胸騒ぎを沈めたくて暇つぶし。
ゼッケンの両サイドに、日の丸と大会マークを描き加えました。
ウェアの右袖には、チェックポイントや各関門の制限時間。
左袖には標高グラフ。
グラフを集中して模写していると、膨れ上がっていた不安も落ち着き、さらに出来映えが良かったためにまだ走ってもないのに充分な満足感が…。
暇なん? と聞かれると、だから暇つぶしって言ったじゃないですか。
けれども、地図などの紙媒体を持って走ると、汗や雨に濡れてボロボロになってしまう恐れがあるので、ウェアに直接書き込むのは実際おすすめです。
荷物も減るしね。
素肌に油性マジックだと擦れて消えてしまいがちですが、布だとその点も安心です。
ゼッケンやウェアに小細工すると、あとはすることがなくなってしまいました。
万全と呼ぶべき状態。
しかし、いつもギリギリまで準備を先延ばしにしてドタバタやっているわたしには、余裕のある今の状態がどうも居心地悪くって…。
「安心」がこえぇんだ。
不安依存でした。
布団に入って、ネットで過去のスパルタ完走記をおさらいしているうち、まぶたが重たくなってきました。
外はまだ明るいけれど、時刻は18時。
ホテルのレストランの夕飯時間は20時〜21時です。
翌朝のスタートのことを考えると本当はすぐにも就寝して良いくらいなのですが、例年わたしは緊張で不眠に陥っています。
そのため、遅めの時間になるけどちゃんと夕飯食べよう、おなかいーっぱいにしたら眠れるかもしれないから、というのが作戦でした。
「あきちゃん、眠くなってきた。」
「ほんと? じゃあちょっと寝る? 20時に起こすよ」
「ありがとー。」
すぴー。
……………。
「くるちゃんごめん! やばい寝過ごした」
武内さんの抑えた声を現実のこととは思えずに、またまた〜。じょうだ〜ん。と、幸せな感覚を伴ってわたしは明るく武内さんの顔を見ました。
顔を見たらすぐに、冗談じゃないことがわかった。
オワタ……。
もうスタートバスが行っちゃったと、わたしのスパルタはこんな形で終わりを告げたかと思うと無感情で、
「今何時…」
と不気味に静かな声を出すと、
「21時2分。」
でした。
な、ん、だ、よ!!
もう朝かと思ったよ!!
ざけんな!!
まだスタートじゃなかったんだ! やり直せるんだ!!
そう思うと、安堵と同時に激しい怒りがこみ上げてきて、
「はあ!? てめえが起こすっつったんだろ!」
ひどい捨て台詞を吐いてわたしは階段を駆け下りました。
あきちゃんのバカわたしのバカ! 予定狂った!!
とはいえギリシャはルーズさには定評があるし、21時2分でしょ? まだ開いてるよね、と確信していたレストランはこんな時だけきっちり閉まっていて、それでも駆けてきた勢いを止められずドアに体当たりしたら開きました。
給仕さんが、翌朝のテーブルセットをしています。
リュックの中に機内食のパンがあるし、そもそもおなか空いてないや、このまま帰ろうと思いましたが目が合ってしまいました。
あー…。
あの…、アイムソーリー…。遅れました……。
給仕さんは眉をひそめながらも端の小さなテーブルにわたしを案内し、お水をついでくださいました。
気まずく体を縮めて食べるハンバーグは味がせず、そそくさと席を立ったところでギイッと音がしてドアが開き、のぞいたのは間抜けな顔した武内明子です。
給仕の人怒ってるよ!
武内さんもわたしと同じように「まだレストラン営業してるはず」と思っていたに違いなく、超感じ悪い前情報を与えてわたしは武内さんを置き去りにし、部屋へと戻りました。
よく考えれば、18時〜21時まで、まとまって3時間も寝られたのです。
既に去年の大会前夜の総睡眠時間を超えています。
あんなにきつく当たることなかった、っていうかほんとはただただあきちゃんありがとうだよな…。
悔いて詫びる意志が固まりかけたところで、武内さんがしおれて帰ってきました。
くるちゃんほんとにごめんなさい……。
先に謝られてしまいました。
そしたらなんか、なんでか、変になっちゃったパワーバランスを軌道修正できず、わたしは謝るどころかかえって増長して、なおもつんけんしちゃったんですよ。
あ〜あ、寝れねーなーって雰囲気をビンビンに醸し出して、まだ起きてるってアピールするために咳払いしたりして……。
ガキかよ。
安心がこわいとか言ってたら、本当にドタバタが訪れていることが皮肉でした。
もう不安を待ち望んだりしません。
そして日中の大会説明会で社長ランナーの方が配布してくださった睡眠サプリをありがたく飲んだら、粉末に思いっきりむせてますます眠れなくなり、慣れないことはしないほうがいいのかもしれません。
睡眠サプリには副作用がないと書いてあるけれど副作用がなければ効き目もないのでは…?
宗教も薬も、信じていない者に恩恵はもたらされないと思いました。
服薬の備考欄に、「性格良い人のみに効能あり」って書いておいてほしかったです。
それでもその後寝付けたのは、すべて睡眠サプリのおかげですありがとうございます。