札幌でパフォーマンスをした時にすごく笑ってくれて、後頭部ビジネスのややこしい説明をほとんど聞くこともなく瞬殺で旅券を買ってくれました。武内さんはノブさんを一目見たときから「この人の顔、後頭部っぽい」と思っていたらしく、この頃から我々の間では、しょうゆ顔、ソース顔、の分類と同じように「後頭部顔」というジャンルが共通認識として定着しました。
ノブさんはれっきとした後頭部顔で、武内さんもうれしそうにしていました。
飛行機は午後の便ですが空港までのアクセスが心配すぎるので、前夜のうちに荷物をまとめておき、しっかり目覚ましをかけて朝7時に起きました。
拾った靴をマトリョーシカっぽく置き土産にして、ホテルを出発しました。
滞在中何度も往復した橋が、朝もやに曖昧に霞んでいます。
今まで夜間しか来たことがなかったのでわかりませんでしたが、広場のアスファルトには一面、世界地図がプリントされていて、歩いて世界一周ができました。
ウラジオストクと日本列島は、助走をつけてひとっ飛びの間柄でした。
「このまちも見納めだね。」
「さすがに、ウラジオストクに来ることはもうないかもしれないね。」
外気の冷たさと陽の眩しさが北海道と似ていて、五感が「そういや北海道出身」だったわたしを子ども時代に引き戻しました。
後頭部のノブさんは「もう会わないかもしれないけど、ありがとう」という顔で笑っていて、お別れへのボルテージが高まりました。
……2階に行けってこと…?
アル中のリハビリ患者が書いたみたいな途切れ途切れの有機的な線に戸惑って、わかったありがとうございます…。すごすご去ろうとすると、メモを覗き込んで仰天した武内さんが「わかったの? わかってないでしょ? すみませんこの人わかってないです!」と叫びました。おねえさんは「むむむ」という表情でスマホの翻訳サイトを使ってくれて、かざした画面には「ゴーバックアウトサイドアンドターンレフト」みたいな指示がありました。
一旦外に出て別の建物に行けばいいのかな?
自信のないまま駅を出て左方向を見ると、どの建物も空港駅っぽいハイカラな建物に見えて、「あれだ!」と駆け寄った建物のその手前がアエロエクスプレスでした。
本当はその向こう側のpia?という建物が目的地と思っていたことが武内さんにバレないように、なめらかに方向転換しました。
空港への列車は発車したばかりだそうで、次の便は2時間後の12時でした。チェックインには充分間に合う時間ですが、それを逃すと一巻の終わりです。
中ではものものしい荷物チェックがされており、一度改札を通ると外に出られないとのことで、切符は乗る直前に購入することになりました。
それでも、ネットでは「赤字路線だからいつなくなるかわからない」「時間は不定期なので現地に行って調べたほうが良い」などと言われていたアエロエクスプレスがちゃんと運行していることがわかって心底ほっとしました。
時間を気にしながら市内観光をしていると、エキシビションの文字を見つけました。
ルースキー大学には美術科がありましたが、ウラジオストクでギャラリーを見たのは初めてです。
ただ、武内さんに「見る目ないって思われたらどうしよう」という不安が強く、純粋にどれが好き、どれが欲しいという視点では選べませんでした。
中ではものものしい荷物チェックがされており、一度改札を通ると外に出られないとのことで、切符は乗る直前に購入することになりました。
ルースキー大学には美術科がありましたが、ウラジオストクでギャラリーを見たのは初めてです。
ふーん。
へー。
年齢層が高めの、具象絵画サークルの作品展のようでした。
武内さんが、無言のわたしに「どれかひとつ絶対家に飾らないといけないって言われたらどれにする?」ゲームを発案してきて、そうすると俄然真剣に鑑賞しました。総じてしょうもないと思っていた中にも必ず見どころはあるもので、そのように作品に真面目に向き合うことでいつでもなんでもちゃんと心に残る美術体験ができることを学びました。
自分がどれに決めたかは覚えていません。
真剣に悩んだあとで、武内さんが「やっぱあんまり良くないかも」と迷いながら指差した絵がどんなだったかもわたしは忘れてしまいましたが(海の絵だったかな)、なぜこれがいいと思ったのか理由を聞いた時に、ひとりごとのように「挑戦(冒険だったかも)してる作品がいいと思ったから。うん。」と頷いていたのが強く印象に残りました。
あきちゃんいい審査員になるよと思いました。
ギャラリーを出てぶらぶらしていると、駅の近くの繁華街には保育所や大学があることがわかりました。若者が多くたむろしていて実は賑やかでした。
ロシアのお金が余っていたので、カフェで朝ご飯と洒落込みます。
ボルシチ?
