後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2015年1月5日月曜日

おおにしさとみさんとみっつの銅像

おおにしさんは、「何か新しいこと」を求めていた時に六甲のホームページで後頭部ビジネスを知ってくださったそうで、「どこへでもついていきます!」という大変力強いメールをくださいました。

「どこへでも」って、助かる! 
おおにしさんはウラジオストク回になりました。

大通りとフェンスで隔てられた公園には、人どころか猫の姿もありません。

公園のすぐそばにしつらえてある朽ちた座卓と相まって、ここはディストピアなんじゃないかと不安になりました。


顔を描いている間じっと座っていたせいで、冷えきった体の震えが止まりません。
日常生活ではケチって使えずに貯まっていく一方のホッカイロを、今こそ! と導入しました。



日向に行くと、それまでなかなか力を発揮してくれなかったホッカイロが一気に太陽を吸熱して高温になり、背中の一点のみがやたらとあつかったです。

太陽の光をさんさんと浴びて、洗濯物もいきいきして見えます。


パンツは普遍的なくたびれ方をしていて、わびしさは国境を越えるんだなと思いました。

背の高い鉄棒、


フラフープ、

トランポリン。
あちこちに転がっている粗大ゴミでたくさん遊べました。

武内さんが跳ねているのはベッドのスプリングで、バネがふっかふかでした。

プールの三角旗みたいな洗濯物。
殺風景な景色を華やかに演出しています。

一体どうやって干すのでしょう? 武内さんと懸命に頭をしぼりましたが解決しませんでした。

さっき来た道を引き返してアスファルトの車通りに復帰しました。

今度は脇道に入らずまっすぐ歩いたら、橋まで簡単に行けました。

歩行者通路もちゃんとありました。
人通りがほぼない中で唯一、行き交った人がいたのですが、後ろを歩いていた武内さんの目撃情報では「あの人、くるちゃんの後頭部見て、目をこすってからもう一度見て、『俺は疲れているんだ』って顔で首を振って、また歩き出したよ。かわいそうだったよ。」とのことでした。

橋の下をくぐる線路も電車も小さく見えて、模型のようです。
カラフルなコンテナは積み木のように几帳面な顔をしていました。



日陰には雪がしぶとく生き残っていますが、歩いているとほかほかになる、いいお天気です。

砂糖菓子のような街並(ちょっと加工した)は映画のようでした。

かと思うと、こんなトリックアートみたいな建物も。


味自慢ユーロフード。
用途に合った中古車です。

橋の向こう側は車通りも多く、活気がありました。
銅像を見つけました。
おおにしさんが送ってきてくれた写真も銅像とのツーショットだったし、いいね! と話しました。
「もしかしてここ、昨日ホテルで予習した『革命広場』じゃない?」
「写真撮ってる人他にもいるし、間違いないよ、観光地だよ!」


字は読めないけど、革命家っぽい服着てるしきっとそうだ、とふたりは互いを納得させるように口々に言って、確信を強くしました。
革命広場はここじゃなかったとわかるのは、6時間後のことです。

銅像を過ぎると、またいくつかにぎやかなスポットがありました。
大きな建物があるたびに「ここが駅かな?」と期待するのですが、地図を見ても現在地がわからず、駅に辿り着けません。


「キャナイヘルプミー?」男性が声をかけてくれ、わかりやすい道に出るまで案内してくださいました。

積極的に親切にしてくれるのはある程度英語ができる人に限られている気がします。そういうところは日本と似ていると思いました。
英語力の有無が個人や国家の性質を決定しているのではと思ったけど、イタリア人はイタリア語オンリーでも全然めげなかったことも思い出しました。やっぱり人によるみたいでした。


「まっすぐ行くとモニュメントがあるんだ。3つ、像が並んでいる。そこを左に曲がって道なりに進むと駅だよ」
丁寧に教えていただきました。

ひとつめの像です!

ふたつめ!


みっつめは撮り損ねました。

像の広場のそばには、教会もありました。
ウラジオストクの位置はヨーロッパよりアジアに近いけれど、仏教ではなくキリスト教が主流のようです。

入り口には軽い素材の色とりどりのスカーフがたくさん置かれていて、武内さんが「これ頭に巻くんだよ」と教えてくれました。
後頭部をずきんにくるんで中に入りました。
こぢんまりとしていて良い雰囲気でしたが、中は外気と変わらぬ寒さだったので、そそくさおいとましました。

武内さんに、なぜ頭に巻くってわかったのかを訊くと、「中国語で張り紙してあったから」という答えでした。わたしは「よかった常識で劣っているわけじゃなかった。」と胸をなで下ろしました。


長大な壁面には細かく名前が刻まれていました。

何か…何か、戦没者慰霊碑みたいな、何かだとは思うのですが、知識も常識もやっぱり欠けていて、ロシアっていろんな国と戦争してるっけ…? 日露戦争ってあったっけ? どっちが勝ったんだっけ? と、しっちゃかめっちゃかな感想しか持てませんでした。
これが日本相手の慰霊碑じゃありませんようにと思いました。勝つより負けていてほしいなあと思って、腰抜けでした。戦時中に生まれなくて良かったです。





どうやらわたしたちは裏手から逆流してきてしまったようです。
階段の下から上っていくのが、本来の正規コースだと思われました。
1945が何を意味するのかはわかりませんでした。建国……?


星の中心から吹き出す炎は、ソチ五輪の聖火の名残みたいでした。

船のオブジェも立派でしたが、戦争が絡んでいるのではと思うと、「かっこいい」とか「かわいい」とか中身のないことを言っちゃだめな気がして慎重になりました。

駅に着きました!
シベリア鉄道の終着駅がここ、ウラジオストク駅です!

