後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2018年11月30日金曜日

11月10日 ヤノベさんを囲んで語る会に参加


ヤノベケンジさんに初めてお目にかかったのは2年前、テレビの番組で、でした。

テレビとか書くとまるで活躍してる人みたいですが、とんでもないです。自分自身、人生で活躍した心当たりがまるでなかったのでテレビ出演は寝耳に水でした。
ディレクターの方がネット検索して引っかかってきたのがわたしだそうで、広い広いネットの海で見つけてもらえるなんて奇跡じゃないですか。どうやって検索したのかうれしがって聞いてみると急にしどろもどろになられ、どうやら検索ワードは「アホ・アート・女」だったよう。
この3つのキーワードで自分に辿り着くのかと思うと、じーんとくるものがありました。もう自分の人生の面倒見きれないっていうか…。他人のふりっていうか…。
若木くるみ? わ、わたしじゃないですけど? みたいな。

そんなこんなで呼ばれた生放送のアート特番(アートっていうか仮装大賞っぽい雰囲気でした)に、審査員としてヤノベさんのお名前もあったのです。
ヤノベさんはとても有名な美術作家の方です。それゆえわたしは「別にファンになることないか」と失礼ながらスルーを決め込んでいたのですが、いざ会えるとなると、名前しか知らなかったくせにすっかり楽しみなのでした。

生放送前の楽屋で、ケータリングに興奮して意地汚くサンドイッチを頬張っている最中にヤノベさんがお見えになってわたしは慌てました。口をもぐもぐさせたまま自己紹介を試みたのですが「あわあわあわ」としかご挨拶できず、それでもヤノベさんはフレンドリーな関西弁で「知ってる知ってる、いいから食べ」と目を細めてもぐもぐタイムを続行させてくれましてね…。わたしはとにかくお腹がすいていたのでそのときはただやさしいなあと感じただけだったのですが、今思い返してみると、ヤノベさんの「知ってる知ってる」という気楽な一言で自分はすごく救われたなあと感じるのです。芸能人まみれの孤立無援のスタジオで、わたしのことを(名前だけでも)知っている人が現場にいるとわかったことが、自分の心のひそかな拠り所になりました。

今回のサンチャイルドの炎上を、わたしは「ヤノベさんと会ったことがある人」の視点でしか見られませんでした。
面識があるとは言えないほど微かな面識でしたが、確かにご本人に会ったことがあり、そして好感も抱いている。という自分のスタート地点が、この炎上事件をフェアに観察できるとは思えませんでした。
だからこそ注意深く、悪意を持ってサンチャイルドを受け止めてみようと努めたのですが、やっぱりどうやってサンチャイルドに不快感をもよおせばいいのかわたしはわからなかったんです。自分が以前テレビに出た際には「ブス」「キモい」の声が湧き起こり、傷つきながらもいちいち納得できたのですが、サンチャイルドはパッチリ二重でまつげもびっしりの愛らしいデカ目なんですよ…。今回の炎上において造形のかわいさは論点じゃないんでしょうけど、じゃあ何が論点なんですか? 

今までずっと、政治やら原発やら、思想を持たなきゃいけないこととは無縁でいたいと思ってヘラヘラやってきたので知らないことが多すぎて、サンチャイルド問題を考えようにも思考が生まれないのでした。食材がないと料理もできないみたいに、考えるのにも知識が必要なんだなあ…などとのんきなことを考えている場合ではありませんでした。
サンチャイルドは炎上したあげくまさかの撤去が決定し、わたしはバッシングの威力を思い知りました。自分にとってサンチャイルドは嫌悪すべき対象ではなかったので非常にショッキングな事件でした。それから、もうじき自分も福島芸術祭に参加することを考えて頭を抱えました。「福島こわい」と思いました。いち参加作家としての素朴な感想でした。

ちょっと覗いてみたネットニュースのコメント欄は荒れに荒れていて、人々は嬉々としてバッシングに打ち込んでいるように見えました。「傷ついた人」と、「傷ついた人を守ろうとする正義感溢れる人」たちが寄ってたかってサンチャイルドを叩きのめす様子をわたしはおぞましいと思ったし、バッシングに屈して退場したサンチャイルドに対する悔しさもありました。

「きれいなものが美しいとは限らない、醜いものこそ美術になりうる」とか言い張ったりする、ちょっといかれた考え方も自然にまかり通るおおらかさが、美術の良いところだとわたしは思っています。でも、その、立ち位置や見方をぽんぽん変える態度が無責任だとなじられ糾弾されるなら、とてもじゃないけど表現なんてできなくなる。表現なんてしなくていい、という考えもあるかもしれませんが、わたしはその意見には同意できません。

そうして自分が決行したのがサンチャイルドの仮装でした。
思いつきでやりました。
世論を逆撫でしたくてやりました。
「これがわたしの表現です」とは、でも、言えなかった。
「あーんヤノベさんみたいに嫌われたくないよー」と、みじめに怯えるばかりでした。

自分の憤りを堂々と口にできなかったことに失望して唇を噛みしめるばかりでしたが、実際のトークイベントでは擁護派がいっぱいで、「なあんだヤノベさん味方ばっかじゃん! 尖ったこと言わなくてよかったー!」と安堵。わたしはヘタレゆえ結局発言できずじまいでしたが、最後にヤノベさんが「自分はサンチャイルドを希望の象徴として皆から愛されるよう願い、だれから見ても明るくてかわいい造形になるよう、そこはものすごく気をつけて作ったつもりだった」と話しておられるのを聞いて思わず涙が滲みました。ヤノベさんにではなくサンチャイルドに感情移入…。その時のわたしはNHKが放送されたら大炎上は免れないと未来を悲観していたので、「親も自分を嫌われ者に育てるつもりはなかったろうなあ」とか、うっかり柄にもないことを考えて切なくなったのでした。蓋を開けてみれば知名度がなさすぎたこととNHKの編集がやさしかったことが幸いして、炎上どころかボヤ騒ぎもなく終わったので、無名のくせにビビり散らして何重にもお恥ずかしいです。

トークの場でのヤノベさんの「今日のため福島に来るのは正直気が重かった。駅に着いた瞬間石投げられるんじゃないかとか」の吐露を思い出すたび胸が痛むのですが、そんな中でもわたしの決して穏便ではない珍作にストップをかけなかったのは、「表現は自由でいいんだ」というヤノベさんから若手作家全員に向けた無言の激励メッセージだったのではないかと思っています。傷つけたり傷ついたりする生身の人間でありながら、なおかつ表現者で居続けることの覚悟を問われたような気が、わたしはしました。

というわけでテレビでは意思表示できなかった自分のいやらしさをせめてこのようにブログで公開して、然るべき人に叩かれようと思った次第です、すごい身震いしながら…。

わたしが今回サンチャイルドの撤去に疑問を感じたのは、たまたまヤノベさんを知っていたからであって、もしかして状況がちがったら自分も安易に多数派の立場をとっていたでしょうか。ありうる。空気をかき回す発言をするのは本当にこわい。
自分の考えを持つことの難しさ、自分の考えに自信を持つことの難しさ、自分の考えを表明することの難しさを痛感する今、叩かれようが何だろうが自分の考えを発信している人を反射的に尊敬してしまうし、どんなすっとんきょうなことでも発言できるなんてすごい、それだけで超すごいです。
バッシングされてる人たちみんな強い、すごい。
バッシングしている側の方たちも、バッシングした瞬間に相手が強くなるんだと思って、すごい相手を敬いながらバッシングしてみてはどうでしょう。
最後に自分の考えを言ってみました。