武内院長は、明子ちゃんのお父さんです。
会うといつも冗談を言ってくれます。
熊本弁が優しい、わたしの大好きなお父さんです。
台湾の朝、民宿にて。
後頭部にお父さんの顔を描きました。
今回の台湾は、父親二人と娘二人の四人旅行です。
まだ真っ暗の眠たい朝の中を、てくてく歩いてスタート地点へ向かいます。
マラソン大会は半年ぶり。
スパルタスロンのリタイア以来です。
両隣からふたりの父にサンドされて武内さんの笑顔が白っぽかったです。
5時スタートの、リミットは夜19時。
制限時間は等しく14時間なので、距離が伸びれば伸びるほど難易度は上がります。
シー、ジョウー、バー、チー、リオ、ウー、スー、サン、アー、イー!
ドン!!
マイペースが信条の父とはすぐに離れ、武内さんと並走しました。
前半は延々上り坂ですが、たまにある下りが救いでした。
武内さんは、自己最長距離となる78kmへの挑戦です。
去年45kmを完走した時はジムに通って準備したそうですが、今年は12月に走った333kmマラソン(6日間)を最後に走っていません。
不安です。
とか言ってたら、身軽な武内さんはかろやかな足取りでスイスイ駆けて行かれまして、身重のわたしは息が上がってついていけず……。
身重とは言っても、何かを宿しているわけではありません。
ただの体重増加です。
どすこい!
でも、息苦しいことを除くことなんてできないから、つまり全然良い気持ちではありませんでした。
つらい。
癒されました。
78kmの部の折り返しポイントを過ぎ、100kmの部の折り返しポイントを過ぎると、周囲には一気にランナーがまばらになりました。
50kmから54kmまでの4kmは激坂でした。
中間地点の関門閉鎖時間まで、余裕がありません。
ふらふらになってなんとか折り返して、今度は重力にまかせて下りながら、対向者を見つけるたびにエールを送りました。
表情を歪め、あえぎながら前かがみに進む、父の姿を見つけました。
「お父さん!? 関門、間に合わないんじゃない?」
返事を聞きたくなくて、言い捨てるように猛スピードで通り過ぎました。
つらいよね、わかるよ。
労わる気持ちをうっかり持ってしまえば、それを自分自身にも応用してしまいそうでした。
やさしさは厳禁です。
なんだよ。ふがいないな。
舌打ちをして、負けてたまるかとこぶしを握り締めました。
往路の上りがきつかった分、折り返してからの下りはご褒美です。
100km、78kmのランナーとまた合流するようになると気も紛れます。
ぐいぐい飛ばしたのですが、制限時間との戦いになりました。
残り、20km。
エイドには、ゼッケンを外した父の姿がありました。
60kmでタイムオーバーだったのこと。
あきちゃんはいいペースで走っており、完走は間違いないだろうこと。
「このペースで行ったらあんたも間に合うかもね。」
少しの間、並走して話しかけてくれました。
「…あんた、脚痛いの?」
わたしの変な走り方を見て、問いかけてきます。
痛くない。痛い。痛くない。痛い。
悔しくて何も言えず、ぎりりと父を睨んで振り切りました。
「まあ、がんばりな。」
リタイアした者の余裕を滲ませた父の飄々とした様子がうらやましいような、なじりたいような、複雑な気持ちでした。
完走したい。
そりゃあ完走したいですよ。
けれども、体がついてきません。
練習不足の脚は粘れずに落ちる一方です。
往路では嬉しかったたまにある下り坂が、復路では上り坂となって精神を打ちのめしてきす。
時計を見ました。
もう一度見ました。
何度も、何度も見ました。
もう、どう考えても間に合いません。
へなへなと力が抜けました。
もう、周りにいるランナーもわずかです。
単独走になってしまった夜道を、うつむいて、唇をかみしめて、一歩一歩。
果てしない道のりでした。
一昨年は女子5位、昨年は女子2位。
そりゃあ今年は練習してなかったけど、別に…去年だって一昨年だって練習不足はいつものことだし、それが、リタイアとはなあ…。
スパルタスロンでのリタイアを嫌というほど反省したはずなのに、ずるずる負けぐせつけやがって、どういうつもりなのでしょうか。
スピーカーから、アナウンスが響いています。
「ラストランナー、クルミ! ゴンシー、ゴンシー(おめでとう)!」
メダルまでかけてもらっちゃったよ。
むくんだ手。
来年も出ます。
そして時間内に帰ってきます。
一緒に走ってくれてありがとうございました。
完走してないのにもらう完走メダルは、悪い意味でずっしり重かったです。
おめでとう!!
ゴンシーゴンシー、リーハイリーハイ(すごいすごい)です。
父は完走!
ゴンシー!