2月6日、台湾の南、台南で大きな地震がありました。
台南にはともだちがいます。
以前、お泊まりしたあの家は年季が入っていた。
あのへん一帯は、揺れに耐えたのか。
皆の安否は。
がれきに覆われたニュース画面に思い出すのは日本の震災の惨状でした。無力でした。
東日本大震災の時、世界中で一番たくさんの義援金を送ってくれたのが台湾だったそうです。
じゃあ二番はどこだったのか、三番は四番はどうなのか、わたしは知りません。
額にしたって、大きすぎてピンと来ない。
それでも、知っている範囲での聞きかじった情報を元に、応援ありがとうの気持ちをTシャツに書いて、翌々年、台湾のマラソン大会を走ったのでした。
強い気持ちではありませんでした。
余白があるなら、何か書こう、お礼言おう。それぐらいの軽い思いつきでした。
わたしはそれが初めての台湾でした。
それから何度も台湾に行きました。
言葉も少し覚えました。
「大好き」「おめでとう」「速い」「お疲れ」「つらい」「痛い」「大丈夫」。
訪れるたびにもっと台湾を好きになりました。
わたしは台湾が大好きです。
地震つらい。
東日本大震災では、いろんな人がいろんな表現をしていました。
わたしはできませんでした。
震災から5年が経つけど、いまだにできていません。
できたのは唯一、台湾に謝謝を言うことだけだ。
地震を、作品にできない。
わたしはわかってない。
無知で頓馬で非力だ。またそこで行き止まる。
ひと月後には、台湾に行く。
武内さんとふたりで、初めて走ったナンハンです。
「ありがとう」を書いたあの時から、行き止まり続けている場合なんだろうか。
用意すべき余白が、届けたいメッセージが、わたしにはあるんじゃないのか。
ないならいいんだ。
ないのか。
あるのか。
あるなら