでも、無限に作り出せる。

まだレース序盤の頃の回想なんだけど、沿道でこどもたちがサインを求めてきたの。
ギリシャではスパルタスロンを走るランナーは英雄扱いなんでしょ? 大会中、サインをもらおうと待ち構えているこどもたちがそこかしこにいるって話、聞いたことがあったから、ああこれがスパルタ名物サイン責めかあって、ほっこりしてたんだ。
なんかね、お姉ちゃんと妹とが道ばたでランナーを待ってるんだけど、妹がサイン帳持ってもじもじしてて、それをお姉ちゃんが「行きな行きな」って背中押す感じ。すごくほほえましかった。
「Akiko」ってサインして、となりにちょっとしたイラストも。
そしたら妹、ちっちゃい体でぎゅってハグしてきて、なんてかわいいの……と思って、感動。「汗くさいでしょう〜」って申し訳ない気持ちの混じった感動。
そのあともサインせがまれるたび、似顔絵描いてあげたり、走りながら描いたりとかもした。

……とかね、前半のできごとを思い出してみて、……だめ。
きついのは感動作戦で忘れられるんだけど、眠いのはどうにもならないね。
なかなか思うように走れなくて、遅いの。
大和田さんのほうがペース速いんだけど、走っては止まり走っては止まりで、ちょっと先行っても曲がり角のとこで待っててくれたりとか、私がはぐれないようにしてくれて。
それで、ひらけた駐車場の向こう、広くて明るいスペースが、サンガス山のベースエイドだったんだ。

着いてみた感想はねえ、「へえ〜! これが噂の〜!」って。ベースエイド、毎年くるみちゃんのスパルタスロンのハイライトじゃん。私も、どんなところかなって色々想像してたから。

もっと山の中の狭いエイドなんだと思ってたら、計測マットもあって地面はまだコンクリートで、平らなエイドだった。
寒かったから、温かいの飲んで、トイレ行って、防寒着着て、ヘッドライト付けて、大和田さん見失って、「大和田さ〜ん!」って叫んでも返事なかったから、そのまま出発した。

《Akiko》

2017年10月24日火曜日

120km〜148km《若木》

唐突にクイズ。
わたしの、いちばん初めの眠気が、何時に来たのかわかりますか。

17時です。
100kmに達する前にもう、眠みの萌芽がありました。

自分でも、うそでしょと思いました。
昨日は8時間眠れた。
眠くなるわけない、こんな早く。
ふざけてるんだ、と思う。
眠さを認めたくない。あまりに情けない。

自分が眠気に極めて弱いことは、よくよく自覚できていました。
それでも、まだ明るいうちに眠くなるなんて、まさか。
泣きたい思いでしたが、泣く原因もまさに自分にあるわけです。いま泣いたら心の思う壺だと思って、これは罠だ、って。まだ先は長い。心に振り回されて疲れちゃだめだと思って、「集中!」叫んでペースを上げました。

田舎道では、辻本さんと抜きつ抜かれつでした。
辻本さんはスパルタスロン初参加。
普段のメインは山で、いままで走った最長距離はトレイルの160kmだそうでした。
大会前日のレストランでいっしょの席になったのですが、隣にいるサポーターの彼女がすごくかわいくて、わたしがハッスルしちゃったんです。おふたりとは初対面なのに暴走して、きらいな有名人の話とかしたら、かわいい彼女がにっこりしながら「ひねくれてますね〜」って。ちょっと、そんなふうに笑われたら好きになっちゃうじゃないですか〜!
彼女の名前は、デリちゃん。生まれて初めての、海外での運転が心配だと不安そうに話していました。
知れば知るほどキュートな辻本ペアを、わたしは密かにひいきにしていたんです。

大会当日の朝、バタバタと後頭部をつくっていたら、背後で「エイドに塩ってあります?」って声がして、辻本さんでした。わたしたちにエイドのこと聞くなんて、ほんとに他に、よっぽど知り合いいないんだなあと思いました。立派にあぶれているなあと思って、またも好感度が上がりました。
わたしたちも大概、似たようなものなのでうれしくなって、写真撮ってもらったりなんかして。

《辻本さん撮影》


でも、最初は好調そうだった辻本さんが、止まってストレッチする回数が増えてきて、「大丈夫ですか?」の問いかけにもいつしか返事が来なくなり、あっ、この人終わったなと思った。

デリちゃんがサポートカーで通りすぎるたび、「くるみちゃんいいペースー! がんばってー!」って励ましの声援を送ってくださり、わたしも「ありがとー!」ってうなずき返すのですが、心の中では「デリちゃん、あなたの彼氏さっき終わってたよー!」って。デリちゃんすごい不憫と思っていました。

断続的に襲ってくる眠気には、エイドの氷で対応するようになっていました。
氷を齧るとさっぱりして、胃腸も元気になる気がしたし、氷塊を背中に入れたり、握りしめたり、瞼に塗ったくってみたり、体のどこかがひんやりしていると眠気をごまかすことができました。

このあたりはもう完全に夜。
外気は冷たく、氷のあるエイドが少なくなってきてしまいました。やばい。寝るのか。負けるのか、眠気に。

遠のきかけている意識に、「くるみちゃん?」と呼ぶくぐもった声が後ろから響いて、「あああああーっ、大滝さんー!」目が覚めました。
「くるみちゃん前にいたんだねえ、速かったんだねえ。」
穏やかな調子で声をかけてくれる大滝さんに、「お願い、めちゃくちゃがんばるからついていかせてください」と懇願したら、「めちゃくちゃがんばったらつぶれちゃうからそのままでいいよ、合わせるよ」って少しペースを落としてくれて、決して大滝さんから離れるまい。固く心に誓いました。

大滝さんが最高でした。
しんしん静かな夜の中、大滝さんの足音だけがメトロノームみたいに正確で、ムラのあるわたしがペースを乱して早まると、「焦らなくて大丈夫」って、あくまで静かに諭してくれて。

「トラブルは?」「マメだけ。でも全然。我慢できるやつ。」
早口で答えると、それまで痛いと思っていたマメが本当にもうちっとも痛くなくなって、それからはふたりとも無言のままただ、距離だけが着実に積まれていきました。

エイドの明かりが見えます。
「先行っていいよ」と言う大滝さんに、「そんなこと言わないで」とかなしい気持ちになって、「やだやだ大滝さんといっしょがいい」とごねると、「大丈夫必ず追いつくから、必ず。」そう言って先を促され、そうして本当にちゃんと、追いついてきてくれるのでした。「くるみちゃんいいペースだから追いつくの大変だよ〜」の、やさしいぼやきとともに。