ピロシキ?
発音が通じないのかそもそもメニューにないのか、ボルシチとピロシキという注文は却下され、ショーケースのキッシュを指差して、「注文する」という難関を突破できました。
いただきます!
ロシアに来てからずっとスーパーかセルフサービスのお店しか入っていなかったので、フォークとナイフがきちんと備えられているサービスに感激しました。
味ももちろんおいしかったのですが、緊張のあまり「東京で食べてるみたいな気がする」という感想を持ちました。自分の東京観が10代から進歩していません。
窓の外では看板の清掃がされています。
働く人々の姿が目に痛かったです。
ちょっと一息のはずがあっという間に時間が経って、乗り遅れては大変と早足でアエロエクスプレス社に戻りました。
旅の最中、一度もウラジオストクを「ウラジオ」、アエロエクスプレスを「アエエク」、と略したりしなかったなあと思って、身の程をわきまえているところはいいと思いました。
面倒な単語を最後まで言うことで、敬意を払った気になりました。
何光年もここに眠っているとおぼしき、化石のようなお土産が並んでいました。
浮き足だった人々に次々キャッチされて、ノブさんの照れた笑顔が眩しそうです。
2階の郵便局でエアメールを書きました。
机に画材を広げて一瞬でアトリエ化しました。
余ったお金を日本円に換金しに行くと、自分の知っている貧困などままごとみたいなもんだと感じずにはおれない、よどんだにおいの団体が長蛇の列を作っていました。馳星周の登場人物の回想シーンに出てきそうな恵まれなさだった。初めて間近に感じたあの、空間を制圧するような沈殿した空気感は一生忘れられないと思います。
ビザに記されたワカキクルミの名は、ロシア語表記だとワカキがバカキになっていて、うんうん、それ日本でもたまに言われるよ面白くないよ。と平静を装いました。
となりの席のロシア人はロシア人のくせに明るく、一緒に写真撮ろうよと話しかけてきて、ノブさんの顔を出すと「いや違う、正面だ」と言われました。アジア人が珍しいみたいでした。絶対後頭部のほうが珍しいよと思って、二回目には頑固に後ろを向いたのですが、横目で彼の動向をこっそりチェックしたところフェイスブックの投稿に採用されていたのは正面写真でがっかり。
韓国で乗り継ぎです。
日本到着。
山手線に乗り換える頃になっても空港での興奮は醒めず、堅い職業の人から声をかけられたことがますますうれしかったです。それから海外では比較的社交的なのに国内では内向的になる自分のアイデンティティの定まらなさについて頭をひねりました。
ヨーロッパや中国、タイを旅したときには感じなかった、ロシアの人の冷たさ、無関心さに対して、「日本人の内気さはコミュニケーションとりたくてもとれないって感じがするけど、なんかロシア人は堂々としてたよね。自分は自分、っていう自信を感じるよね。」
あきちゃんいい審査員になるよと思いました。
ギャラリーを出てぶらぶらしていると、駅の近くの繁華街には保育所や大学があることがわかりました。若者が多くたむろしていて実は賑やかでした。
ロシアのお金が余っていたので、カフェで朝ご飯と洒落込みます。
ボルシチ?
ピロシキ?
発音が通じないのかそもそもメニューにないのか、ボルシチとピロシキという注文は却下され、ショーケースのキッシュを指差して、「注文する」という難関を突破できました。
いただきます!
