後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2019年12月16日月曜日

ミュージアムパーティーの記録 2


トークのあとの懇親会では話しかけてきてくださる方がいたりしてうれしかったです。
パリピっぽい、胸元ががっつりあいている美人の女子とか。

しかし彼女が去ったあとで、居合わせていた知人から「すごいマウンティングされてたね〜」と慰労されてわたしは仰天しました。
さっきのアレ、マウンティングだったんですか!? 
全然! 気が付きませんでした…!

いつか、一度はされてみたいと思っていたマウンティングでした。
キラキラした女子の間で流行っているとは聞いていて、でももう流行語大賞ノミネートは2014年のことなのか…。もう5年前…。ギリギリ2019年に滑り込みです。5年かかってようやく流行に追いつけました。

「マウント」という単語をわたしは大学の現像の授業で写真用語として習ったのですが、いま市民権を得ているのは「優位に立つ」という意味での「マウント」ですもんね。写真家の方はマウント加工するたびにちらっと気まずい気分になっていそうです。

流行中のマウンティングは、世間的には忌むべき行為とされています。
自慢や、相手を蔑んで優位に立とうとするところが嫌われる所以のようです。
でも、わたしがマウンティングなるものを受けてみて持った素直な感想は、みんな厳しすぎやしないか、という対世間への反発でした。
マウンティング、そんなに許せないものかなあ? いいじゃん自慢ぐらいさあ…。
…っていうこのぼやきも、「わたしは余裕ですよ〜」的な懐の広さアピールでマウントカウントされちゃいます!? やりづらいな! マウンティングとか言い出した人どこのだれだよ!?

感想に戻りますと、初めてのマウンティング体験をありがとうございますというお相手への感謝ももちろんあったのですが、それ以上にマウントそのものが全然いやじゃなかったです。鈍いからマウントに気付かない、という段階から一歩進んで、あれがマウントでしたかと知った上でよくよく考えてみても、やっぱりなんとも思わないですね。好き。むしろ。

わたしは卑屈なので、同情を買って下手に出るスタイルじゃないと社交を乗り切れなくて、なんなら相手に蔑んでもらってやっと一息つけるっていうか…。居心地がいい、マウンティングされる側だと居心地が圧倒的にいいんですよ!

自慢してくれるのも最高です。こちらから根掘り葉掘り聞いていないのにお相手からガンガン情報を開示してくれるってものすごく親切だと思います。いつまでも自慢させてあげたい。すごい目を輝かせて話全部聞く。それで、己の自慢は一切口に出さずに心の中だけで「こっちはまだ全然持ち札ありますけど」ってこっそりマイマウンティングを取りますね。
そうです。性格が悪いからです。

だから、マウンティングをわかりやすく前面に表してくれる人っていうのは相当性格が良いのではないでしょうか。
厄介なのはマウンティングを取る側ではなく、取らせてくる側だとわたしは思うのです。

例えば友人に何かとうまいこと言ってこちらを褒めそやしてくる人がいるのですが、そういう人はうっかりいい気分になったこちらの恵比寿顔を見て腹の中でゲラゲラ嘲笑しているに決まってるんですよ! マウント取らせ上手なんですよ! まったく油断も隙もないです。

だから皆さんも、マウンティングをしてくる方に会ったときは心から楽しんでマウントの味わいを堪能したらいいし、マウントを取らせてくるタチの悪い善人に対しては、あからさまに牙を向いて鉄壁のディフェンスで退散してください。奴らは一枚も二枚も上手なので我々の手にはとても負えないからです。

マウンティング、してくれる人こそありがたがるべき。
辞書にもそういう解釈を乗せてほしいです。
マウンティングはするよりもさせる方に遥かに人間の暗部がある、と。
自戒を込めて、そして友人にも友戒を込めて上から目線で書いてやりましたよふふふ…ブログにてマウントをかますわたしでした。

いつもマウンティングありがとうございます。








2019年12月10日火曜日

ミュージアムパーティーの記録 1


わたしは社交が苦手な上に自意識が過剰なので、人がたくさん集まる場所には行かないようにしています。
それでもやむをえず知らない人と交流せねばならない事態に陥ることもあって、先日の美術館でのミュージアムパーティーがそれでした。

自分のゲストトークの役割を無事に終え、懇親会の時間になりました。
懇親会は立食形式でした。
わたしはとにかく外交を無視して一心不乱に食べ物と向き合う心づもりでいたのですが、テーブルのおしゃれフードは瞬く間に空になって、その起伏の失われたテーブルの平面、お皿の平面、どこもかしこもただひたすら平板な目の前の光景を、気絶しかけながらわたしはオロオロと見守りました。追加の食料があるはずだと信じていたからです。しかし希望は捨てなければなりませんでした。いよいよもう、追加は来ないのだと受け入れなければならなくなった瞬間、ショックで目がチカチカした。カロリーが、カロリーが消えた…。

立食パーティーに何を期待しているんだ馬鹿めと思われるかもしれませんが、主催の方からは「ギャラはないけどカレー食べ放題だから」と言って呼ばれていたんですよ!! 食べ放題なら行きます! と思ってふたつ返事で、頭の中はとにかくカレーカレー、カレー食べ放題用のおなかで行ったら、なかった…カレー……。カレーなかったし食べ放題でもなかった…。なんでだよ…。

ここからはスーパー個人的な事情になりますが、わたしは直前まで200kmの大会に参加していて、カレーカレーカレーカレー、カレーあるからがんばろうと思ってずっと走っていたからもう、本当に命がけでカレーを目指していたから…。

だいたい超長距離を走ったあとなんて衰弱しきっていて飲み物すら喉を通らないような状態なのですが、この大会に限って胃腸が絶好調で食欲がものすごかったんですよ。だから色々、元気すぎたのが運の尽きでした。

ブーブー文句ばかり言っていますが、わたしの胃袋が異常なだけで少食の女子なら満足できるくらいの軽食にはありつけました。見た目も味もクオリティ高かったです。

それでもひもじいわたしは約束がちがうと思って、冷静にならねばと努めてもはらわたが煮えくりかえっておさまらず、血走った目で主催者に駆け寄ってひどいよと怒りをぶつけた。
相手はニコニコしていました。
たぶんカレーごときでこんなに人が怒れるわけがないと思って真剣に取り合われなかったのですが、クッ…! こっちは本気だからな!
後日、ココイチに連れて行くよう改めて脅迫メールを送りました。
「事務所総出でやりますね(木下優樹菜)」ぐらいの熱い気持ちでしたよ。

食い意地に支配されていてつらいです。
こんな大人げないことばかりしているとまともな人間関係が築けないと思いながらも、おなかが空いていると暴走しちゃって止められないんだよなあ〜。
ギャンブルで身を滅ぼすタイプとか、アル中ヤク中いろいろな方がいらっしゃいますが、食で身を滅ぼすのがいちばんマヌケで救われない気がします。

