完走文を書けないまま2018年のスパルタスロンが終わって半年が過ぎた。
レースが終わった後も喉はなかなか回復せず、覚え書き代わりの録音も今年は満足に残せなかった。
書こうにももう思い出せない。資料が乏しすぎる。記憶のディティールは薄れ、ただ「つらかった」という単純な感想を持つ。
それでも懸命にレースのことを考えていると、忘れていたいくつかのシーンがすごい精度で蘇ってきたりして、他人の記憶のように新鮮である。しかしそれらを、流れに沿って配置するのがむずかしい。完走証には通過タイムと距離とが載ってはいるものの、それが自分の思い出のどのへんに当たるのか、時空がうまくつながらない。大きい小さい記憶の断片が、脳みその壁にぶつかってあっちこっちバウンドする。
自分がはっきりわかるポイントは2箇所あって、コリントス80km(全体の3分の1)、サンガス160km(全体の3分の2)、ここは確実に思い出せる。
今はサンガスを目指しているので、現在地は140〜150kmあたりじゃないかと推測する。
後半、記憶は一層曖昧になる。
思い出さねばと全身でいきむたび、老化が進む気がしてならない。
走るのが体に悪いなら、それを思い出す行為もやはり体に悪いと思う。
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大きなエイドに河内さんとその仲間たちがいて、カレーを勧めてくれた。
細かく震える太ももを強く両手で押さえつけて、布張りのキャンプチェアにぐったり沈み込んだ。背もたれに寄りかかると腹筋がきしむ。カレーライスを猫背で食べた。
右手の震えが、プラスティックの軽いスプーンに正確に伝わってびよびよ揺れた。肩も腕も、自在にあやつれない。太ももの震えは筋肉痛によるもので、指先の震えは寒さによるものだ。腕は震えるというよりは痺れていて、口に運んだはずのスプーンが、右にずれ左にずれ、顎に命中したりした。
スパルタスロンのレース中、椅子に座って食事をするのは5年目にして初めてだった。
カレーライスは至福のおいしさで、緩慢な動作で口に運び入れると、あとはモリモリ食べられた。凍えて、歯がガチガチ言っていたため、合わせて咀嚼も自然にできた。スープが内蔵をじんじんするほど温める。ウケる。食欲があってウケた。
固形物が喉を通るかどうかが衰弱度の目安になる。自分はまだ末期には程遠いらしかった。
「坂東さんすごいええ調子で走ってんで。ついに完走やわ」と、河内さんがニヤニヤしながら教えてくれる。すでに感動を抑えきれていない様子が見て取れる。「えー、じゃあこの先も嵐まちがいなしじゃないですかー」と平板な口調を作って言った。
過酷と言われるスパルタスロン史上においてもとりわけひどいこの悪天候は、坂東さんの番狂わせによるものだ、と満場一致で話がまとまった。
スパルタ名物『坂東さんのリタイア』が今年は見られないと思うと若干寂しいものがあったが、それでもやっぱりよろこびの方が勝る。憎まれ口のひとつもふたつも叩きたいが、うれしいのは事実なのだから仕方がない。素直に祝福したかった。しかし豪雨には閉口した。猛烈な勢いでテントに叩きつけてくる雨音を恨めしく聞いた。
カレーを完食した。
雨は止まない。
空になったお皿の上をスプーンで無意味になぞる。わずかについてきたルーを舐めた。
ため息を押し殺し、重い腰を上げた。自分史上最高の、重く感じる腰だった。
とても眠い。
これまでなるべくレース中食事を控えてきたのは、食べると眠くなるからだ。
でももう、食べようが食べまいがどっちみち同じだった。食べる前から眠かった。眠くなることにかけては天才的な能力を発揮した。
自分の眠歴を振り返る。
小学校時代、給食の後の5時間目が得意科目だと悲しかった。無駄にしてしまうからだ。2時間目も3時間目も4時間目も、下手したら1時間目からうとうとしていた。放課後の合唱部では最後列の隅で起立しながら寝た。卒業式は練習でも本番でも睡魔に襲われた。中学では好きな先生がひとりいて、その先生の授業中だけ、眠くなろうとしても絶対になれなかった。好意を隠すためにわざと寝たふりなどして、かわいいところがあった。高校に入るともうかわいげは皆無だった。登校してすぐ朝弁をし、昼休みは丸々睡眠時間にあてた。美術部の物品庫で、キャンバスの陰に横たわったまま起きられず、5限に突入してもそのまま寝続け、顧問に見つかりかけて硬直した。あるいは5分休みにトイレに行ったが最後立ち上がれず、授業が終わるまでの45分間、仕方なく便座の上でぐらぐら眠った。授業中注意されたことは数えきれない。