後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2019年3月12日火曜日

2018 スパルタスロン スタート

スタート地点は雨だった。
上着は持っていなかった。
身を縮めてランナーたちの人混みに紛れた。
武内さんに密着して寒さを訴える。武内さんじゃない人にもふざけた勢いでくっついた。くっついて羽交い締めにする。切実に寒い。無性に心細かった。

時間が止まることはない、だから大丈夫だと言い聞かせた。大丈夫、心配しなくても時間は経つ。私は必ず、36時間後、のどこか、に行ける。36時間が済んだらもう、よろこぶなりかなしむなり、私は勝手にやっているだろう。時間が進んでいることを、ただありがたがっていればいい。
結果は出る。出そうと思わなくても出る。それが悪い結果であれ、結果は結果だ。

これから自分が走るという実感を、持たないままでいたかった。しばらく脳死するから、その間に結果がひとりでに転がってくればいいのにと思った。ひたすら受け身でいたい。レースがスタートすれば自分のすべきことは走ることだけなのに、たぶん自分は何かしら、考えたり感じたりしてしまうだろうことが不愉快だった。

プーン。
号砲が鳴った。
耳元をかすめていく蚊みたいな、間の抜けた音だと思った。

周りのランナーに揉まれるように前進する。
36時間が減りはじめる。
武内さんについていけない。
よく眠れたにも関わらず、体が重くだるかった。
「うーん走れないほどじゃないですけど…。」頭の中で煮え切らない問診をした。現に今、ともかくも走れてはいるのだった。第一エイド通過。武内さんの後ろ姿はとっくに見えなくなっている。呼吸が浅い。
自分が走れる最速ペースが、関門閉鎖の設定タイムより少しだけ速かった。常にギリギリで、危うく関門を突破した。もう少しペースをあげないと、と思う。焦るが足が上がらない。走り出した瞬間からもう、100km走った後みたいに疲れていた。もしも関門に引っかかったら、私は後悔するだろう。後半に向けての体力温存を頭から消した。今できる作戦は、とにかく次の関門に間に合わせることだけだった。呼吸を乱してスピードを上げる。関門通過。時計を見る。嘘だろと思う。もう一度見る。貯金は2分しか増えていない。こわい。200km走った後みたいだ。おびただしい量の発汗だった。コップの水を飲み干す間、呼吸ができずに激しくむせた。心臓が上下する。
必死で関門を越えたとしても、すぐまた次が立ちはだかる。次を乗り越えても次がある。そして次、また次。走り続けている限り関門は続く。なんと苦しいのか。
リタイアしたいと思った。

とても具合が悪い。
とても具合が悪い! 先生! とても具合が悪いです!
最初の問診ごっこでは、「さあ、仮病じゃないですか? スタートでは元気そうだったじゃないですか。」と軽くいなしていた医者こと自分も、非常事態と悟って多重人格が引っ込んだ。まさか自分が、自分から「リタイアしたい」と言い出すとは思わなかった。急に深刻な気分になった。

ギリシャに着いてから風邪をひいた。軽い風邪だ。本番までは3日もあった。3日もあったのに咳を引きずった。当然治すべきだった。べき、で言うとそもそも風邪なんかひくべきでは絶対になかった。
大会当日、起き上がると頭がグラグラした。体を起こすと冷や汗が出る。可能な限り横になっていたい。バスに揺られると吐き気がした。
本物のお医者さんこと大滝さんに、おでこに手を当ててほしいとせがんだ。熱はなかった。「走っているうちに治るよ。」と大滝さんは言った。武内さんもそう言った。
ただひとり心配顔で「やめといたら?」と言ってきたのは外国人で、私は「わかってないな」と思った。やめるわけないだろ。

でも今となってはやっぱりとにかく絶対断然一刻も早くもうやめたいのだった。
横になりたい。リタイアしたい。横になりたい。こんなんじゃ100kmだって走れない。横になりたい。もうやめ、やめだ。
リタイアを決意した。