今回は相手の方の心が広かったおかげで自分の狂気的なさもしさを流してもらえましたが、みんながみんなやさしいわけじゃないこと知ってます。
改めて、食べ物が潤沢にあるかどうかわからない社交場へ出向く危険性を思い知ったので、ますます引きこもりに磨きをかけようと思いました。
しかし引きこもるのはココイチに行ってからだ話はそれからだ











2019年12月8日日曜日

お知らせです


告知が遅すぎますが、今日夕方から国立国際美術館でミュージアムパーティーがあります。

わたしもゲストスピーカーとして参加します。

よろしければいらしてください。
…もしかしたら予約などがいるかもしれないのでご確認の上でお願い致します…ていうかそもそも一般観覧はあるのかな? 詳細全然わかっていなくてすみません。

2019年12月4日水曜日

フライドポテト


マクドナルドがポテト全サイズ150円キャンペーンをしているのを見て、
選ぶべきはLサイズ一択じゃないかと思ったのですが、
女子はMサイズでも胃もたれするらしいです。

Lじゃ足りない胃袋を持つわたしは、スーパーで大容量の冷凍ポテトを購入しました。
1キロ198円なのでマクドナルドよりも圧倒的にお得なのです。
お得が絶対いいです。

ザーッとお鍋にあけたらなんかゴミっぽいのが混じっていたのでお箸でつまんで捨てようとしました、そしたら




ポテトと一体化したゴミでした。
ゴミっていうか、発芽したポテトでした。
発芽じゃなくて根? 根じゃなくてヒゲ? ヒゲむしろ髪? 
だんだんおしゃれに見えてきました。



周辺の皮は残らず剥かれているのが不思議です。
どういう経緯でこのけっこう長いヘアーがカットされずここまできたか、考えると胸があつくなりました。
洗い、消毒、皮むき、カット、パッキング、いくつもの難所をくぐり抜けて、よくがんばりましたね。

敬意を表して冷凍室の奥の方へ、この一体だけ安置しておきました。
今後もこの毛がどんどん伸びていたりしたらいよいよ七不思議に認定したいです。

わたしの後頭部の髪は順調に伸びています。
髪が伸びることイコール仕事が来ていないことなので、よろこんでいいのかわかりません。











2019年11月23日土曜日

アチキの焦心


「北京 ベルリン ダブリン リベリア
 束になって 輪になって
 イラン アフガン 聴かせて バラライカ」

パフィー、アジアの純真に乗せて婚活ソングを作りました。
アチキの焦心です。どうぞ。

「未婚 原本 戸籍は 真っ白
 束になった ゼクシイ
 いらん 着眼 もうすぐ アラフォーか」


…そんなに暇なら早く完走文を書けばいい、とわたしも思いました。
みなさま良い週末を


2019年11月14日木曜日

テレビでる


テレビ出ます

明日深夜のテレビ大阪です


11月15日(金)
1時40分〜2時20分
名門! モウカリマッカー学園
https://www.tv-osaka.co.jp/ip4/moukarimakka/


しばらく髪の毛生やしていたのですがこのロケでまた後頭部を剃ってしまいました
結婚したいしもう後頭部は剃るまいと思っていたのにオファーが来るとホイホイ剃ってしまう軽いわたしです
結婚できないしせめてオファーを、仕事をください……




2019年11月6日水曜日

222kmのはずでした


週末は愛媛へ、瀬戸内行脚222kmを走ってきました。

この大会は、3年ぶり2度目の参加です。
前回は武内さんとの参加でしたが今回はひとりでした。
瀬戸内行脚に出ることは武内さんには内緒にしていたのですが、当日「がんばってね!」というやさしいメッセージを受信。漏れておる…。
待ち合わせていた大滝さんに、「あきちゃんに言いました〜?」って何食わぬ顔で聞くとビンゴでした。捜査一人目で犯人に到達。
別に大会に出るのはやましいことではないはずなのですが、なんとなく…なんか…ふたりで出た大会にひとりで出るの、なんか感じ悪いじゃないですか。しかし実際は大滝さんの仕業でとっくにバレていたらしいし、気まずすぎてかえって自然な心持ちに正せました。

スタートまで時間がたくさんあったので、大滝さんに地図読みの講師をしていただきました。高校受験以来の脳みそ稼働で、コースを完璧に頭に入れた、はずでした。

が、結局途中ですごい大胆なミスコース…!! 
しかもそれが大きく遭難するようなどうしようもない間違いではなく、やがて正規ルートに復帰できるお得なショートカットルートだったため、無事に生きて帰ってこられた上にズルというオマケまでついてきてしまって、…どれくらい短縮したんだろう? たぶん誤差10km以上あると思います…。
というわけでみんなよりずっと少ない距離でのゴール、誠に申し訳ありませんでした。

主催者の河内さんが誘ってくださって今回この大会に出られたのですが、ご期待に応えられず不甲斐ないです。ごめんなさい!
でも、ここに来られて本当によかった。よかったでは片付けられないくらいたくさんの課題が見つかりました。自分は真面目になりたいと思えたことが何よりの収穫でした。

簡単な振り返りではなく、もっと細かくレースの回想を残しておきたいと思ったし、3年前走ったままほったらかしにしている当時の完走記も、書きたいと思えました。意欲が湧いてうれしいです。
おれブログがんばる
ここで学んだことはひとつ残らず今後の糧にしていく所存です。

それから、大会参加賞の紙袋に婚姻届が入っていたのですが、なんですかこれ!?
いや、わたしだって最初は見間違いだと思いましたよ! そんなわけないと思いましたよ!? 
きっと婚姻届に見せかけた完走証なんだろうなとか、どうせ自分の勘違いに決まってると思って、いろいろ飲み込んで京都に帰ってきたのですが、やっぱりこれ、どう見ても婚姻届にしか見えないんですよ…!!!

河内さん!?!?
河内さんわたしと結婚してくれるんですか!?
重婚、内縁、結婚詐欺、どれでも可なのでよろしくお願いしまーす!
(でもこの婚姻届出したいからやっぱり内縁はなしで)























2019年10月12日土曜日

ビフォーアフター





スタート前、憧れのよしこさんが写真を撮ってくださいました。
36時間が始まる前はこんなに楽しそうだったのか…!
スタートとゴールのビフォーアフターがマラソンあるあるでした。


ビフォー


アフター


動画だと雰囲気でごまかせていた表情の細部が、静止画だときつい…。
モノマネ芸人がしている意地の悪いデフォルメでこういう顔見たことある気がします。





顔の可動域が広いのかな。
とにかくこれだけ追い込んでも、目鼻口って取れたりしないのがすごいなと思って、…考えてみると顔って本当に丈夫にできていますよね。後頭部の顔は水や摩擦に弱いので、顔の圧倒的な耐久性に感動します。

それからビリでゴールした件について鼻で笑っている方もいるかもしれませんが、完走率50%だからな…! 
「よくやった」以外の感想は受け付けないし、自分ももうこれ以上、ゴールに間に合わない夢にうなされたくないです。





早くこの悪夢を上書きしたい…。
次はビリ以上の成績を目指して練習がんばります。

12月に行われるよしこさん主催の三都ウルトラマラニック、まだエントリー間に合うので長距離をこなしたい方におすすめです。
しかも参加費は200kmで8千円、距離単価安い…! 
その上制限時間も長めで時間単価も安い!
出る!!