2017年10月23日月曜日

120km〜148km《武内》

若木です。
武内さんの恐るべきエキセントリックはまだまだ序の口です。
が、言っておきます。
この完走文はフィクションです。

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山田さん、このとき脚が痛かったみたいでさあ、ほんとにかわいそうだと思ったよ。
「時間はスパルタまでじゅうぶんあるから、山田さんがバーテンダーになった話を一から聞かせて下さい」ってお願いしたら、「じゃあこの痛みが麻痺に変わったら話しますね」って。
私も、聞いてはみたものの、別にそこまで興味あるわけじゃないからさ、「あ、そーですか」って引いたんだけど、結局聞けないまま終わっちゃったんだ。くるちゃんがそんなに山田さんに興味あるなら聞いとけばよかったなあ。

それからエイドでお粥半分もらったり……あっ、たかってないからね! 食べられないからって半分くれたの。そうこうしてたら山田さんの後輩とかいう人に抜かされたんだよ。それで山田さんにも火がついて。
山田さんは後輩から尊敬もされているし、もし負けたら先輩風吹かせらんないじゃん?
山田さん、「あいつはほんとにええ奴で」とか、後輩のがんばりのことを真摯に語っていて、先輩が後輩を思う熱い姿が闇夜に輝いて見えたよ。

でも、「なんでそんなに後輩意識するんですか? 意地ですか? 気になるからですか?」って聞いたら、1時間後ぐらいに答えが返ってきたんだよね。その時差が、とてもいいなあと思って私はそこにじーんと来たの。
ああ、後輩のためにも強い背中を見せたいんだなあと思って、私も「その話乗った!」と思って。早くゴールしたいし、ついて行こうと思って本気で走った。

山田さんも必死で追いかけてるんだけど、私も元気あったから、走れるんだよ。「すごいねそのスピード」って、褒めてるっていうか呆れてるっていうか、でも山田さんもそのスピードなわけじゃん。ふたりとももう無口で、一心に走りに集中。

後輩にはエイドで追いついたんだけど、後輩に負けるわけにはいかないからってすぐ出発してそのまま激走を続けたよ。
あっ、そうだ、坂根さんのエイドで、「くるみちゃん15分前に通過!」って教えてもらったんだ! あの時けっこう肉薄してたんだよ! 
自分たちすごい速く走ってるつもりで、山田さんも「今かなりいい位置だ」って言ってたのに、それでもくるちゃんはまだ先にいるんだなあと思って、「あいつやるなあ」って言い合ったよ。

でさ、ちょっといい話になっちゃうんだけどね、今回のスパルタスロンは感謝から始まったってこと、話したの。
「最初はジム行くのめんどくさいなあって思ってたんだけど、自由にジム行けるなんて特別なことだよなあ、ほんとにありがたいなあって気づくことができて、そこから練習に打ち込めるようになったんです。覚えてるもんね……8月16日のことです。まずは感謝って思えたら、気持ちを入れられた。感謝しなきゃ、って。なにも当たり前じゃないんだ、って」
そしたら山田さんが「そうですね。自分も感謝好きです」って言ってくれたんだけど、「でも私、感謝って言葉は好きじゃないです。感謝感謝言うのはよくないです」って。
いや、だって、やっぱ言葉じゃなくて態度で表さないとって思うからさ。

看板係の山田さんによると、このとき貯金はもう2時間以上あって、完走は間違いないって思ってた。

そしたらまだ0時くらいなのに山田さんが眠いとか言い出して、私は本当に、本っ当に信じられなかったよ……! 0時だよ!? 夜、始まったばっかじゃん! しかもバーテンだよ!? うそだろと思って、「はっ? 寝てもしょうがないし、いいことないから行くよ!」って喝入れて、ビシバシせき立てて。

山に入る前のつづら折りで、とぼとぼ歩いている大和田さんをキャッチしたんだけど、なんか大和田さんまで「気持ち悪い、眠い」みたいなこと言うんだよ。
なんか私、弱ってる人見るとテンション上がっちゃうみたいでさ。
「はあっ? ね〜む〜い〜!? 何言ってんの!?」ってまた罵倒して。……なんかさ、キレる政治家いたじゃん? ちょっとメロディアスな音階で『このハゲー!!』って言う女の人。……豊田議員? あんな感じよ。
でも少ししたら大和田さんが走ってきて、「ついてくことにしました」って言うから、「え〜らいっ! えらいよ〜っ! 根性あるよっ!」って讃えていっしょに行ったの。

山田さんはそのあとスイッチが入ったのか、バーッてありえないスピードで爆走してあっという間に彼方へと消えってっちゃった。

〈じゃあ山田さんから大和田さんの乗り換えはスムーズだったんだねって若木が言うと、あきちゃんは『私乗り換えてるつもりないけどね。私主体だから。皆が乗ってきてるだけだから』って平然と言い放っていて、なんでいつもそんな強気でいられるんだと思いました。〉



《ハイパーメディア・アキコ》

2017年10月22日日曜日

81km〜120km《若木》

コリントスの手前から便意があったのですが、大エイドまで我慢しようと、ペースを落として堪えていました。
どうすれば時間のロスをなくせるか頭の中で徹底的にシミュレーション。
コリントスの計測マットを踏んだらすぐに、適当な軽食を持ってトイレに入り、「上の口で食べてる最中に下の口で用を足す」作戦。

無事コリントスまで便意が持ちこたえたので、マットを踏んで直進、脇目も振らずにビスケットを手にして右方向へ14歩。1秒のロスもなく、思い描いていた通りに、トイレタイムを迎えることができました。

スタートしてから、固形物は口にせず来ました。わたしはレース中に物を食べるのが得意なほうではありません。
ここでもまだ空腹はなかったのですが、そろそろエネルギーでも入れとくか、と。
計算通りの補給のタイミングでした。

なのにうまく食べられないんです。こんなに計算通りなのに、ビスケットがなかなか飲み下せない。うんち出す時間内で食べきらなきゃ、計算通りにがんばらなきゃと思って、焦っていっぱい咀嚼するんですけど、うんちが出終わってもまだ飲み込めない。
仕方なくちょっと丁寧にお尻を拭いたりして時間を稼ぎ、なんとか、パンツとタイツを上げ終わるタイミングでやっと嚥下ができました。やってることがおかしかった。「計算通り」へのこだわりが異常でした。自閉症なんじゃないのと思った。