シベリア鉄道ってあんなかわいい機関車なのか! と思いましたが、これは現在は走っていない見本品でした。
行きたいところがあるわけではないのですが、ガイドブックで「憧れのシベリア鉄道」というコピーを見たので、憧れられたいわたしは鉄道にぜひ乗ろうと意気込みました。


ツーリストインフォメーションで地図をもらって、行き先を決めたかったのですが、このインフォメーションは駅に関する問い合わせしか受け付けないようです。

英語は通じず、「ウラジオストクくんだりに何しに来たんだよ、外人はモスクワ行けよ」というような顔でぴしゃりとシャットアウトされて、ぐうの音も出なかった。

見知らぬだれかについていきたいぐらいですが、それにしたって切符がいります。

切符売り場の行列はなかなか進みません。
それでも自分の番が来て「ネクスト、ステーション」「チーペスト、ワン」「モースト、ニア」…、知っている単語総動員で、「最も近く、一番安い、次の駅」までの切符を求めたら、一言「イングリッシュ、ノー」で相手にもされませんでした。

くそう…。
今度は構内に貼ってあった時刻表から駅名をメモして見せる作戦です。
生まれて初めてロシア語を書きました。

これでどうだ!
再び並び直して自信たっぷりに見せると、「売り場はここではない」というつれないお返事。「いや、別にどうしてもそこに行きたいわけじゃないのでここで売ってる切符ください。」って、言いたい! 言えない! しかも言えたところで変な人扱いされるだけだと思うと、八方ふさがりでした。この人たちはシベリア鉄道が憧れの乗り物だなんて知らないんだろうなと思いました。

指示された通り、上の階の切符売り場に行きましたが、首を横に振られてしまいます。
頭を抱えていると、荷物チェックの警備員さんがベラベラベラっと話を通してくれて、やっと、やっと買うことができました。

「切符買う予行演習できてよかったよね。これ、帰りに空港に行くときぶっつけ本番だったらと思うと恐ろしいよ。」
1時間かかって入手した切符は、日本のような厚紙じゃなく、ただのペラいレシートでした。労力に見合わない薄い印字…。

鉄道の出発時刻までに腹ごしらえをしようと外に出ました。

キオスクで地図を買いました。
「マップ」という英単語も通じなかった。
けれども、「雑誌?」「コーラ?」という幾度かのやりとりの後、旅行者が欲する物、というひらめきで、マップが地図だとわかってもらえました。
やはり商売が絡むと、なんとしても理解してやるという粘りが生まれますね。切符売り場の人にけだるくあしらわれて悲しかったわたしは、お金の元に実現したコミュニケーションをうれしく思いました。風俗に行く感覚ってこういうことなのか? 新しい発見をした気分でした。

駅の近くにはちゃんと、旅行客の味方、ツーリストインフォメーションもあるみたいでしたが、無料だと冷たくされるんじゃないかと気が引けました。

鉄道駅のすぐ向かいは港でした。
船に乗ったらどこまで運んでもらえるんだろう? まさか北海道まで行ったりするのかな? 日本の国旗もはためいていたし、あり得る話でした。

スーパーマリオがかわいいです。
船の一部(全面ではない)に絵を描くのは自由な感性だと思うけど、絵柄が既存のキャラクターの模写(そんなにうまくない)となると、やっぱりそんなに自由ではないかもと思いました。

ショッピングモールだと思って入った建物が港の待合室だったので、回れ右をして道路の向こう側へ行ってみます。
軽食やさんに行きたかったはずが、またしてもスーパーに吸い込まれてしまいました。







お惣菜を買ってあたためた後で、食べる手段がないことに気がつきました。
「スプーン…?」お匙を口に運ぶジェスチャーをしてレジに引き返したら、「おお! あるよ! 買ってね!」という反応でした。日本のスーパーとは違うのでした。

プラスチックスプーン10本入り。
今後も役立ちました。

駅の時計はすべてモスクワ時間になっていて、わたしたちの時計が狂っているのかと驚きました。
時刻表の時刻も、現地時間だと思ってよいのかそれともモスクワ表示なのか、とても難しかったです。

乗り場まで、駅のおねえさんが案内してくださいました。

列車が来ました!
だれかの憧れのシベリア鉄道です!!

普通の電車に思えました。
まわってきた駅員さんが、レシートにボールペンでマルをつけていきました。
普通でした。

レーチカ駅に着きました。
が、レシートの駅名と看板とを比べてみると、なんだかスペルが違います。どうやらレーチカ駅はふたつあって、本来ブトラヤレーチカまで行けたところをそのひとつ手前のパルヴァヤレーチカで降りてしまったようでした。

遠ざかっていく列車を追いかけてみましたが、届くはずがなかった。
ここまで、予定通りに行かない度数100%です。
しかしもともと目的のある旅じゃないのをいいことに、このまま下車することにしました。

まず目についたお城へ向かって歩き始めます。

ロシアでは珍しく、後頭部を呼び止められました。
やっとおおにしさんの出番です!
車から声をかけられたのは初めてのことです。寒い外を歩いているときよりも、車に乗っているときのほうが周囲に目を向ける余裕があるからではと思いました。

お城は正面に回り込むとあまりお城じゃなかった上に建設中のようで、まだ工事のまっただ中でした。

作業員からも、パチリ。
ここに来て後頭部がようやく活躍し始めました。
暮れなずむ街の中で、わたしの心だけは朝を迎えたような明るさでした。

おおにしさん、寂しい街を旅してしまってすみません。
しかし寂しければ寂しいほど、人の親切が骨身に染みました。最後に見せ場をつくれてよかったです。
ありがとうございました!