2019年10月11日金曜日

完走の動画


スパルタ完走の時の動画をユーチューブに上げてくれていました
ありがとうございます

情けなくてすみません
https://www.youtube.com/watch?time_continue=3&v=J7KDDOGmFsc

2019年10月8日火曜日

実践! スパルタスロン


レースから10日が経ち、足指の痺れと横隔膜の筋肉痛がやっとなくなってきました。

スパルタスロンの完走文を書くときは毎回気合いを入れて取り組んでいるのですが、今まで意識的に、レース中の距離や時間などには詳しく触れないようにしてきました。
自分自身が数字に弱いからというのもありますが、ランナーじゃない読者の方(います…?)に楽しんでいただくために有効なのはやっぱり、おっぱいとかちんことかじゃないですか。ないですか?
実際走っているときの自分が元気を得られるキーワードは安易な下ネタに限られるので、例えばおっぱいに対する心の揺れ動きを丁寧に丁寧にしたためることが、わたしにできる精一杯の誠実さだったわけです。

でも、2019年、スパルタ6年目にして最高の地獄を見たわたしは今、今後この大会を走る方の参考になるようなことを書きたいという使命感に燃えています。
制限時間に秒単位で追われると、人はおっぱいのことを考える余裕など失ってしまうのですね。無心で走ってしまいましたよ。わたしのおっぱいへの愛着なんてしょせんその程度のものでした。
けれどもレース後、失意の中にいたわたしに同室の女性がおっぱいを揉ませてくださってやさしかったです…。おっぱいっつってもブラの上からですが。
女に生まれてよかったイエス!\( ^∀^)/

というわけで、ここからはスパルタスロンを挑戦される方に向けて特化した情報を、記憶違いもろとも書いていきたいと思います。
年にひとりしかいないラストランナーの貴重な生の声!
さらにはギリで制限時間に間に合ってない悪い見本!
でも、実践の際に参考になるのは絶対、良い見本よりも悪い見本の方だと信じています。
みんな用意はいいかな、わたしと同じ轍を踏まないよ〜!!

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・上り坂で諦めないで!

わたしは上りがとても苦手で全選手中でも最遅レベルでしたが、それでも上り坂がある区間は、かなり遅めのペース設定になっています。上りが見えた瞬間に気持ちが萎えますが、休み休みの全歩きでも、絶対諦めないで次のエイドまでがんばったほうがいいです!貯金は意外と減っていません。むしろ後半の下り坂区間が、走っても間に合わない設定になっていた気がしました(自分の調子のせいかな)。下りも侮れません。


・ポリスの車に張り付かれる

ラストランナーになった瞬間から警察の監視対象になります。別に何をされるわけでなくとも、警察の車が見えるだけで心理的な圧迫が生まれます。別に何もされないです。安心してください。


・エイドの人に悪いなという気持ち

ラストランナーになった瞬間から「遅れてすみません!」という申し訳なさが生まれ、「もうやめちゃおっかな」とリタイアが頭をよぎるようになります。自分さえ通過すればさっさとエイドを撤収できるのにごめんなさい、という気持ちです。でも、自分がやめても自分の前にいる人がラストランナーになるだけです。どのみちだれかはラストランナー役を引き受けなくてはなりません。必死で走っていれば、エイドの方々も最後の生き残りをあたたかく応援してくれます。運次第ですが、制限時間をオーバーしていても通過させてくれるエイドもあるかもしれません。とにかく完走したいならやめないことです。あと、エイドも運営しているのは人間なので、可能な限り笑顔で、媚びて媚びて! もしくはゾンビスタイルで憐れみを買って!(わたしは後者のタイプ)
あらゆる手を尽くして生き延びてください。


・最終エイドを越えたら制限時間オーバーでも完走させてもらえるという噂

以前ベテランランナーの方から、ゴールでの多少のオーバーは多めに見てもらえるという話を聞いたことがありました。わたしは一生懸命走ったつもりでしたが、上記の噂が自分の心理に微妙に影響を及ぼした可能性は否定できない…(認めたくないのでこんなまわりくどい表現に)。最終エイドを過ぎてからは何が何でもという気持ちに甘えが生じ、それが27秒オーバーという結果に表れてしまったような気がします。わたしが聞いた話では、多少オーバーしたタイムは大会側がいい感じに改ざんして時間内に丸く収めた完走証を渡してくれるということでしたが、わたしの完走証はしっかり27秒オーバーになっていた! そしてそれより何より、自分はがんばりきれなかったんじゃないかという悔いがいつまでも残るので、自分に都合のいい話は忘れるに限ります。安全なのは断然オンタイム! 時間内完走を目指してがんばりましょう。


・暑さ対策

わたしはコンプレッションウェア(ピタッとした服)の首元から、直に氷を入れて冷を取りました。背負ったバックパックに氷を入れて体を冷やすという方もいらっしゃるようですが、軽量化と涼しさの点からも、何も持たずにウエア一着で済ませた方が有利に違いありません。コンプレッションウェアの裾から、タイツに氷を送り込んで脚を冷やすこともできます。なんなら氷だけじゃなく、小物類もコンプレッションウエアの中に挟み込んだらいいじゃない、と思っています。試してみたことはないですが。ウェアにバックパックの機能も兼ねさせるのです。


・飛行機

個人の感覚ですが、海外の航空券が安くなるのはゴールデンウィーク前後です。その時期になったらネットに張り付いて価格の変動をチェック、踏ん切りのつけどきが難しいですが、獣の勘でゴールを決めてください!
わたしの去年の成果は4万9千490円(手数料等も全て込み)!
武内さんとふたり分の往復航空費が10万しないという大記録を打ち立てました。
今年は忙しくて動き出すのが5月半ばになってしまいましたが、それでも6万7千円で取れました。
交通費に関しては、北海道に行くのとそんなに変わらない感覚でギリシャまで行けますよ〜。
「安いは近い」これ、武内さんの名言です。





2019年10月5日土曜日

6年目のスパルタスロン

あきちゃんがわたしたちの過去5年間をふりかえる動画を作ってくれました。

くるみとスパルタスロン 2019予告編


毎年泣いたりわめいたり大騒ぎしながらあきちゃんと参加してきたスパルタスロンでしたが 、今年は初めてのひとり参加でした。

ひとりはとても寂しかったです。
6年目もエントリーしてしまったことを後悔しながらギリシャで孤独を噛み締めていたら、レース前日にあきちゃんがサプライズの動画を送ってくれました。ひとりだと何もできないんじゃないかと恐れていたら、予想以上にひとりだと何も楽しめなくて、心底うんざりしていたところでした。
あきちゃんがいた5年間に思いを馳せてますます泣けましたが、動画の最後、「つづく」になっているところに希望を感じました。

あきちゃんから、「公開しないほうがいいよね?」って聞かれましたが、「どちらでも!」と答えました。「わたしは完走できると思っています!」って、あきちゃんを安心させるつもりで宣言。もちろん実際に、当然完走する気でもいました。


そしたら結果、27秒オーバー…!!!!!