普段は大好きなビスケットなのに、食べられない。
自分の体感よりも実はけっこう弱っているのかと思うと不安でした。今、無理して固形物を入れたら吐きそうだ。ここはもうジュースのカロリーに頼るしかないと思って、オレンジジュースを4杯、飲んだんです。あと蜂蜜とヨーグルト。りんごも大丈夫、飲み込めました。
なんだ、大丈夫なものたくさんあるじゃんと思って、少し元気が出て、りんごを齧りながらコリントスを出発しました。

そしたら走れなくなっていた。まあジュース4杯飲んだしね、とは思いました。そりゃあ体も重いでしょう、と。すぐに落ち着くと信じて、ゆっくりゆっくり走り出すのですが、ビスケットの気持ち悪さがずっとなくならない。後続のランナーにもどんどん抜かれて、そうすると気持ちも沈みます。何より腹痛が収まらなくて、でももううんちに時間とられたくないんですよ! さっきのトイレで出し切っとけよバーカって思うから。けれどももう、どうしても無理、でそうと思って歩き出した瞬間に、後ろから「大丈夫?」って三原さんが声かけてくれて、神の使いかと思いました。「大丈夫じゃない。うんち。紙。」って、日本人同士なのにカタコトで困窮を伝えると、神の使いのくせに紙持ってなくて、「チッ、使えねえな」が喉元まで出かかった。でも三原さんと並走されていた日本の方が、やりとりを見て無言でおしぼりをくださったのでやっぱりふたり合わせて暫定、神でした。

草むらで出したら思いっきり下痢で、ああもう本当に一刻の猶予もならなかったんだな、と危機的状態にあったことを再確認。
ジュース4杯は失敗だったと省みました。
いただいたおしぼりは本当に神懸かり的な素晴らしさで、感謝が尽きません。

救われて大自然の中、訪れたひとときの安息を、暮れなずむ空が穏やかに包んでいました。


《最後の一行だけ力ずくでいい感じに》


2017年10月21日土曜日

81km〜120km《武内》

若木です。
武内の語りべです。
この完走文はフィクションです。

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私コリントスにある河内さんのそうめんとおにぎり、ほんとに楽しみにしてたからね。
ほんとに楽しみってどれくらいかというと、もう、日本にいた時からおにぎりのこと考えてたのよ。プールやってる時とか、「あ〜河内さんのおにぎり食べたいな〜、いま。」って。私たちこれまでも河内さんにすっごいお世話になってるじゃん。さらに今回もまた河内さんに餌付けされるわけでしょ? 今度こそいよいよ、なんか恩着せられそうだし〈注:河内さんはそんなことしません〉、ほんとはエイド、華麗にスルーしたいんだけどね〜! そうめんもおにぎりもめっちゃおいしかった。
なんかマラソンやるようになってから食べるのがほんとに好きになっちゃって、食への執着って前はこんなになかったんだけどね。とにかく胃腸が強いということはよくわかったね。



コリントスを過ぎたら夕暮れの田舎道で、右も左も風景めちゃくちゃいい!
今まで、バスで通ったことのないルート。初めての道が新鮮でね。
目の前に古めかしい建物がどーんって出てきたから、「すごい景色です!」とかひとりごと言いながらビデオ回してたら、観光客が「コリントス遺跡だよ」って教えてくれて、そっかあ! これコリントスなんだ! って。
知らなかった。コリントスってエイドの名前だと思ってたら、ほんとに現実に在るんだね。

誘導に沿って石畳のカーブをぐねって曲がったら急に人がうわーっていて、すっごい拍手! 
カフェとか人とか、ギュッて密集してて、雰囲気最高。映画みたい。もう全部、自分のためのセットに感じる。サプラーイズ!! と思って、テンションマックスで、「みなさーん! わたしだよー!」みたいな。右手のこぶしを高く突き上げて、「出発しまあーす!」みたいな。すんごい楽しいじゃん何これー! って。テンションうなぎのぼり。既に上がってるとこからのさらなる爆上がりね。

ハイなまま振り返ったら遠くに山田さんが見えて、ピンクのTシャツが目立つからすぐわかった。あれ? あの人ちゃんとしたランナーじゃなかった? どこで抜かしたんだろ? って思って、しばらく真面目に走ってたんだけど我慢できなくなってね。
大声で、「山田さあ〜ん! いいですね〜! 楽しいですね〜!!」って叫んだの。

しばらくして山田さんが追いついてきたんだけど、私がもう止まらないんだ。すさまじいマシンガントークをかまし続けて、そこからかれこれ50km。並走。
説明しがたい。
とにかく信じられないハイテンション。

でもしゃべりまくる私に、えらいもんで山田さんが対応してきてね。たまに「ごめんなさいこんなに話して」とか申し訳程度に一応謝ってみるんだけど、「全然大丈夫ですよ。自分関西人なんで、人の話聞いたりとか、おもろいことも大好きなんで」みたいな。

「私って普段全然話さないんですけど〜、あっよくご存知ですよね?」
「いや知らないよ、はじめてだよ」
「いやご存知です!!」
「ああそういえばそうかなあ。全然話さないから嫌われてるのかと思ってたよ〜」
「そっっんなことあるわけないじゃないですかあ〜!!!!! ギャッハッハ〜!!!」

とにかく私が息できなくなるぐらい爆笑すんの。しかも自分の言った話に大爆笑。
「私こわいですよね〜! もう紙一重ですよね〜! ホラーですよね〜! ゲラゲラゲラゲラ」が、ずーっと続く。よくそんなので走れるねって感じ。

「ヒーッヒッヒッヒッヒーッヒッヒヒーッヒッヒッヒッヒッヒッヒ、ゲェ」って、なんかゲップも出てくるようになっちゃって、まあこれはいつものことだから私は慣れっこなんだけど、それが軽いゲップじゃなくて、「ガーッ」とか「ゴーッ」っていう重たい空気砲だから、初めての人はびっくりするじゃん。気まずいじゃん。だから、私がゲップするたびに「ナイスゲップ!」って合いの手いれてもらってたんだ。
山田さん、ちょっと離れてるところからでも、私が「出しますよゲップー! ガーッ!」ってやったら「ナイスゲーップ!」くれるから、ゲップも出しがいがあってね。もっとかけ声のバリエーション増やしてってお願いしたら、「え〜、考えなきゃいけないんですか? 頭使うなあ〜」みたいな。それで、簡単な手拍子を追加することにして。