ところがいざとなるとストップを口に出せず、意志が弱いばかりにうっかりレースを続けてしまった。しかし苦しい。いつかリタイアするなら早くやめたほうが得だよなあ、と惰性で足を進めながら損得勘定を働いた。次こそリタイアしなくては。それでもやっぱり行動に移せない。自分はリタイアを、自殺か何かと同等の重さで考えているのかもしれなかった。…大げさな、たかがリタイアごときで。鼻で笑っていよいよリタイアを心に誓ったのに、またしてもつい、次の関門をパスしてしまう。リタイアできない小心を呪った。なんとか折り合いをつけようとして、ゴールしてからリタイアすることに決めて手を打った。

沿道に知り合いの姿を探した。日差しが出たらかぶろうと思っていた帽子を預けたい。天候は雨、気温は極めて低かった。この体調で、もし例年通りの暑さだったら、リタイアを迷う間も無くあっさり終わっていただろう。この異例の涼しさは、神が自分のために用意した特別措置に違いないと思って感動した。今の自分には何でもいい、すがりつくための無邪気な信仰が必要だった。じゃあ風邪とかひかすなよ神、と思うと妄信が薄れかけたが、前向きな気持ちが芽生えたことは収穫だった。
エイド付近の群衆の中に、いかにも自分を知っていそうな顔でエールをくれた外国人がいた。これ幸いと帽子を押し付ける。自分も、なんとなく見覚えがある顔だったように感じた。何年も出続けていると、こういうところで融通がきく。帽子の分だけ身軽になった。
空いた両手を小刻みに振る。
リタイアしようとはもう思わない。
42km関門クリア。
貯金は7分。

米粒大ほどの、武内さんらしき姿が遠く前方にちらついた。
今日の体調で走ることに体がだんだん慣れてきた。次の関門にも間に合うだろう。いくらか安堵した。
早く武内さんに追いついて、「走っているうちに治るよ」と適当にあしらってほしいのだが、なかなか近づけない。他ランナーの影に隠れて、見えたり見えなくなったりする小さな後ろ姿を追い続けていると船酔いのようになってきた。諦めてうつむきがちに足を早め、やがてエイドで追いついた。
去年と同じ、55kmのポイントだった。
一言、二言、ことばを交わした。
このままついて行きたかったが、オーバーペースで追いかけたため、あとが全然続かなかった。みるみる遠ざかる武内さんが軽く後ろを振り向いた。声が届く範囲だったら、「行かないで」とか言ってしまいそうだ。言えば立ち止まってくれるだろう。言わずに済んでよかったと思った。「大丈夫です」の意を込めて、武内さんにうなづいて見せた。
その後も時々、前方エイドで姿を見かけた。目視はできてもそこまでだった。付かず離れずのペースで行きたかったが、実際は、「付かず離れる」という距離感で切なかった。

70km過ぎでようやく捉え、武内さんとの並走が叶った。
だらだら続く上り坂でまた離されるかと思ったが、こらえた。
「走ってえらいね」と褒めてくれた。走りながら武内さんは「え〜らいえ〜らい、アキコ走ってえ〜らいよ〜おハイハイ」みたいな鼻歌を歌っていた。ソーラン節から骨を抜いたようなメロディだった。「アキコえ〜らい、くるちゃんもえらい〜」と無造作に付け足すあたりに余裕を感じて鼻白む。ここからしばらく坂が多いと知ってはいても、上りっぱなしが続いてうんざりした。褒められてもどうも思わなかったが、歩くランナーを抜かすごとに生気が確実にチャージされた。

坂道をいくつかやり過ごして81km、最後の坂道を上りきったらコリントスだ。
大エイド、コリントスにはふたり揃って到着した。
ここまで来られたら、とにもかくにも一区切りの感がある。ここから先は関門の時間制限が甘くなる。少しの楽観が許された。
貯金は20分あった。


(ここまで書いて、武内さんに通過タイムを聞いてみた。ガーミンのデータを辿ってくれた。それから、「完走証にタイム載ってるから見てみなよ」と言われてはじめて完走証中央部の数字の羅列に気がついた。ご親切なことに、スタートからゴールまで、途中途中の通過タイムが12箇所も記してあった。迷惑メールのアドレスみたいに、無作為の英数字を並べた、意味ありげなだけの単なるデザインだと思っていた。5年目にして完走証の使い道を知る。記録によると、私の通過は42km関門15分前、81km関門40分前で、記憶違いが炸裂していた。数字で見ると自分が覚えているよりも余裕のレース運びだったようで、信用のできない語り手ですみません。今後は完走証のデータに忠実に進めます。)