36時間の27秒たりないって、そんなことがあっていいのか……。
そりゃどこかにはそういう話もあるだろうけど、何も自分の身に起きなくても…という気持ち。
最後は「飛行機に間に合わない」設定で死にもの狂いで走りましたが力及ばずでした。
あきちゃんがいないとこんなザマ〜!!!

わたしがあまりにもかわいそうな様子だったので温情措置で完走扱いにしていただけた上に選手のみなさまにも信じられないほど暖かく迎えていただいて、なんだかんだものすごく特別な体験をしてきました。皮肉なものだなと思いました。
ダメな人ほどおいしいなんてまちがってる!
でもそれでいうならわたしの人生さいしょからまちがってる!!

まちがい探しをしたらキリがないほどほころびだらけのスパルタスロンになりましたが、たくさんの方に助けてもらって、……(ここで嗚咽)………ほんとに…。

自分のブログで文字起こしすることもないですが、文章ですらちょっと涙なしでは書けないほど感極まってしまうのです。

ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。ありがとうございました。
ありがとうございました。
ダメ、終われない!
ありがとうございました。
ありがとうござ

つづく!







2019年10月4日金曜日



目みたいに見開いている鼻…。

薄々感づいてはいたのですが、わたしの顔がおもしろくなる原因は鼻だと改めて実感しました。

美人は目で物語るなんて言われますが、自分は鼻の表現力がありすぎるんだと思います。鼻がおしゃべり!

もう家賃をとって貸し出したいぐらいすごい広い!! 住める! 鼻の中に住める!!

これからは常時全力で鼻をつむっていきたいです。

あと、この写真、特におもしろいと思うから載せているので、「普段からこんなだよ」って言わないでください……



2019年6月19日水曜日

爆誕石川信者


石川さんのテレビを見て感化されてからというもの、毎日走っています。
わたしは石川さんを信仰することにしました。石川信者これにて爆誕です。
次の神様が見つかったらすぐに乗り換えるつもりですが、それまでは食前食後にイシカワ理論を唱えて、教えを胸に刻みます。

ところでわたしは上り坂が本当に苦手でして、昨日久しぶりに階段トレーニングをしてみたのですが、地獄の苦しみを味わいました。
イシカワ理論によると、苦しいと感じているのは脳みそのたった2パーセントで、残りの98パーセントは無意識の領域。だから、「無意識vsイシカワ」だっつって。つまり、「その苦しみはまやかしだぞ」ってことなのかなと解釈したのですが、実際階段を登っているときは98パーセント全力で苦しくて、その場合もう無意識が残っていたとしても2パーセントだけしかないじゃないですか…。無意識力が弱すぎて「無意識vsワカキ」、苦しい、苦しいです教祖…。

でも、ここまで地道にサボってきた結果がいまの自分だと思って、胸を張るしかないですね。なかなかこんなに鍛えがいのあるサンプル作れないですよ。この8ヶ月で走力完全にゼロに戻した! 伸びしろばっかり! スーパーポジティブ!

そして今日、献血に行ってみたらものすごい値の貧血が判明してうれしかったです。
なんか貧血、値が低ければ低いほど自慢したくなっちゃうんですけど、レースの完走率が低ければ低いほど誇らしいみたいな。
朝起きられないのとか、昼夜問わず眠くなっちゃうのとか、顔がブスなのとか、都合の悪いことはすべて貧血のせいにして、自分は「貧血vsワカキ」の戦いをなんとかしたいです。
わたしに必要だったのはイオンウォーターではなく大量の鉄剤でした。







2019年6月17日月曜日

石川さんのテレビ

みんなもう見た!? 見てます!?
すんごいおもしろいテレビ見た!!!!

「激レアさんを連れてきた」っていうテレビにウルトラランナーの石川さんが出たんだよ〜!!

石川さんは去年のスパルタスロンの優勝者。他にもいろんな大会で優勝しまくっている方です。

わたしは職場のテレビの前に陣取ってリアルタイムで見ました〜!
海外逃亡中の武内さんとテレビ電話をつないで、日本から中継しました。
最初はふたりともじっと押し黙って見ていました。CMに入ると同時に早口で感想をまくし立て、また番組が始まると集中して静かに見入るのですが、後半はもう堪らずに何度も声を出してゲラゲラ笑いました〜! おなか抱えて笑った〜!
は〜!
おもしろいもの見た〜!!
石川さんがすごいってことは知っていたけど、こんなに気が違っている方だなんて思っていなかった…! 不覚!
感銘を受ける余り、疎遠になっている父親に違法アップロードされた激レアさんの動画を送りつけて、父の日のプレゼントとしました。容量が重くて見られなかったようですが。
姉にも送った。友人にも送った。たいして仲良くない知人にまで送った。
姉が「こんな人いるんだ。もっと早く知りたかった」って言っていて、最高の賛辞でした。

わたしが番組から得た教訓は、成功するには「突き詰めること」「適性を見極めること」の両方が必要ということだったのですが、じゃあ自分はどうあるべきかを真剣に考えて、未来が見えずにふて寝しました。
それから、わたしの怠惰な時間を石川さんに寄付したいと切実に思いました。石川さんにわたしの時間を有効活用してもらって、それで「時間協力:若木くるみ」みたいななんかちっちゃくクレジット入れて欲しい。エンドロールで。映画の。早くだれか石川さんの映画作って!!