私、エイドではどうしても食べ物に直行しちゃうから、距離表示の看板見るの、毎度忘れちゃうんだよね。ていうか、数字見ても全然頭に入ってこないの。
だから、山田さんが看板担当、わたしがゲップ担当って係決めをして、そのあとずっとエイド毎に「いま何キロで貯金は何分で」って山田さんがアナウンスしてくれたの。

それから、「時間あるし、おしゃべり何回繰り返してもいいですよね?」って強引に許可とって、おんなじ話を納得いくまで重ねてたんだけど、ついには歌とか歌い出しちゃってね。
ほら、去年くるみちゃんのためにつくったオリジナルソング。その名も『へ〜そう』。

「♪チャンチャチャンチャンチャチャ」
「えっ伴奏から?」

山田さんもさすが、正しいつっこみ。

「♪チャンチャチャンチャンチャチャ」
「ギターなん?」

「や、ウクレレです」。もうこっちは早く肝心の歌に入りたいから、つっこみ押し切って本編歌い出して。

「最高峰〜のレース♪ スパルタ〜スロン♪
 246km〜いっしょに〜走りま〜しょ♪」 〈以下略〉

5回ぐらい繰り返したら山田さんもだんだん覚えてって、いっしょに口ずさんだりしたんだけど、途中で「もういいわ!」って。疲れてたんだろうね、オーソドックスなつっこみをいただきましたよ。そこで私も、「じゃあ早送りで歌います!」って、3倍速でお届けして。だめ押しに、「ハイ! では今年のバージョンもいきますね、『へ〜そう2017』!!」って、熱狂のリサイタル再演。

山田さんはほっぺた叩くような感じで、「これってスパルタスロンですか? これがぼくのスパルタスロン2017ですか……?」みたいな、なんの悪夢かみたいな顔。

「星が出てたらキラキラ星うたおうと思って英語バージョン練習してきたんですけど、曇ってるなあ」って残念がったら、「曇っててよかった神様ありがとう!!」とか言って曇天を切なく見上げてて、これ以上歌ったら山田さんが星になりそうだった。

ちょうど通りかかった日本のサポートカーに向かって山田さんが大声で、「河内さんこの人すごいね〜! 助けて〜!!」みたいな。「あきちゃん初体験!(悪い意味で)」みたいな。憔悴されていました。



2017年10月20日金曜日

50km〜81km《若木》

50kmすぎあたり、壁面に大きな落書きがありました。
赤字のスプレーで、「ΣKATA」。
読めもしないその落書きからなぜか目が離せず、いつまでも壁の赤文字に焦点があってしまうのが不思議でした。
赤文字系ファッションってわかります? 雑誌だとCanCamとか、かわいい女子が読むモテ系の格好なんですけど。
ギリシャにもあったりするのかなあ、赤文字で「ΣKATA」

などと、脳内でぼんやりファッション誌のロゴを組んだりして、通り過ぎてからも網膜から消えなかった「ΣKATA」に、突然答えがひらめきました。
「……スカタだ!!」

大会前、通訳ボランティアの坂根さんにいくつかのギリシャ語を教えていただいたんですけど、そのひとつが「スカタ」って言って、日本語で「うんち」なんです。
坂根さんからは、音だけをカタカナで教わっていたので書き方までは知らなかったのですが、「ΣΠΑΡΤΑΘΛΟΝ」の読み方が「スパルタスロン」だったことを思い出して、じゃあ「ΣKATA」Σ、は、スパルタのス、じゃん!
ス・カ・タ!! って。

「うんち」かあ。
国は違えど、壁の落書きの内容ってだいたい世界共通なんだなあと思うと、くだらなくて笑えました。自分の力で答えに辿り着けたこともうれしくて、「これで運(ウン)もつきますね!」って心の中で坂根さんに謝意を伝えたり。

便意を覚えましたが、きっとスカタのことばっか考えていたせいだと思って、「まやかしの便意に惑わされるな」と眉間に皺を寄せて唱え続けたら見事におさまりました。
洗脳されやすい体質です。

スカタを越えてすぐ、あきちゃんらしき背中を見つけた、と思うと一瞬で追いついてしまいました。武内さんは他の選手にもどんどん抜かれていて、見るからにペースが落ちているようでした。
もっと後半に追いつくつもりだったので、不吉な予感がしました。サロマでも、今と同じ60km地点で捉えてそして、その後あきちゃんはリタイアしたのでした。
結局、どれくらい練習したかをわたしたちは互いに話しておらず、それぞれ「自分なりにやった」としか表現できなかったから、あきちゃん……やっぱり脚できてないのかな、だめなのかなと思った。
いっしょについてくるんじゃないかと期待していた背中の足音はみるみる遠ざかり、振り向いたときには既に小さく、どのランナーがあきちゃんなのか、もうわかりませんでした。
「幸運を祈る。」そう願うしかなかった。

まもなく前方に山田さんを発見。
そしたら急にギアが二段上がってペースアップ、わざと軽い調子をつくって「ウィ〜!」っつって、男子校生みたいな口をきいてすごいスピードで抜かしました。
山田さんが「おお〜」って感心してくれてうれしかった。
今までろくに話したこともないのに、自分はどういうわけか山田さんに対してめちゃくちゃかっこつけていて、何これ。戸惑いました。
どうもわたしは山田さんに「男らしい」と思われたいようなのでした。山田さんのことを同性として、性的に意識しているんだと思った。わたしの中のホモが目覚めた瞬間でした。

ジェンダーが振り切れたあとは、ひたすら山田さんの描写に心を砕きながら走りました。
山田さんは笑顔がむさ苦しい人で、髪は……、髪はあったっけ? 禿げ散らかしてる印象もないけど、ふさふさだった気もしません。なんか、大会Tシャツをラフに気崩していたのがオシャレだと思った。あのTシャツを小粋に着こなすことができるなんて。
もし、男子校時代に山田さんと同じクラスだったら、自分は絶対パシリに使われていたと思うんです。山田さんが部活の先輩だったりしてもいいですね。山田さんに焼きそばパンとメロンパンとを献上している自分が目に浮かびます。
山田さんいいなあ。山田さんにいじめられて登校拒否とかしたかったなあ。
あのいじめられっこの自分が、スパルタスロンでいま、山田さんを鮮やかに抜き去ったと思うと感慨深いものがあって、すごい、山田さんの妄想で10km稼げました。
「山田」っていう、工夫のかけらもない、なんかからっぽな名字も使い勝手がよかったし、お世話になりましたありがとうございます。

