あまり旅券を宣伝していなかった札幌でいち早く買ってくださって、男気! と思いました。
武内さんも、「一目見た時からあの人後頭部だと思ってた」そうで、よくわからないけど描きやすかったみたいです。
柳楽優弥に似ていると思いました。
ロケに来たみたいでわくわくします。
通学時間なのか、下校時間なのか、町には子どもがたくさん歩いていました。
………地面に赤ちゃんが倒れている…!
さーっと血の気が引きましたが、よく見たら人形でした。人形だったと思う。人形ですよね? 人形だと思いたかったです。
異国の、よその家の敷地に入り込めずにあとずさり。
…人形だと思います。
ちらばった木箱はよく練られた抽象画のようでした。
くだものやさんも絵本みたいです。
野菜や果物屋のカラフルさに比べると、肉屋は赤と白しかなくて、めでたいけど寂しいと思いました。
小さな商店のお店の奥にはしまい忘れのクリスマスツリーが輝きを失っていて不憫でした。
赤いセーターの女の子の笑顔のほうが、よっぽどクリスマスのきらきらを思い出させました。
兄弟仲良くお買いものをしている様子がとても微笑ましかったです。
しかし開脚チキンはこちらの角度からだと、スカートが風にめくれたときのマリリンモンローみたいな、すぼめた脚に見えました。奔放さと恥じらいとの両面が楽しめました。
火に当たって暖をとりながら、ひとつ買いました。
通学時間なのか、下校時間なのか、町には子どもがたくさん歩いていました。
………地面に赤ちゃんが倒れている…!
さーっと血の気が引きましたが、よく見たら人形でした。人形だったと思う。人形ですよね? 人形だと思いたかったです。
異国の、よその家の敷地に入り込めずにあとずさり。
…人形だと思います。
ちらばった木箱はよく練られた抽象画のようでした。
兄弟仲良くお買いものをしている様子がとても微笑ましかったです。
道端で、タンドリーチキンがいいにおいをさせて開脚していました。
パリッと焼けた皮に歯を立てると、鶏肉の白い身がほろりと口内でほぐれました。香辛料で武装した内側は、やさしく淡白な味わいです。娘に例えると、「派手な化粧だけどおとなしい18歳」でした。
羊がいました。
羊は今年の年賀状でたくさん見ましたが、サラサラした毛の羊もいるんですね。羊といえばモコモコだと思っていたので意外でした。
落書きの男の子の毛はサラサラでもなくモコモコでもなく、なんか独創的な生え方をしていました。魂が抜けていく瞬間みたいでした。
そっけない陳列棚でしたが、ぴらっと小さく貼られた値段が驚くほど安く、目を疑いました。
5個買って、確か全部で百円くらいでした。
おしゃれ写真を撮ろうとして、パン同士の間隔をどれくらいとるかで武内さんと言い争いました。
何にも期待しないで食べたパンは、持った感じは重いのに食感は軽いという説明不可能な食物で、狐につままれたような気持ちでした。武内さんに手渡して驚きを共有しました。
おしゃれ写真を撮ろうとして、パン同士の間隔をどれくらいとるかで武内さんと言い争いました。
3対2の割合でわたしがたくさん食べた。
密輸入したいぐらいおいしかったです。
草間彌生の作品みたいにうじゃうじゃしている、猟奇的なバナナを見ました。
ほころんだ梅が春の予感です。
都市部に近づくと、赤い三角を乗せている車が目立つようになりました。
見つけるたびにいちいち写真を撮っていたら、三角車がずらりと整列している場所に出ました。
車やさんのようでした。
丘に登ってみようと、坂道に向かって歩きました。
登っても登っても階段でした。
標高2100mのサンクリストバルに、着いた時から参っていたわたしの呼吸は途切れ途切れです。
こちらにはあまり観光客は来ないのか、アジア人が珍しいのか、我々に好奇の目が向けられます。
一言で言うと、「明るい」でした。
精神的な豊かさを重視する旅人特有の思想に染まりたくないと踏ん張る自分のあまのじゃくに、子どもらの尊いほどの無邪気な笑い声がかぶさって、わたしは息苦しさを覚えました。
登頂。
ほんの小さな丘でしたが、眼下にひらけるミニチュアの町に、ほっと吐息が漏れました。
あんまり観念的なことを言いたくはないけれど、幸せについて、富について、考えずにはいられませんでした。