なんでおんなじ人間のはずが、こんなに出来が違いますかね。
わたしの適性って現世にあるのかな…。特技睡眠なんですけど、のび太のポジションって漫画の世界以外にも空いてます?
マラソンが向いてなくてへこむ! 一日中寝ていたい!
でも石川さんも番組中、ウルトラマラソンに出会う前、適性を見つける前の人生込みでおもしろがられていたから、自分も、今が適性じゃなかろうとも無我夢中で一生懸命走るしかないと思いました。向いていないのが明らかなのにアホほどランニングに労力つぎ込んでる、っていう盲っぷりが今後適性に出会えたときのフリとして効いてくるはずだから、それまでの辛抱…。かわいそうなのは適性が見つかる前に天に召される場合ですが、それはそれで笑えるに違いないから、とにかくがむしゃらにやる以外おもしろくなれる方法などないのだと肝に命じますね。まずは睡眠時間を減らすことから始めます…。
それでも自分が無気力に惰眠を貪ってしまうときは、わたしが石川さんの怠惰を肩代わりしてあげていると思って、一方的に恩を着せていきたいです。

全人類が必ず見ておくべきテレビ、それが2019年6月15日放送の「激レアさんを連れてきた」。
あらゆる点で素晴らしい45分間でした。







2019年6月15日土曜日

走った


外出先から家までの距離がちょうど42kmだったので、練習になればと思って走って帰ってきた。
富山マラソン以来、8ヶ月ぶりの長距離走だった(42kmを長距離にカテゴライズしても良いのなら)。
20km過ぎから、疲れがどっと来た。
時空が歪んでいるに違いないと思うほど最後の7kmが長かった。
走り出す前は42kmも走れるかわからなかった。
途中でやめたらどうしようと恐れていたが、やめる前に家に着けた。
6時間以上かかった。
給水は一度もしなかった。「かわいい子には脱水させよ」って昔から言われているし、本格的な夏が来る前にかわいい自分に脱水状態を与えようと思って、耐えた。夜間走なので涼しく、脱水にはならなかったが喉がとても乾いた。
終わって飲んだイオンウォーターが乾いた体によく染みた。

去年はスパルタスロンのあと、9日間連続でスパルタの夢を見てうなされた。自己ベストは川の道の後の11日間だったので、10日目、悪夢の記録が途絶えた時はほっとした。今回のスパルタには確かに苦心させられたが、川の道ほど辛くはなかったという証明になった。川の道ほど引きずらないだろうという目安にもなった。
実際、体を負傷したわけではないので、走ろうと思えばいつでも走れた。
ただ意欲が湧かないだけだった。

スパルタスロンのことは、ふとした拍子に思い出した。
ゴール翌日、朝食会場で大滝さんに会ったときのこと。
「完走した」とわたしが告げると、大滝さんは「えっ」と言って目を丸くし、「完走したの!?」とさも意外そうに聞き返してくるので心外だった。そりゃしますよ! わたしをだれだと思ってるんですか!
憤慨するわたしにはおかまいなしで、「くるみちゃんはあのコンディションじゃ、きっと無理だろうと思っていたよ〜。」大滝さんはにこにことほざいておられた。
わたしは唖然として、「そんな…。」としか言えずに涙ぐんだ。見くびられたものだなと思った。事実、レース中ずっとリタイアしたいと思い続けていたことは、大滝さんには言うまいと誓った。
けれども、「見損なわないでくださいよ!」と精一杯の虚勢を張ったわたしに、「よくがんばったね」と大滝さんはねぎらいの言葉をかけてくれて涙腺が決壊。
そうか。どうしようもないタイムだったけど、自分はよくがんばったんだな。誇らしさがこみ上げた。
レース前、大滝さんに言われた、「走っているうちに治るよ」の言葉を信じて自分は最後まで走ったんだった。大滝さんがやさしくなくて本当によかった。「熱あるよ」「安静に」とか言われていたら絶対やめてた。医者はやさしくないに限ると思った。

少し前、東京に行った隙に大滝さんの病院へ寄って診断書をもらってきた。
ロビーの棚には大滝さんのトロフィーがたくさん飾ってあった。
世界大会での輝かしい栄光の数々が、ちゃちな灰色の棚の中に狭苦しく並んでいるのだが、中には名誉市民みたいな表彰状もあってダサかっこよかった。ランニング誌のインタビュー記事は棚の側面に無造作に貼り付けてあった。見栄えを無視した展示方法に頬が緩んだ。
待合客は座布団に座って、時間潰しにそれらの記事を眺める。24時間耐久だとか48時間耐久だとか、ハードすぎる競技が当たり前みたいな口調で普通に語られている。率直に言ってこわい。病院を訪れるような、どこか患っている方々は、常軌を逸した鉄人である大滝さんの記事を読んでどのような感想を抱くのだろう。自分がもしこの病院の患者だったら、不安を感じると思う。症状を訴えても、「走れば治るよ」で一蹴されそうだ。
実際の大滝さんは際立って柔和な物腰の先生なので、問診ではだれよりやさしく患者さんと接していらっしゃることと思う。待合室に並んだ度肝を抜く走歴の数々は、あらかじめ患者を恐れさせておいて、ギャップを利用してやさしい印象を上乗せする、大滝さんの汚い手口なのではないかとわたしは疑っている。

大滝さんはいつも穏やかで、怒りや悔しさや葛藤といった激しい感情を持たないように見える。
レースがあってもなくても、穏やかな表情を崩さぬまま、あくまで淡々とランニングを続ける。
それが大滝さんの元々の性質なのか、鍛錬によってそうできるのかはわからない。
けれどもわたしが会話の流れで「走るのが好きです」みたいなことを言ったらとてもうれしそうな顔をされたので、大滝さんは走ることが純粋に大好きな人なんだなあと感じた。
患者さんから「なぜ走るのか」というバカみたいな質問をされても、大滝さんなら真顔で「そこに道があるから」とか答えてあげるのかもしれないと思った。

わたしも自分の答えを探している。
「走るのが好きです」はちょっと嘘かもしれない。
俺は不滅の男、ってだれの歌だったか思い出せない。





2019年6月12日水曜日

私とサウナ


3年前の、ちょうど今頃のことです。
わたしはサウナにハマろうとして頑張っていたことがありました。

サウナを嗜むと、心身がととのいアイディアが湧く。
サウナ、水風呂、休憩を1セットとして交互浴を繰り返すことで恍惚感を得られる。
サウナは創作の泉である。
そう聞いて、わたしもサウナに熱中したいと思うようになりました。

サウナを大好きな人に憧れていたので、自分もサウナーになって気に入られたいとも、思っていました。

でも、みんなみたいにうまくサウナの虜になれなかったんです。
サウナ、確かに気持ちがいいし楽しかったけど、エクスタシー状態に至れなかったんですよね…。体力がありすぎるせいか、交互浴を何セットしてもととのえなくて、やめどきがわからず8時間とか浴場にいたりして…。
サウナ行かなくてもストレスで蕁麻疹とか出てこないし、抑鬱状態にもならないし、サウナに強烈に惹かれ、サウナを欲してやまないというサウナ依存者になれませんでした。
それを自分は挫折と感じました。
自分は感覚が鈍いのかなと思うと無念で、サウナ愛好家同士がサウナを通じて結束を強めていく様子を、指をくわえてひとりさみしく見ていました。