寝てしまう癖を除けば素行は悪くなかったので、優しい担任からは穏やかに注意されたが、厳しい教師には怒鳴られた。怒鳴られた2分後にまた寝ていて、クラス全体が凍りついたことがある。先生も私も、もうお互いどうすれば良いのかわからなくなって、何となく丸くおさまったのが良い思い出だ。職員室では「居眠り」の名称で呼ばれていたらしい。卒業させてもらえてよかった。大学の講義は出席さえしていれば怒られなかった。他のみんなもだいたい寝ていたからだ。付き合いで舞台やライブや講演会に行く機会が稀にあったが、決まって寝てしまうのでだれからも誘われなくなった。OLにならなかったのはデスクワークができないからだ。なりたくてもなれなかった。
自分が人より病的に眠たがることは間違いないが、病名がつくほどの疾患ではないと思っている。曲がりなりにもなんたってここまで死なずにこられたんだし、デスクワークとは無縁の人生を送る今、生きていて困ることはそんなにないからだ。でもウルトラマラソン中は困る。どうしても困る。眠くなられると困るのだ。こんなに明らかに向いていないスポーツを、なぜ選んでしまったのだろうといぶかしむ。眠くてかなしい。それでも、友人のコンサートの最前列で寝てしまった失態などを思い出すと、寝てもだれかをかなしませたりはしないだけ、マラソンはまだましに思えた。別に今寝たってだれにも失礼には当たらないんだから、それじゃあちょっとだけ、寝ま、す……。と、居直っておおっぴらに寝た。足だけ一応、動かしていた。
もうやる気は完全に失せていた。
夢遊病のように走っていると、日本人の方に保護された。
もうだめです。と言って同情を買い、一緒に走ってもらうことに成功した。
ベテランの方だった。たくさん話しかけてくれたが、雨音がうるさくて聞こえない上に、喉が痛むのでろくに相槌も打てない。会話にならなかった。
かなり長く並走したように思う。迷惑をかけていないかが気になって、何度か先に行きたいか訊いてみたが、本心で言っていないのがバレたのか離れずにいてくれた。
トイレの間も待ってくれた。うんちですけど…と言うと、ゆっくり歩いているからね、と優しく言って先行された。
ルートから離れた脇道にしゃがんでライトを消し、ふんばった。
「…くるちゃん!?!?」はじかれたような声がした。武内さんの大声だった。ライトの光が、まっすぐこちらに刺さる手前で、しゅんと夜霧に溶けていた。
「何してんの!!」「具合悪い!?」「眠い!?」「大丈夫!?」
「声が出ない!」が言えない。答えられずにいると矢継ぎ早に質問が飛んで来た。腕を大きく回して、生きていることを伝えた。「うんこ!?」の問いに、腕を縦におろしてうなづいた。片手でシャッシャッと空気を払って、「先へ行って!」のジェスチャーをしたら、「待ってるよ!!」と武内さんががなりたてた。声だけで、めちゃくちゃ元気があるとわかった。
急いで合流した。ジョイナーさんも一緒だった。「ずっと一緒に走って来たの!」と、元気いっぱいの武内さんが声を弾ませる。「ジョイナーさんおもしろいよすごくいい人だよ。」と、楽しそうに耳打ちしてくる。私がジョイナーさんを恐れていることを知っているからだ。おもしろくて、いい人で、なおかつこわい、というのは両立するんだけどなあ…と心の中で小さくぼやいた。
先行していた方とも合流して4人でサンガスのベースエイドを目指したが、坂道が始まると同時に私はみるみる遅れを取った。
武内さんが、何度も、何度もこちらを振り返った。
何度も何度も振り返り、「待つよ」の意思を伝えていた。
待たせたくなかった。
心配してほしくて遅れているわけじゃなかった。眠くて怠けて遅れているわけでもなかった。ただ実力で遅れていた。
遅れていることがプレッシャーになった。武内さんはともかく、ジョイナーさんに待ってもらうわけにはいかない。殻にこもろうと決めた。武内さんともう目を合わせないようにすれば、きっと理解して諦めてくれるだろう。心を閉ざして下を向く。1、2、3、4、歩数を数えた。できる限り大きな一歩を、前へと踏み出す。一歩。また一歩。傾斜に苦しむ。体が火照る。心拍が上がる。喉がゼーゼー言う寸前の、体温と呼吸のちょうど良いバランスを見極めてペースを作る。300、400、超えたあたりで数を見失った。新しく100、数え直して、上目遣いで前方を見た。人影がないことを確認して顔をあげ、遠くまで目をこらした。
黒々とした木立ちの重なりの中央に、道の先端がぽつんと点になって消えていく。真面目くさった遠近法に、刃向かうみたいにガシガシ歩いた。