《画像はイメージだよ!》

2017年10月19日木曜日

50km〜81km《武内》

若木です。
武内さんのおしゃべりをもとに文字起こししています。
もう一度言うけど、この完走文はフィクションです。

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少し息が苦しくなって、ちょっとペース落ちてたのかな。
まだ時間あるし気にしてなかったんだけど、58kmで「あきちゃん」って呼ぶ静かな声がして、くるちゃんだった。
「はや! くるちゃんもう来たんだ!」と思ったよ。並んだと思ったらもう先に行かれてて、「足痛い?」って聞かれたっけな?「大丈夫」って答えたんだけど。

大会直前、ときどき、ふとした瞬間に足首が痛むようになって。
246kmも走ったらどうせどっかは痛くなるんだから、って気にしないようにしてたんだけど、やっぱイヤじゃん。
……痛くなってよかったとも思ったけどね。「ハイここで練習やめ!」っていう、やめどきがわかりやすかったから。足首が痛くならなければ、他のどこかが痛くなるまで練習してたと思う。
で、大会中はなんと足首、痛くならなかったの! 
調整成功〜! と思いながら走ったよ。

あと、「よく食べる」「おなかをすかせない」の目標通り、全エイドで飲み食いした。
おなかがへったら体力もやる気も完全停止しちゃうから。
だからよかったんだけど、エイド、ちょっと多すぎるとも思った。もっと少なくていい。あったら誘惑に負けて寄っちゃうから……。〈とばせよ〉



とかやってたら坂東さんが来て、楽しくなって。緑茶、「飲む?」って。いただきました。緑茶っておいしいね。
くるちゃんさっさと行っちゃったし、ひとりでとぼとぼやってたんだけど、工業地帯に入って景色も変わって、それもよくてね。
私ひとりで走るの好きじゃないからさ、ひとりだとさぼっちゃうし。
坂東さんといっしょに行こうとしたら、「先行って」って言われて、「いやこれが私の、自分のペースだから」って負けじと反論。しばらくいっしょに走ったんだ。
坂道のとこで、「この角度で(傾斜と並行に)見たら坂に見えませんよ〜」ってアドバイスしたりとか……。全然通じてなかったし、私もあんまり覚えてないんだけど。

なんか私すっごいテンション上がって気が狂った感じでゲラゲラ笑いながら走ってたら、「あきちゃんはふざけてるかもしれないけどこっちは真剣なんだ。大切な大会なんだ」みたいなこと言い出して、ああん? と思って。「アアシだって本気だよ! 絶対完走するから!」って。

「坂東さんも今年こそやっと完走できますね」「しない」「はっ?」「次のエイド、ひとつ先までのことしか考えない」「でも完走するんですよね?」「しない」

「これでリタイアしたらあきちゃんのせいにするからね」「いいですよ私のせいで」「しないよ」

この人は「しない」以外の決断ができないのかとか思いながらもなかよくやってたのに、なんかのタイミングで突然キレて「ほんとに先行って!!」って怒られて、そんでほんとに、シュッて先行った。
実際自分ふざけすぎだったなと思って、我に返って。


もっときついことないとスパルタっぽくないなと思いながらコリントスに着いちゃって、あっけない感じ。こんなんでいいのかなあって、なんかふわふわした気持ちだった。


2017年10月18日水曜日

5km〜50km《若木》

5km地点、強めの坂道に差しかかったところで武内さんについていけず、自然に離されました。他のランナーにもガンガン抜かれましたが、上り坂が弱いのはいつものことなので、悲観せずにマイペースを徹底しました。

序盤、武内さんについていったおかげで、関門時間に余裕がありました。
まだ始まったばかりで、余裕と言ってもほんの5分とか10分とか、小さな話なのですが、去年は30kmが関門2分前のきわどい通過だったんです…。
スロースターターのわたしにとってスパルタスロン前半の関門はかなり厳しい。5分でも10分でも、前半の貯金は何がなんでも死守すべき、貴重な時間なのでした。

でも、せっかくの貯金をありがたがる展開にはなりませんでした。
例年だと9時頃から強い日差しに悩まされるのですが、今年は曇りで涼しいまま。ペースは落ちず、苦しさもなく、着実に貯金が増えていきます。
この調子なら、今年に限っては関門アウトの心配はなかろうと判断して、20kmを越えたあたりから時計のチェックをやめました。

42km関門、「いつもよりこんなに速い」って思いたくてやっと時計を確認する気になったのですが、応援の人だかりに気をとられて数字が読めず、結局通過タイムも貯金もわからないままでした。

そうだ、後頭部をつくっていたせいで、各ランナーから相当声をかけられたんです。
わたしにも、その都度笑顔で応じる余裕があって、エールを交わすと実際励みになりました。
オリジナルのスパルタスロン仕様ユニフォームにも自信がありました。背中に書かれた、ギリシャ語の「ブラボー!」を読み上げる声が聞こえるたび、彼らからあたたかいエネルギーをもらえたようで元気が出ました。
それから、「あたたかいエールでもって元気に……って、おい」と思った。あまりの月並みさに自分で引いて、「今年は涼しいから! 暑い年だったらこのあたたかさは正常にうざかったはずだ」って。一生懸命ニヒルな自分を保とうとして、無闇に心を動かさぬように気をつけながら走りました。


2017年10月17日火曜日

スタート〜50km《武内の語り》

若木です。
あきちゃんは完走文書かないとのことで、もったいないのでわたしが武内さんの語りをもとに書き起こします。
先に逃げを打っておきますがこの完走文はフィクションです。

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序盤、絶対無理しない。楽なペースでって決めてたけど、でも速かったんだね。
キロ5分半で走ってた。
くるちゃんに「ちょっと速すぎるかも(くるちゃんにしては)」って言おうかと思ったけど、体感で走ってるんだろうし別にいいかと思って黙ってた。5、6kmのところ、坂道だったのかな。気づいたらくるちゃんいなくなってた。

わたしは練習が嫌いで、大会前はジムでトレーニングしてたんだけど、行こうと思ってた時間に毎日遅れる。でもせめて、前日よりは早く行こうって決めてて、「いやいやあんな遅れるわけにはいかないっしょ〜、さすがにあそこまでダラダラしないっしょ〜」みたいな。ジムは平日会員だったから、土日は休みでさ。それで1週間ごとにリセットされちゃって、月曜が来るたびまた遅いとこからやり直しなんだけど。
けっこう甘やかしながらやってたよ。なんとか玄関出ようとして、「やりたいならやればいい。やりたくないならやらなくていい。やらなくていいから行きな。」って。