ロシアに来てからずっとスーパーかセルフサービスのお店しか入っていなかったので、フォークとナイフがきちんと備えられているサービスに感激しました。
味ももちろんおいしかったのですが、緊張のあまり「東京で食べてるみたいな気がする」という感想を持ちました。自分の東京観が10代から進歩していません。
窓の外では看板の清掃がされています。
ちょっと一息のはずがあっという間に時間が経って、乗り遅れては大変と早足でアエロエクスプレス社に戻りました。
面倒な単語を最後まで言うことで、敬意を払った気になりました。
車内では陽気な観光客に「写真を撮ってもいい? 超クールね!」 と言われたのをきっかけに数人の駅員さんにも声をかけられました。「イイね!」
観光客は「ロシア」と書いた帽子を被っているからロシア人ではないにしても、駅員さんは地元の人だと思います。空港とつながる、日常から少しずれた場にいるだけで、誰もがふわふわ浮き足立つ気持ちが手にとるように感じられました。
終着です。
空港に、着きました!
浮き足だった人々に次々キャッチされて、ノブさんの照れた笑顔が眩しそうです。
机に画材を広げて一瞬でアトリエ化しました。
余ったお金を日本円に換金しに行くと、自分の知っている貧困などままごとみたいなもんだと感じずにはおれない、よどんだにおいの団体が長蛇の列を作っていました。馳星周の登場人物の回想シーンに出てきそうな恵まれなさだった。初めて間近に感じたあの、空間を制圧するような沈殿した空気感は一生忘れられないと思います。
わたしは入り口で待っていたのですが、集団に飲み込まれて隠れていた、武内さんの小さな姿がようやく見えた時には心配が解放されて吠えそうになりました。
換金した日本円は2000円くらいになって、成田に着いてからの電車代として活躍しました。
ロシアを去ります。
タケウチアキコのアキコもアホコになっていたりしないか期待しましたが、そんな奇跡はなくて孤独です。
それから武内さんとわたしは機内サービスの映画をいっしょにみました。邦画。「陽だまりの彼女」。
観終わってふたりしてぐったりエンドロールを眺めていると「女子が男子に見てほしい映画ナンバーワン」というふれこみが出てきて気絶しそうになりました。正直言うと、ふたりとも、泣きました。でもそれは条件反射であって、実際は「そうじゃないんだよ、そうじゃないんだよ!」の連続でした。自分たちは女子じゃないという確証を得て、苦いよろこびをあたため合いました。
機内映画は他にもあんなにいっぱい選べたのに! ドひどい! 樹里はかわいかったです。
偶然、何かのイベントに鉢合わせました。
武内さんに、後頭部も行進に参加して! とそそのかされましたが、伝統文化を尊重しなければと殊勝なことを思うと足が動きませんでした。
日本到着。
成田空港の最終ゲートをくぐる時に、「その頭で外国行ってきたの! 勇気あるねえ」と笑ってくれた検疫の方がいて、日本で透明人間のような気がしていたわたしは、何かその人は「見えないものが見える」的超能力の持ち主なんじゃないかと不思議に思いました。
ヨーロッパや中国、タイを旅したときには感じなかった、ロシアの人の冷たさ、無関心さに対して、「日本人の内気さはコミュニケーションとりたくてもとれないって感じがするけど、なんかロシア人は堂々としてたよね。自分は自分、っていう自信を感じるよね。」
武内さんとそんな話をしたのですが、実はその感じ方すらも、常に謙虚であれという日本特有の教育がもたらした発想なのではないかと思いました。卑屈癖が染み付いていているせいでわたしは日本でやたらと自意識過剰になってしまうのではないか。不便なので直したいです。
文化の壁に阻まれた部分もありましたが、世界各国の文化の違いをじっくり考える時間ができたことは大きな財産でした。
マトリョーシカパネルは武内さんに押し付けて、池袋でお別れしました。
わたしは夜行バスで家に帰りました。
ノブさんは翌日、大学でも活躍しました。
長い間ありがとうございました!! おつかれさまでした。