自分はサウナーとして大成することはないと悟った夏でしたが、その秋に出た長距離マラソン、ギリシャで行われたスパルタスロンのレース中、ちょっとかじっただけのサウナがすごく効いたのです。
日中の炎天下は「ロウリュ(サウナの熱波)よりは熱くない」と思って耐えたし、エイドでは頭からかぶり水を浴びるたびに「水風呂、水風呂」と唱え、わずかに涼しいオリーブの木陰を走り抜けるときは必ず、「外気浴でととのった」と言い聞かせて気持ちを新たに入れ替えていました。
その年は自己ベストを飛躍的に更新してゴールしました。原因はサウナ以外に思い当たりません。
いつもサウナを頭に思い浮かべていたおかげで、精神的にととのいながら、リラックスした走りができたんだと思います。
より正確に言うと、サウナを思い浮かべたのではなく、サウナの概念を思い浮かべていた、という感じでしょうか。

先日、ラジオ「のちほどサウナで」の番組内でサウナーの方々が「ランニングも始めてみたんですけど、2週間で挫折しましたね〜」「わかります、ランニングきついですもんね〜。その点サウナはいい!」などとお話しているのを聞いて、世の中いろんな挫折があるんだなあとわたしは思いました。
ランニングの方がよっぽど続けやすいけどなあ……家から一歩外に出ればいいだけだし、無料だし。
そう考えてから、もしかしてサウナって体力がなくてお金がある人のための場所なんじゃ? との思いに至りました。
それまでずっと、サウナにハマれなかった自分に落胆していたのですが、普段ストレスをためている人ほどサウナーになりやすいんですって。一人の時間がないとか、花や緑や風や鳥など自然に触れ合う機会がないとか、デスクワーク続きで運動不足とか。だから、いわゆる社会で忙しく働いている人たちが対象なんだと思います。
自分は3年前の夏など、「毎日山を走ってます! 押忍!」って感じだったので、そりゃあサウナ必要ないわと今になってやっと、失笑で片付けられるようになりました。サウナで得られること、だいたい全部ランニングでまかなえていました。

レース中は、無理やりランニングをサウナに寄せに行っていましたが、そうやってこじつけなくても、ランニングとサウナは似ているところがたくさんあります。
どちらも汗をかくという点でまず同じですが、例えばスパルタスロンくらいの超長距離レースでは、昼間は暑くて夜は寒く、朝が来て太陽が昇るとまた酷暑の時間帯を迎えます。そんなふうに36時間、温度変化に晒されながら外気を浴びて走り続けていると、昇天したような空白の瞬間が時々訪れるのですが、それがサウナで言うところの「ととのった」っていうことなんじゃないかと思いました。ただ単に気を失っているだけかもしれませんが…。

最近の自分の一押しのサウナは、寒い雨の日に外を走ることです。
雨に打たれて皮膚は冷たい(水風呂)けど、体の芯はポカポカして(サウナ)、自分自身から湯気が出たり(セルフミスト)するし、交互浴を一気にすべて味わえる時短ワザです。

わざわざサウナ施設まで行かなくても、わたしはわたしの体の中にサウナを飼っていると思うことで、サウナに対する鬱屈した感情が少し和らいだ気がしました。







2019年6月11日火曜日

イオンウォーター 箱で


毎週火曜夜8時からの「マグ万平の のちほどサウナで」というラジオ番組にメッセージを送ったら読まれた。ラジオから自分のラジオネームが読まれた瞬間は椅子から転げ落ちるほど感動しました。
人生で初めての体験でした。

わたしはラジオに支配されていると言っても過言ではないほどどっぷりラジオ浸けの日々を送っているのですが、基本的には番組に感想などは送らないサイレントリスナーです。
しかし以前は、どうしても自分のためのメールテーマだと感じたときなど思わずメールを書いちゃったこともあって、今まで確か3回くらい、投稿した経験があります。
ただ、いずれも採用には至りませんでした。絶対使ってもらおうと思って気合いを入れて書いた渾身のメッセージが読まれないとさみしくて、みんなどんな手を使って読まれているんだろう? と悔しくうらやんでいました。

「のちほどサウナで」は今年の4月に始まったばかりのまだ新しい番組です。
サウナに特化したマニアックな内容だし、マグ万平さんの知名度もそんなに高くないだろうし、この番組だれが聞いているんだろう、などとナメたことを考えながら番組内の「サウナあるある」という投稿コーナーを聞いていたある日、「女性サウナの様子も教えていただきたいですね、女性からのメールもお待ちしております」って万平さんが言っていて、それでつい、いっちょ書いてやっか、と筆をとったのでした(スマホ)。
自分も一応女湯に入るもんね、女性だもんね! と自分に言い聞かせながら、女を名乗りました。きっと本当に女性からのメール投稿少ないんだろうなあ、かわいそう。と思って書きました、上から目線で。
そうして、翌週の放送を楽しみに聞いていたんですけど、ついに読まれなかったんですよ……。

「のちほどサウナで」ですらダメなのかー! キーッ! 
って感じでした。
ラジオで読まれるのって、本当に狭き門なんだなあ、自分はだめだなあ、向いてないなあ、もう投稿は二度とするまい。
と、読まれないたびに毎度感じていた屈辱を今回も感じて、いいもんいいもん聞くだけでいいもん、とスネて再びサイレントリスナーに戻りました。

翌週の番組では、「サウナあるある」に届いた投稿を万平さんとゲストとが楽しそうにきゃっきゃきゃっきゃ読み上げた後で、万平さんが「もうサウナあるあるのコーナーは今週で終わりでーす。もう、あるあるじゃなくてもサウナのことならなんでもいいのでお便りお待ちしておりまーす」と言うので、わたしはクサクサとうらぶれた気持ちで「どうせ投稿が少ないからでしょ? じゃあわたしのやつ読めよ」と思った、その次の瞬間でした。
「それではお便り、30代女性、◯◯さんから。」

!!!!
自分だった!!!!
卒倒するかと思いましたー!!!!
もう諦めていたら、来た!! めちゃくちゃうれしかったですよ!!!

ラジオから、自分のお便りが聞こえてくる!!
すごい、こんな幸せなことがあるんだと思いました。
多くの番組で「リスナーからのメッセージ紹介」というコーナーは当たり前にあるのですが、パーソナリティとリスナーとの間でこんなに幸福なやりとりがされていたなんて今まで知りませんでした。どうせ放送作家がサクラでメッセージ書いてるんでしょ? とか思っていました。自分が採用されないことを認めたくないから…。
腹の底から言いようのないよろこびが込み上げて来て、畳が抜けるほど飛び上がってガッツポーズしました。そのよろこびの渦中にいながら、ひとつ疑問が湧いたのですが、

あれ…? わたし「サウナあるある」のコーナーに投稿したのに、なんで「なんでもないメッセージ」枠にされてるんだろう…?