つまんないじゃん。トレーニング。
でも大会中はとにかく楽しかったんだよね。
練習だといくら走っても減らない246kmが、本番だとちょっと走っただけでガンガン減ってく。走りきれば終わるんじゃん! っていうのが、すごい信頼できるっていうか。
練習最後のジムで、「ありがとうございました。もう来ません。」って思いながら走ったんだけど、やっぱうれしくて「もーう来ーまーせん」って、ちょっとリズム入っちゃうんだよね。体は健康だったけど、気持ちは不健全だった。

練習はどれだけやっても終わりがない。絵も、描けば描くだけよくなるってわけじゃない。
でも今は違う。確実にゴールに向かってるっていうのが体感としてあって、走るのが心から楽しいと思えた。

応援も風景も全部新しくて、10kmすぎたぐらいからテンション高くなっちゃって、16kmでビデオ撮った。「超たのしい〜!」って叫びながら。
42kmの関門では計測器もあって応援の人たちもいっぱいで、もうゴールみたいな走り。「ひゃっほ〜!」ってハイタッチしまくりで。

《計測器を踏むあきちゃんの背中》


ペースは少しずつ落ちてたんだけど、関門には余裕があるし、気にせずマイペースで行こうって。

《つづきます》

2017年10月16日月曜日

並走

いつも、スタートしてすぐは足が重い。
地面をキックなんてできない。
足裏がコンクリートにひっついたみたいな、へばりついたガムみたいな、ねばねばした走りで前半の関門通過がギリギリになる。

身軽な武内さんは出だしから速い。
同じ大会に出る時は必ず、武内さんが先行する。
50kmを過ぎてやっとわたしが追いつくというのがいつもの展開で、今回もレース前は、「中盤以降のどこかで並走できたら」と話はしていたものの、特に約束などはなかった。
各々、自分のペースで。
もし会えたら励まし合おう、程度のドライさを保ってスパルタスロンがスタートした。隣同士で走るはじめてのスパルタ。



でもわたしががんばったんですね〜!
ふたりくっついて「(ありがとう)」の単語ができるユニフォームの性質上、できるだけ隣にいたいと思って、いつもの入りよりも速く走ろうと、うんとがんばったんです。
あきちゃんもあきちゃんで、序盤飛ばさずだいじに行こうと心がけていたそうで、なんとなくわたしにペースを合わせてくれました。
迷惑にならぬよう、遅れぬよう、あきちゃんと隣り合わせで走っていると、苦手な滑り出しもつらくなくて、これは快調だと感じました。
「調子いい。」とわたしはあきちゃんに言ったそうです。「こわいぐらい調子いい」って。
気温も涼しかったんです。
風もあって、全身で気持ち良くて、なんだか頭のてっぺんまで風のお風呂につかっているみたいだと思いました。
いいなあ、走るって気持ちいいんだなあと思いました。
ちょっとランナーズハイだったんだと思います。
月経周期の乱れみたいな、開始5kmで来た早すぎるランナーズハイ。



そしてこのあとの240km、もうこれ以降一度も、ランナーズハイはやって来ません。

2017年10月15日日曜日

殻破後頭部在






なんか毎回こういうこと言ってる気がするけど、今年は後頭部剃らない予定だったんです、目立ちたくないし……。
せっかく髪の毛生え揃ってやっと普通になっていたし、大会中はどうせ帽子被るし、「今年は後頭部ないの?」「ないの。」って。
「なんで?」「だって……(沈黙)」って。
内にこもりたいなあ、殻破るのしんどいからなあって。

でも結局、やりました!
やってよかったです。

殻破れて後頭部在り。

ほら、古文で習ったあれです。

「国破れて山河在り

 城春にして草木深し

 時に感じては花にも涙を注ぎ

 別れを恨んでは鳥にも心を驚かす」


「殻破れて後頭部在り
 
 パルテノン神殿夜明けにして闇深し
 
 時に感じてはカメラに視線を送り

 再会を祝しては後頭部にも心を驚かす」

自分で作っといてどういう意味だか全然説明できないんですけど、なんとなくニュアンスで、とにかく後頭部が全世界的に人気だったってことが伝わったでしょうか……?


なんかオフィシャルっぽいビデオカメラで取材とかされましたよ。
色々指示を出されて、今にして思えば、「正面の顔で『スパルタスロン』って言ったあと半回転して後頭部を見せろ」っていう簡単なミッションだったんですけど、何しろ英語ができないので散々もたついてね……。
申し訳なくて、最後に「シグノミ(ごめんね)」ってギリシャ語で言ったらそこが一番ウケました。


自分の後頭部でだれかが笑ってくれるというのは、やっぱりうれしいものでした。
勇気を出して後頭部、開放できてよかったです。
後頭部を中心に人の渦に揉まれていると7時はもうすぐそこに迫っていて、緊張する隙もないまま、ほんの一瞬武内さんと手を握り合って、ギャーギャー騒々しいスタートが切られました。

2017年10月14日土曜日

課題は寝食

わたしが寝付いた時、あきちゃんはベッドの上でノートやスケッチブックを広げていました。絵日記をつけているそうでした。

抜粋『18時、くるちゃんから寝息きこえる。』


いままで武内さんが参加してきた大会は、サロマ、鯖、台湾など。
過去のマラソン大会で前夜眠れなかった率は100%だそうで、それでもどんなに睡眠不足でも、レース中ほとんど眠くならず走れる武内さんに、わたしは心からの畏怖と尊敬とを抱き続けてきました。
レース前眠れないのはあきちゃんのデフォルトらしく、今回も、「わたしは絶対眠れない。でも横になる。眠れなくても横たわっているだけで体は休めるらしいし」と得意げに宣言していました。
だけどわたしにはそれが効かなくて、いくら横になっていても頭が眠りをつかめないと翌日の眠気がひどいんです。体は寝ているのにうまく眠れないとなると、かえって眠れない状況にイライラしてしまってものすごく疲れる。睡眠剤の導入も本気で検討しましたが、「眠剤使っても興奮が勝って眠れなければ、レース中余計ボーッとする」みたいな話も聞くし……。
18時に眠れたのはいいとして、20時に目覚めてしまったりすると最悪なのでした。

だから、夢からふらふら醒めた闇の中で、「起きてしまった自分」を認識してしばらくは、こわくて時計を見られませんでした。
もう一度眠れないかしばらく待ってみたのですがだめでした。今何時かが気になってバッチリ覚醒。
隣ではあきちゃんが寝息を立てています。よかった寝ている。そして一体今はいつなんだ……。

