レストランに入って食事をしていると、ガイドさんが「これからカンフーなどはいかがでしょうか」と持ちかけてきました。
幹くんが少林武術のスターであることもあってわたしはカンフーに興味があったのですが、父の反応はいまひとつで、先日の鑑賞の演目はカンフーではなく雑技団になったのでした。
ATMに吸い込まれたカードをガイドさんに取り戻してもらった父は、自分の意思を言いづらいのか、決断をわたしたちに委ねてきます。
ううーん。
カンフーを観に行くなら、せっかくなので後頭部を描き変えたいのですが。
顔を描く数十分と、夜でも明るい場所はありますか?
困ったガイドさんがレストランの方に相談すると、今ここで描いても良いとの許可をいただけて、カンフー鑑賞決定です。
ビスケットクジをホテルへ忘れてきた今日は、次に描くお客さんをこちらの裁量で決定しなくてはいけません。
カンフーをよろこんでくれて、なおかつ簡単に描けそうな……。
なおちゃんです!
なおちゃんは小学三年生。
小学校六年生の幹くんとは同じ小学校です。
なおちゃん、幹くんの活躍、うれしかったんじゃないかな、憧れなんじゃないかな。
『慎重派で、最初の一歩をなかなか出せない「なおたろう」に、海外を見せてやってください。そして、運動が苦手な上に毎日栄養いっぱいごはんを食べて、太る一方のなおたろうが、走るくるみちゃんに少しでも触発されて、体を動かすことに興味を持ってもらいたいと母は切に願っています。』
お母さんからのメッセージはこうだったのですが、ごめんなおちゃん! 鑑賞なんていうインドア回に当てちゃったよ!
運動なんて別に義務じゃないし、マラソンは体に悪いらしいよ。
慎重派ってそれは美徳だよ!(軽率なわたしは先日飛行機に乗り遅れました。)
なおちゃんは最高だしなおちゃんのお母さんも最高だよ!
なみこさんからなおちゃんへの変面を、後ろのお客さんも従業員の方もとてもよろこんでくださってほっとしました。
アウェーな雰囲気ならばとてもやりづらかったと思います。
ウェルカムだったお客さんの陽気さ、スタッフの方のおおらかさに心から感謝です。
あと、お水をくださいと頼んで出てきたポットからは豆乳が出てきて、と、豆乳…? 豆乳が飲み放題?
わたしの天国はここにあったと思いました。
お店の名前忘れちゃった!
素晴らしいレストランでした!
鑑賞中、睡魔がやってきませんように!
視界をかすめる光の束を流星に見立ててお願いします。
なおちゃん、劇場に着いたよー!
燃え盛る炎に包まれているような外観にまずは圧倒されました。
開演まではまだ時間があるそうです。
周囲を少し散策しました。
だいぶ見慣れたはずの中国の街並みも、今いっしょにいるなおちゃんは小学生なんだと思うと再びすべてが目新しく思えて、後頭部の持つ魔法の力を強烈に感じました。
新しい世界!
中学校見学もしました。
なおちゃんが中学に上がるまでのあと三年は、なおちゃんにとってはもしかしたら遠くの未来なのかもしれないけれど、わたしにとってのあと三年はきっともう恐ろしいほどあっという間です…とかいう普通のことしか思えなかったり、後頭部の魔法をわたしは全然生かせていない。
信号機の赤と青の光を浴びて、酩酊しているようななおちゃんの瞳…。
チケットをもらって入場しました。
劇場は扉の奥です。
いつも険しい表情で写真に収まる父が妙にいきいきしているわけはなんだと思いますか?
身じろぎひとつせずに壁際に座っている男の子の僧侶が、オブジェだと思っていたら生身の人間だったからなんです。
お父さんこの人人間だよ。
教えるとのけぞってよろこんでいました。
いるはずがないと思い込んでいる場所に人がいても、人として認識しないように脳がなっているのですね。
なおちゃん、お疲れさまでした!
男の子に後頭部のなおちゃんを見てリアクションしてほしかったけど、目は合ったものの、表情を崩すことはできず。
ガイドさんに「びっくりするような席ですよ」と案内された座席はなんと最前列(端っこ)で、興奮も最高潮です。
カンフーショーは母と別れて一人の少年が武術の修行に打ち込む成長物語だったのですが、舞台を大きく使った演出が素晴らしく、手を届けば触れそうなところにナレーターが現れたりして、迫力が段違いでした。
座席が前列端っこだったために舞台袖で待つ演者の様子もチラリと見えたりして、知人の出番をハラハラ待つような気持ちでした。いっしょに舞台をつくっているような厚かましい感覚です。
人の表情までつぶさに見えるのが何より素晴らしく、飛び散る汗が生きている人間の証でした。この人たち超絶筋トレしてんだろうなー! あーわたし最後に腹筋したのいつだ! やらなきゃ! なおちゃん!! やっぱ運動はいいよ! 運動じゃなくてもいいけど運動もいいよ!
鍛えあげられた精鋭達の俊敏なパフォーマンスもさることながら、その全員が坊主っていうのもまた! なんとも言えない異様な圧迫感です。坊主ってだけでストイック度が増すからな。坊主がいかに完成されたフォルムなのかがよくわかりました。眠くなりようがありませんでした。
1日目に見た京劇とかやばいと思う。伝統とか言ってあぐらかいてんじゃないのと思う。伝統云々は別としてエンターテイメントとしての充実度がカンフーに負けすぎている。
練習量も工夫も、とにかく舞台に充満した熱量が圧倒的でした。演者だけじゃなくて裏方の仕事量が随所に見られることにも胸が熱くなりました。
よくできていた! 最高だ!!
カンフー必見です。
これは全編激しいアクションの続く中にあって異色とも言える、「思慕」をテーマにした青年期。主人公が異性への煩悩で思い悩む幻想的なシーンです。
このあとの壮年期(私見)では、行き過ぎたトレーニングによって多分ちょっと頭の壊れた主人公(私見)が、お腹の針山の上にさらに重しを載せてみたり剣の上でバランスをとってみたりと(事実)、痛々しくて見てられないほど心のバランスを崩していく(私見)のですが、老人になったあとはまたちゃっかり子供に戻っていました。輪廻転生がハッピーエンドなのかバッドエンドなのか、また青年期の煩悩と向き合わねばならないとかむごいむごすぎると思う反面、生まれ変わってもまた主人公になるつもり? 後輩に譲れよ。とも思いました。
幕が降りた後は、主要メンバーと舞台にあがって写真を撮れます! 400円! みたいな抜け目ない商売もあって、わたしは全然、だれが行くんだと思って最初キョロキョロしていたのですが、武内さんの瞬発力は比類なく、くるちゃん! 行くよ! お父さん! お金!! 父を急き立ててお金を握りしめたかと思うとわたしの手をぎゅっとつかんで、筋肉痛だったことを忘れたみたいに階段をよじ登りました。
一人分のお金でなおちゃんだけじゃなくわたしも写してもらえて、それはいいとしてあきちゃんも写っているのは何か目の錯覚です。心霊写真です。
なおちゃんのお母さんから求められていた『一歩を踏み出すこと』の大切さを、わたしは武内さんに教えてもらいました。忘れられない思い出です。
後頭部に視線釘付けのおじいちゃん役の彼