後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2016年5月18日水曜日

大エイドまで

朝になれば睡魔は去る。しかしそれは一時的な撤退に過ぎないことを、わたしは久しぶりに思い出しました。
日中も眠気は、第二波、第三波、第四波、第五波…… 退いては押し寄せ、また退いては、威力を増して覆いかぶさってきます。
睡魔は二時間おきに、定期的に訪れました。忘れることなくきっちりと、ノックもなく、無慈悲かつ乱暴に。

スパルタスロンではこうはならなかった……。
こんなに眠いのは集中力がないんだろうか。うとうとしてまっすぐ走れない自分のふがいなさをわたしは責めました。同時に、今、原因を心に求めてはだめだとも思った。レース前に眠れなかったから眠いんだ。スタート時間も夜だった。普通だ。眠くて普通だ。

眠くなると反射的に思い出すのは、数年前に走った川の道でのことでした。
それは東京から新潟までの520kmを走る、春の大会でした。
痛みは精神力でどうにか我慢できたとしても、眠さは精神そのものを機能不全にしていくからどうしようもなくて、あの時の眠気は「眠/ねむ」という語感から想起されるまったりしたイメージとはかけ離れたものでした。実際はもっと、濁音がひとつは欲しいし、画数の多い漢字を用いた鋭い響きの単語でなくてはならない。あの発作的な眠気は、暴走事故とか無差別テロとか、その種のどうすることもできない不幸な事故が、自らの内側で暴発しまくっているような責め苦でした。

度重なる睡魔の襲撃に、なすすべもなく翻弄され続けた川の道の6日間。
すっかりなつかしい思い出にしちゃってたけど、今、また、あの時の眠気が蘇る……。

川の道を走った少しあとで、生まれつき盲目の方とお話できるチャンスがありました。ずっと気になっていた質問を投げかけました。
「最近わたしは、眠くて眠くて限界なのに、朝の光を浴びたら自然に目覚めるという体験をしました。6日間、毎日です。朝ってすごいと思いました。目が見えない方の、『夜』や『朝』という概念はどこから来るのですか? 光がわからなくて、どうやって目覚めれば良いのですか?」
すると彼女はちょっと首をかしげて、「え、だって、目覚まし時計が……」っておっしゃられ、……ふつうー!
ちがう、欲しいのその答えじゃない! と、わたしは思いました。相手の目が見えないのをいいことに、不満げに眉をひそめて思いました。時計は人間のつくりだした文明じゃないですか、そうじゃなくてもっと本能的な何か、あるいはスピリチュアルな……。
そしたらこちらの物欲しそうな気配を感じたのか、「湿度や音が違う。目が見えないぶん、他の知覚にすぐれている」と追加してくださって、さすが、空気を読む力も抜群でした。
盲目の方にも、「朝は朝」らしい。

湿度。音。
当時の会話を思い出し、朝を感じる新要素を睡魔退治に応用できないか試みてみましたが、今はとにかく眠い。すべての五感が死滅していてどんな工夫も効きません。

以前は「眠い」と思ったら瞬時にバタンと横たわって数分、仮死状態になることで復活した例もありましたが、前回のスパルタで寝ながら走ることに成功しているわたしは、足を止めるのがいやでした。休息を意地になってつっぱねました。

ふらふらの千鳥足で進むより、今思うと、ちょっと横になってすっきりしたほうがよかったのかもしれない。うねうね上る、歩道のない、交通量の多い山道で、ハッと我に返ると車道にはみ出していることが何度となくありました。車に轢かれなかったのは運でしかない。

長く続く上り坂で何人もに抜かされましたが、そこには160kmの部の選手も混じっていて、それほど246kmの選手には会いませんでした。
走り去るバスから「クルミー!」と叫ぶ女性の声がして慌てて視線を上げると、窓から流れるおさげ髪がぼんやり見えた気がしました。南横で2位だったお姉ちゃんかな……? もしかしてリタイアバス? 
今の自分ののろのろペースでこれだけの人にしか抜かれていないのはちょっとおかしい気がし始めました。
みんな……、もうやめてる?

標高が上がるにつれ、日がかげり、風も出て涼しく、衰えた意識がシャキッと戻ってきました。
眠さに負けてゆっくりとしか走れなかったから、心肺もまだ、へたっていません。


そろそろエイドの気配です。
木々しかなかった道の両脇に、看板が現れ始め、観光客らしき人の姿もちらほら見られるようになりました。
その中に、見慣れたピンクの人影も。


ハー、あきちゃん!


「ごめんー、漫画、脱いだんだー。暑くてー…。」
「知ってる! 写真で見たよ!」


「おつかれ、どう調子!? 246kmの人けっこうみんな諦めてる。くるちゃんこのまま、やめなければ、いい順位でゴールできるよ!」


「もうすぐ!  エイドあと少しだよ!」


139km地点。
エイドに着いた時、関門までの貯金はまだ2時間がありました。
暑くて食欲がなかった日中は固形物が咀嚼できずに、エイドでは「ティエンダー(甘い)?」かどうかを聞きまくって、黒糖と、甘い飲み物とでエネルギーを補給してきました。
だけどここにきてやっと自然におなかが空いて、水餃子のスープに食指が動きました。おいしい。力が湧きました。



バスから声をかけてくれたのはやっぱり南横のお姉ちゃんでした。わたしは内心ライバル視してたから、リタイアした彼女に励まされてうれしいような寂しいような、複雑な心境でした。
負けないぞって思ってたのに。ゴールまでそう思いたかったのに。

さっきまで、抜きつ抜かれつだったお兄ちゃんもやめてた。
みんな元気そうに見えた。
なんで、と思った。
まだ時間あるのになんで。


ここからコースはさらに高度を上げていくのです。
必須装備は、ダウンジャケットに水300ml以上、ライトふたつと携帯食、リュック。
武内さんが荷造りを手伝ってくれましたが、結局大会側の装備チェックはありませんでした。選手の自主性に委ねられている感じ。


このエイドを、あと2時間後にスタートする106kmの選手、それからすでにリタイアを決めた246km、160kmの選手もかなりの数いて、でも悲壮感はなくにぎやかなエイドでした。


大丈夫、もう暑くない。時間の貯金もじゅうぶんだ。ごはんも食べられた。大丈夫ここからの上り、なんとか耐えてみせる。
「あきちゃんわたし眠くて …、途中で追いついたらひっぱって! がんばってね早く来てね頼むね。」
口ではそう言いながらも、できる限り逃げ切ろうと気合いを入れて出発しました。