…結局、自分はやっぱり番組側の意図をうまく汲めないらしいです。でも読まれたには違いないからノー問題! 翌々週からまたサウナあるあるのコーナー復活してたけどノー問題!
楽しかった! ありがとうございました! 
で終わらないんです、この話。

先日、「マグ万平ののちほどサウナで」宛からメールが届きました。
「5月分の当選者様として、番組よりイオンウォーターをお送りさせていただきたく存じます」という内容でした。
え……? なにそれと思って、当惑…。
わたしは自分のメールを読まれたところが最高潮だったので、そのときの純粋な感動に水を差されたような気がして、うまくよろこべなかったんです。メールを送ったら何か特典があるとも知らなかったし、そんな、下心でメールしたわけじゃないのに! 上から目線で、かわいそうと思ってメールしてあげたのに! っていう、自分でもなんなのかよくわからない複雑な感情が渦巻いて混乱しました。
まずわたし、サウナ番組にメール送っといてあれなんですけど、サウナそんな行かないです…。
サウナ大好きじゃない自分が当選者に選ばれちゃって、いいんですか? という、かたじけない気持ちもありました。
わたし、サウナが好きな人じゃなくてラジオが好きな人でした…。

「のちほどサウナで」の番組内ではイオンウォーターのCMが何度も流れます。
「♪疲れてないのに、ほおづえ。気づいたら、腕組み。それは、あなたの体がイオンを求めているサインかも。」って、水分補給の大切さを訴えてくるのですが、そんなほわわわ〜んとしたCMも体力がありすぎる自分からするとちょっとよくわからなくて、「それ鬱病じゃない? メンタルクリニック行けば?」って思っていました。

喉が乾いたら水道水、汗をかいたら水道水、の自分にとってはイオンウォーターなんて代物は軟弱の代名詞みたいなもので、ものすごく縁遠い存在だったのですが、今日、イオンウォーターが家に届きました、箱で。




プチプチで梱包されたペットボトルが郵便受けにポンって放り込まれる感じをイメージしていたらダンボールに24本来て、呆然としました。
うまく説明できないのですが、普段自分の生活圏内にないものがドカーンと家に現れて、自分はショックを受けたようでした。

とりあえずたくさんあるので1本開封しました。
今日は涼しくて汗もかいていないのに、イオンウォーターを飲みました。
水道水よりおいしかったです。
でも、飲むと自分がすごく疲れている人みたいな気がしてしまって、今日1日なにもできずに終わりました。だけどそれはイオンウォーターのせいじゃなくて自分の怠惰のせいなので、わたしに必要なのはただひとつ、やる気だけだと思いました。

なんか調子が出ないときにイオンウォーターを飲んだからといって生気がみなぎるとは思えませんが、10km走ったら1本飲んでいいとかルールを決めて実行したら、練習を始める足がかりにはなりそうだなと思いました。助かります。ありがとうございます。

今日の予定は20時からの「マグ万平の のちほどサウナで」を聞くだけだったのに、ブログとか書いたせいで聞き逃しちゃいました〜


イオンウォーターおいしいです




2019年6月10日月曜日

山里2

もう一個思い出した。

アウトデラックスの収録中もわたしが山ちゃんのこと好き好き言い続けていたら、「あなたが山ちゃんを好きなのわかる気がするわ」ってマツコさんに言われたんだった。
蒼井優が山ちゃんを好きになるのも、マツコさんは「わかるわかる」って感じですかね。

先日おふたりの結婚会見を見て打ちのめされたのは、わたしも指輪いらないし、安いスーパーで買い物するし、終電で帰る(か歩いて帰る。とにかくタクシーには乗らない)し、冷蔵庫すぐ閉めるし、グリーンカレー作れるし、山ちゃんが好きだし、蒼井優のいい女エピソード全部当てはまるのにだれからも声がかからないっていう…。
女優が庶民的な暮らしをしたらいい女だけど、庶民が庶民的な暮らしをしたらただのケチなんだよなと思って侘しくなりました。でも庶民が身の丈に合わない贅沢して破産するよりよくないですか?

蒼井優が結婚して落ち込んでいる方たくさんいると思うんですけど、蒼井優の代理にわたし、どうでしょう?
わたしと結婚したら、「なんで蒼井優の代わりにこんな得体の知れない女がいるんだろう?」と思って、いつまでも蒼井優を恋しく想い続けていられると思うんですよ。下手にいい女と結婚したら、蒼井優への忠誠心が薄れてしまいます。だから、蒼井優のことを生涯忘れずにいるために、わたしを使うといいです。
そのようにして嫌々わたしを娶ったら、蒼井優が山ちゃんと離婚するか死別するかした後に、あなたのその一途さ、男気に惚れて優ちゃん再婚してくれるかもしれないじゃないですか。わたしは蒼井優への踏み台になりたいです。
時には後頭部に蒼井優の顔を描いて、孤独を慰めてあげることもできると思います、余計やるせなさが募りそうですが…。

あと、蒼井優に似てるって言われたことはないけどしずちゃんに似てるって言われたことは2回あるので、しずちゃんを狙っている人もわたしにすればいいと思います。

とにかくわたしがすごく余っているので、残りの人生を棒に振ってもいい方はわたしがおすすめです星三つ
☆☆☆






2019年6月9日日曜日

いるかホステルの良いところ


美術館で滞在制作をしていたため、昨年は頻繁に富山を訪れる機会があったのですが、常宿はいるかホステルでした。
いるかホステルは昨年できたばかりのとてもきれいなゲストハウスです。



富山マラソン前日も私たちは当然いるかホステルにお世話になって、リハーサルまでさせていただきました。
祝日、団体客によっているかホステルが満室だった時にはオーナー(若い)の方(女)のお宅にご厄介になるなど、拝んでも拝みきれない施しを頂戴いたしました。富山に足向けて寝られないです。毎日拝んでいます。

以下、いるかホステルの良いところを全力で教えてあげます。

・新しい

・清潔

・安い

・美術館から一番近い

・富山駅からも近い

・熱意がある

・夢がある

・洗面所の鏡が丸くてかわいい

・壁の絵がハイセンス

・階段でトレーニングができる

・シャワー室のバスマットが速乾素材の珪藻土だったりして、現代の優れものを適切に取り入れている

・ベッドの敷きマットがこだわりの逸品。私はどこでも熟睡できるので気づかなかったけど、武内が「あれ普通のマットじゃないよ。高いよ」って言っていた

・ドミトリーのベッドは木の壁で個々に仕切られているので安心感がある。金庫もある

・ベッドは天井が高く、立ち上がっても頭をぶつけることなく自由に動ける。多くのドミトリーは2段ベッドなので身をかがめて行動せねばならずストレスを感じがちだが、ベッドを個室と同じ感覚で使えるのはとてもありがたい。壁にもたれるのが大好きな武内は、このスタイルが最高だと絶賛していた。四方を壁に囲まれているベッドだと起き上がるのも苦じゃないらしい。