そうこうしているうちに尿意まで催してしまい、ごめんねあきちゃん(起きないで)と思いながらそっとトイレに。意を決してスマホを見たら時刻は2時半でした。

めっちゃ寝てた。

18時から2時半……まあ2時までだったとしても、8時間睡眠! 
よく寝たんですね〜。
さらにそっからもう一眠りいきましたからね!
なんか、レース前なのに緊迫感がないんじゃ、と不安になるほどよく寝ました。

4時20分にセットした目覚ましを使うことなく、あきちゃんが4時、行動開始(もし早く目が覚めても4時まで待とうねってルールでした)。
洗面所に向かって「おはよ〜」と声をかけると、「なんと、わたし、眠れたんだよ!!」という元気な声が返ってきて、色々うまくいきすぎでした。
あまりに幸先のよい朝。
おはようございます。



わたしは眠気に弱いけれど、あきちゃんは空腹に弱い。
おなかがすいた時のフラフラ感で、本当に動けなくなるそうです。
そりゃそうだろうなと思います。体脂肪率9%のちっこい体に、燃やせる脂肪の蓄えがあるはずありません。
なので、とにかく食べ続けることがあきちゃんの完走の鍵だそうで、朝起きてからスタートまでの食べっぷりが、わたしが言うのもなんですがものすごかったです。
バスの中にまでバナナ持ち込んで食べてる人初めて見ました。


周囲のランナーが、バナナを貪るあきちゃんの姿に「元気だねえ〜」と目を細めており、祖父母に大食いを見守られる孫みたいな、なつかしの光景が展開されていました。

2017年10月13日金曜日

 

エーゲ海に沈もうとする太陽が、空で発煙しているところ。



いよいよ明日は大会です。
天気予報は曇り。気温23度。
とても涼しく、走るのには絶好の天気予報です。

毎年おなじみのフェニックスホテルで、わたしたちはレース前の高揚感を、ちゃんと満喫できていました。
スパルタももう4度目です。ビビりのわたしもいい加減慣れていたし、なにより今年はあきちゃんが初の選手参加。走ることのドキドキを分かち合える存在は、心強いものでした。

「目標は低く、志は高く」というのが、今大会におけるあきちゃんのスローガンです。
サロマでは目標を高くしすぎてだめになっちゃったけど、志なら高ければ高いほどいいから、って。
「目標は完走。それだけ。でも完走は絶対する。完走するって決めてるから。」


「ただの完走」だって全然低い目標じゃないと思うけど、完走することを「決めてる」って表現するあたり、武内さんらしいと思いました。
別に褒めてない。
なんかそれ、神様に対して不敬じゃない? と思ったんです。
完走もリタイアも、自分の志とは無関係に、勝手に神様が決めるものだとわたしは拗ねたようなことを考えていて、この時点では武内さんの完走を半分ぐらいしか信じていない。自分が初年度リタイアしているしね。あんまり簡単に完走されたら寂しいとも思いました。
だけどあきちゃんに、「くるちゃん最初の年ほんとに神頼みしてたもんね〜。『神様神様』ってバカみたいに天を仰いでいたよ」とにやにや笑われて、やっ、やめてよ……! 練習不足をひっさげて神にすがるしかなかった4年前を思い出して頬を染めながら、「ああ、あきちゃん自信あるんだなあ。ちゃんと練習してきたんだなあ」って、その時ストンと腑に落ちました。
そうか、あきちゃんは完走するんだなと思った。


レース中、エイドで受け取る荷物を仕分けし終え、日本語での大会説明会も終え、明日の準備はバッチリで夕方5時。
わたしたちはベッドで就寝体勢をつくっていました。
はじめから談合の上、ふたりともレストランでの夕食には行かないつもりでした。人に会うとどんな刺激が入るかわからない。気が昂って寝られなくなるのを恐れていました。
レース本番の不安より、レース前夜に眠れるかどうかの不安のほうがわたしには大きくて、今ちゃんと寝られさえすれば完走間違いない。でも睡眠に関しては努力の仕方がわからない。どうがんばったら安らかに眠れるのか。絶対寝たい。人生ベスト級の熟睡が欲しい。……ってあんまり意気込むと空回りしちゃうから、ぼけーっと興味ないふりでやわらかく眠りを待つ……。

そうやってわたしが入眠に向けて懸命にメンタルを整えていると、あきちゃんが「お昼もうやってないよね」「パン持ってくればよかった」みたいな、なんかおなかすいたみたいなこと言い出すんですよ! お昼はお昼でちゃんと食べてるんですよ!?
「はあ!? じゃあ勝手に夕食行きなよ!」
でも、武内さんがひとりで夕食に行くと、自分は一食分損することになるとか思ってどうも悔しく、ここにきて沸き起こるさもしい貧乏根性。
やはり自分も夕食を摂るべきなのではなどと迷いが生じて、入眠が遠のきました。


とか言って、18時にはもう寝ていた。

去年のスパルタでは熊本の山下さんにもらったガレットを食べてよく眠れたので、今年もせがんで送ってもらい、お守りみたいにアテネに持ってきたのです。
当初の予定どおり、ふたりでガレットを分け合ってルイボスティーを飲み、そしたらあっけなく眠りについていました。

2017年10月12日木曜日

スパルタ前恒例ダイエット

今年のダイエットはこんなでした。

祖母のお通夜で大量に余ったお弁当を見捨てられず、ジップロックに詰めて持ち帰り、冷凍庫にぎっちぎちに保存。
大会まで、その保存食をちびちび解凍して食いつないでいました。
一ヶ月半もの間、食費がほぼゼロ円だった。
冷凍庫がからっぽになるまで買い物に行かないと決めていたので、お菓子など余計なものを買わずに済んで助かりました。
不満足な食生活で心は荒みましたが、いいんです痩せられれば……。
祖母は安らかな大往生だったので、お葬式では死を悼む気持ちがまったく起こらなかったのですが、日々の食事のたび否応なく祖母を思い出したため、結果的にはだれより哀悼の意を示すことができました。動機はどうあれ、行為が大切だと思いました。

というわけで、目標には届かなかったけど、痩せた。
サロマから8キロ減です。
苦しかった。
もう思い出したくもない。
祖母の死もろとも葬り去りたくなる、つらい毎日でした…。

出国前武内さんと合流して、「体脂肪がね体脂肪がね!」って、19.5%になった体脂肪を自慢しようと話しかけたら、信じられますか……?
武内さんの体脂肪は、「9%だよ」。
……!!!!!

