横山さんは漫画家の方です。
さっぽろアートステージでのアーティストトークで、横山さんとは隣の席でした。わたしの目線の先にはずっと横山さんのスニーカーがあって、記憶スケッチができそうなほどでした。
その後の出品作家の飲み会の場で、人見知りのわたしも武内さんも居場所に困ってなよなよしていたのですが、どういう経緯で横山さんと話せたんだっけな?
武内さんの言葉を借りると、「川に流されて行き着いたいい村」が横山さんだったそうです。
2軒目から「有名人に気に入られたい」とはっきり思ったわたしは、横山さんの印象に残らなくてはと必死で、どんどん失礼な発言をしました。しかし横山さんは怒りません。ディレクターの方がぎょっとして横山さんの顔色を伺うのを見るたびに、わたしは「もうそんな仲じゃないんだ!」と図に乗って、人見知りが聞いて呆れる社交性を発揮しました。
横山さんのご趣味はサーフィンだそうで、とてもそうは見えない。と驚くと、「その通り。人生は矛盾に満ちている」と真面目な顔で頷いていました。
翌日も我々と遊んでくれて、保育士かヘルパーのような面倒見でした。
「お前ら男同士なんだから仲良くしろよ」と言われて、軽い冗談だったのかもしれませんが、わたしは本質を突かれたと思いました。
的確な表現でした。
武内さんが「顔の濃さが自分と似ている」と言いながら描いていただけあって、よく似ました。
常に凧揚げチャンスを伺って気を抜かない武内さんがかばんから凧を取り出しました。
ロシアに来てから何度目かの凧揚げが成功しました。
からかうような風の抵抗が糸を伝ってきて指先を緊張させます。
空の余白がたっぷりあって、漫画の、どんな効果線が描き込めるかを考えました。
意外といけるなと思った5秒後にはやっぱり激烈に冷たかったです。
10秒後には感覚がなくなりました。タイタニックのエンディングで力尽きるディカプリオに、寒いだけでしょ? 溺れているわけじゃないんだからもっとがんばれよと思っていたのですが、これは…耐えられない。冷たすぎます。
焼け死ぬのはいやだと思っていたけど水死も悲惨だと思いました。
寒さで縮んだような雑草が、小さくかじかんでいました。
あとには武内さんの苦い薄笑いが残りました。
今度は成功です。
カーゴパンツを履いている武内さんとタイツを履いているわたしとの脚の太さが同じでした。
既に廃線になっているのか、電車が3本並んで止まっています。部品のひとつひとつを間近で観察することができました。しゃがみこんで何かの模様をじっと見ていた、子どもの頃のかくれんぼを思い出しました。
大惨事にならなくてよかったです。焼死、水死に続いて、轢死もぜひ避けたいと思いました。
次に海を見られるのはいつかなあ、と感傷に浸っていましたが、その後近いうちに、台湾、江ノ島と割と海に行く機会がありました。
横山さん調べによるとサーフィンをする漫画家はイラスト、美術を含め同業にいないそうで、わたしもいつかサーフィンに手を出して横山さんの独占状態を打破したいと思いました。
もしくは美術界ではまだ誰も手をつけていないマイナースポーツを探し出して頭角を現す。
穴があるよりマシだけど、この障害物も普通にあぶないです。
武内さんと、やっぱりそういう、日本に免疫のある国際派の人しか話しかけてこないんだね、などと話したそうですが、わたしは美女ってだけで浮ついていたので会話の内容を覚えていません。振り返ると、今回に限らず人と交流している時のことは覚えていないことがほとんどです。明るい雰囲気づくりに気を取られるあまり内容に集中できていないのだと思います。
などと話しながらスーパーに入ると、盛り上がった店員さんが争うように後頭部を撮ってきて、ここに来て急にモテ出したなと思いました。
ミヤジマ醤油みそ。
大きなカニカマの中にはポテトサラダが入っていて、もはや本物のカニを模すこともせず独自の進化を遂げていました。
モスクワに行ったことのあるという横山さんに後日、「後頭部、他の国ほど笑ってもらえなかった」と打ち明けると「ロシア人ってもともと笑わない人種だろ」と言われました。へえー、知りませんでした!
『ロシア 笑わない』で検索してみると「ロシア人が笑わない10の理由」というまとめサイトが出てきたりして、そうか、有名な特性だったのか、と思うと力が抜けました。10も理由があるなら仕方がないと思って武内さんに読み聞かせて、おおむね共感、納得を得ました。
横山さんありがとうございました!