びっくりしすぎると感情ってぶっ壊れるんですね。
驚きのあまり呼吸困難になり、それから笑いの発作が起き、さいごには泣きました。
死ぬほど笑って腹筋を酷使したので、この日は筋トレをさぼりました。


2017年10月11日水曜日

夏の声

7月22日
いつも暑い部屋で生活しているわたしには空調の効いた葬儀場は冷蔵庫のように感じられました。
夜は祖母の冬のコートにくるまって寝ました。

翌朝起きたらまんまと喉が痛くて、いま風邪とか引いてる場合じゃない。心底苛立った。強くなりたいと思ってやっているはずのあれこれが裏目に出る。強くなれないなら死にたいとか思ってしまった、祖母の遺体を前に。



7月27日

前半だれてしまい、このままいっそだれきってしまおうといつもの調子でやけっぱちになる、ところできわどく立て直せた。あやうい

ゼロか100かで考えてしまう癖があるため、少しひっかかっただけでもうだめ死にますになるけど、100がんばれなくても、10でも30でもいいから、ゼロじゃなくすればそれでいいからと思って、…。

すごいぬるいところからのスタートで本当に情けないのですが、毎日元気で健康です。落ち込むことないです。明日は今日よりがんばれると思います。
今日は30かな…明日は100がんばれたらいいです

って書いた2時間後に、猛烈に鋭い気持ちが湧き上がり、やっぱりやる限りは100以外ないだろうと険しい顔で思った。ブスの険しい顔はやばい

100以外認めない
完璧にやる
決めたんだからやる
文体も、である調で統一  だれとも話さない



7月30日
献血できず。
鉄剤投入
お菓子は大会まで食べない
自分の意思では食べない
勧められた食物は固辞しない



8月6日
昨日あとあじ悪い感じで終わってしまって、すみませんでした!
ラジオで聴いたのですが、人を洗脳させようとするときはまず寝不足にさせるんですって。それで、正常な判断ができない精神状態に持っていくそうです。
だからわたしの昨日の沈み込みも、寝不足のたまものだったんだと思います。
寝すぎては後悔して起き続け、また寝すぎては覚醒してと、過眠と不眠を短い単位で繰り返すこの頃ですが、寝られるなら寝てもいいってある程度割り切って、睡眠時間にとらわれすぎないようにしようと思いました。
今日は熟睡できたので心もガサガサしませんでした。



8月7日
だめ  がんばれなかった

昨日、寝ちゃうぶんにはいい、気にしないって決めたばかりなのに、山行く予定の時間に寝てしまった。呆れて虚脱。

なんか夜寝られないんですよ!!
たぶん夕食を抜いているせいです、はやく痩せたくて!

夜、プールが閉まるギリギリまで泳いでいるのですが、翌朝早起きしたいし、家帰ったらすぐ就寝体制に入るんです。だけどおなか空きすぎて寝られなくて、でも食べてすぐ寝たら太るって知ってるから我慢。入眠をもどかしく待つ。いつか眠れると思って耐える。しかしやはり眠れずタオルケット片手に家中を移動、少しでも涼しい場所を求めて寝床を替え、保冷剤敷いてみたり色々試すものの依然として眠れず、早朝諦めてもう起きることにして、朝ごはん食べたところで強烈な眠気に絡めとられて屈服したっていう。
……。

夜ごはん食べようかな、朝食べてすぐ寝てたら同じだもんな……。

うまくいかないよー
うわーん



8月17日
山走れた
走っている最中はいくつか前向きなアイディアを思いついたりして、未来が明るく感じられた。自らに鼓舞された。

反動なのか夕方以降意味不明の落ち込みに見舞われて周りに辛く当たる。自己嫌悪。

めくるめく情緒不安定

ごはんたくさん食べたら眠たくなってきた!

おやすみー!! 元気だよーー!!!


8月18日
浮き沈みに安定感があった
いい加減慣れればいいのに沈むとやはり苦しい
でも、沈んでいる中でも、なんとかして前進しようというたくましさはあって応援したくなった(自分を)。ただのメンヘラで終わってたまるかという気概を感じた。無理やり前を向く目が死んでた。
目ぐらい死なせて



8月19日
だめって決めてだめになった
自分で決めてなったんだからせめて、だめなことに落ち込まないで元気にだめでいる

昼間ずっと寝てた
夜行性でがんばる これから







2017年10月10日火曜日

今年のサロマを簡単に

一昨日から筋トレを再開。
今日は少しだけだけど山に行きました。

いつもスパルタ後はたっぷり足休めして、お正月が明ける頃には完璧なリバウンドを果たし終え、マラソンってなんでしたっけ状態でぶくぶくトド化しているわたしですが、今年は大会の予定もないのにもう走り始めました。
自分とは思えない滑り出し。こわい。
転生したかもしれないです。

今年のスパルタの前の大会は、サロマの100kmでした。
結果はふたりともひどかったです。
二年連続の年代別優勝を狙いにいったあきちゃんは前半ぶっ飛ばして潰れ、90km関門に間に合わずリタイア。
わたしは積年の目標である10時間半をまたしても切れず、11時間7分でゴール。さぼったわけじゃない。必死で、真面目に走ってるのに11時間すら切れないっていう。
あきちゃんの「リタイア」のインパクトが派手なために、わたしの「11時間7分」は地味すぎて目立たなかったのですが、自分の失敗のほうが遥かに深刻だと思っていました。
あきちゃんのは、攻めのレースを展開した上での積極的なリタイアです。
わたしの11時間オーバーは、原因がわからない。天候は涼しくて最高でした。50kmまで順調で、いよいよ、今年こそいよいよ10時間半の夢が叶うはずでした。そのあとも、トラブルがあったわけじゃないんです。なのにずるずる遅れていって、身も蓋もないこと言えば、「走力がない」の一言に尽きる。
落ち込みました。

それが、6月末のことでした。









2017年10月7日土曜日

ワタリドリ計画の展示


麻生さん曰く、「そりゃまずは今年でしょ」とのことで、ありがとうございます。今年のぶんから書かせていただきます。

そんな、友人麻生知子と武内明子とのユニット、ワタリドリ計画が福島で展示をしています。
会期は11月23日まで。ぜひ用事をみつけてお立ち寄りください。
わたしも最終日にあそびに行きます。
とてもたのしみです。

2017年10月6日金曜日

完走しました

ふたりとも笑顔の完走です(ひとつ嘘)。

元気で帰国しました。
応援ありがとうございました。

おめでとうあきちゃん!!!


*写真は合成です