・自炊可。キッチンには珍しい調味料が常備されていて楽しい。

・食器の色が壁の色と調和している

・ご飯は共有スペースのテーブルで食べるので、やる気があれば他の滞在客と交流できるし、やる気がなければ即自分のベッド(個室)に引っ込める。逃げ場があるので挨拶をフレンドリーにしてもこわくない

・オーナーの方が富山を愛している

・ドアに消音スポンジが付いていたり、シャワー室への誘導表示がわかりやすくなっていたり、行くたびにどこかしら改善されてどんどん使いやすくなっている。細やかな工夫が随所に見られ、ゲストハウス運営への気概を感じる

・若者がいきいきしているので応援したくなる

・へんな卓球台みたいなやつがあって、その穴から顔を出して写真撮ったりできる。オーナーの村上春樹ファンアピールが過剰。経緯はわからなくても勢いを感じられる。好きなものに対する熱量が大きい

・ものすごいたくさんお菓子くれた!(個人的)


というように、良いところばっかりのいるかホステル、まず運命を感じるのは、私が初めて富山に行く日の2週間前にオープンしているという点で、よくぞ間に合わせてくれましたー! って感じです。私のためにオープンしてくれたと思っています。

いるかホステルの良いところ、あと少なくとも100個はあるので、みなさんもご自身で見つけに行ってください。




オーナーのまどかさん、京都まで個展見にきてくれたーーーーー!!
バカーーーーー!!
行動力の無駄遣いーーーーー!!
武内さんのワンピースは自分が着ると完全に割烹着でした。農作業に励めそうです。

2019年6月7日金曜日

富山マラソン


去年の秋、武内さんと富山マラソンに参加しました。



美術館での展示と併せ、ピカソの「座る女」になりました。
走る「座る女」です。

1万人以上が参加する大規模マラソン、私たちは最後尾からのスタートでした。
ゲートをくぐるまでに15分以上かかりました。雨上がりの虹が美しかったです。

キャンバスを持って走るため、幅を取るわたしたちは前方ランナーにぶつからないようジグザグ走りで進まなければならず、視野も狭いので苦労しました。絶対42km以上走った。



大きな橋の上では海からの強風に煽られて武内さんが転倒し胸を強打、デコボコの田舎道では若木が足裏を痛めて休憩、など、いくつかのトラブルはありましたが、美術館前では横断幕まで掲げていただいて元気にゴールすることができました。

ボランティアスタッフの方々、沿道の方々、周りのランナーの方からもたくさん励ましの声援をいただきまして、明るい気持ちで走れてうれしかったです。




絵を持って走るのは初めてでしたが、それよりも大変だったのは靴を履かずに走ることでした。
以前、靴なしで北京マラソンを完走した経験があったので、今回も平気だろうとタカをくくっていたのですが、地面が雨で濡れていたせいもあって一瞬で靴下が破れてしまい(布は濡れると弱くなる)、裸足で42km走ることに…。
なるべくツルツルした質感の白線上を選んで進みたかったのですが、人も多くてなかなか白線に乗れず、コース後半にはでっこぼこの田舎道もあったりして、そこでわたしは激痛に耐えられずギブアップ。
つま先立ちで歩道まで上がって武内さんの中敷を借り、コースに復帰、なんとかゴールまで漕ぎ着けました。

ゴール後3日間は寝ていても常に足裏がジンジン痺れていて、大変な故障をしたのではと青ざめましたが、4日目からみるみる回復して1週間後には普通に走れるようになりました。患部は真っ黄色をしていました。打撲による内出血と思われます。2週間後に固くなった踵の皮がバリーンとめくれて、完治。日常生活に支障はなかったし、終わってみればおもしろかったです。

今思い返せば、北京の前はもっとちゃんと裸足ランの練習をしていた気がします。何事も、準備と練習が必要だと改めて実感しました。でも、練習さえやっとけば、別に裸足で走るぐらいどうってことないですね、と負けず嫌いの自分はふてぶてしく思っています。

あー練習!
練習ね!!
練習かー!!
練習!!!
練習ー!!!!


富山マラソン2018 動画


武内さんが動画をつくってくれました。

走る! 座る女
https://www.youtube.com/watch?v=-70Cf7Uzv3o&t=0s


肩や腕がぶつかるのが本当にうっとおしい、暑苦しい、邪魔! 
と思っていたとは微塵も感じさせない、楽しそうな仕上がりになっております。
どうぞご覧ください。








応援本当にありがとうございました!
わたしたちは富山が大好きです!(また呼ばれたい!)



2019年6月6日木曜日

山里

ワタリドリ計画は麻生さんと武内さんによる美術ユニットです。
今では親しい友人ですが、わたしは当初麻生さんから色物認定されて反感を持たれていたし、ふたりとも遠い存在でした。
ワタリドリ計画との初対面は京都でしたが、けっこう苦い感じだったと思います。
上っ面だけの表面的な挨拶を交わして別れ、しかし次に麻生さんと会った時に、ひょんなことから蒼井優がかわいいという話題で意気投合、そこから急に親交が深まりました。
「蒼井優の長い髪に顔をうずめたい」とか「蒼井優の使った枕に顔をうずめたい」とか「蒼井優の薄い胸に顔をうずめたい」とか、とにかく蒼井優にうずまりたい話を延々しました。

それから10年経って、麻生さんは猫と羽生くんを愛するようになり、もう好きな女の話をすることもなくなったのですが、わたしは蒼井優の可憐な佇まいをいまだに好きでいます。

一方山里さんですが、わたしはご本人にお会いしたことがあるんですよ…。以前テレビに出たりしまして…。
初めてお会いした時、やさしくしてもらおうと思って開口一番「ラジオ聴いてます! 好きです!」って告白したら、まんまとやさしくしてもらえて、それから本当に山里さんを好きになりました。
自分は今までにテレビの収録スタジオへ行った経験が3回だけあるのですが、その3回とも山里さんが司会者って、それって、まさか! 山ちゃんが! 自分を! キャスティングしてくれてるのでは!! とか、勘ぐったりするじゃないですか。まさか山ちゃん、わたしと結婚してくれるつもりかな! なーんて、いそいそ待ってたんですよ~~~!
スタジオ現場では、
__________________________________

私「山ちゃん好き! 山ちゃん好き!」

山ちゃん無言

スタジオメンバー面白がって「どこが好きなん」

私「え、でも、自分の周りの友だちもみんな山ちゃんのこと大好きですよ!」

山ちゃん照れる

私こころの中で(……友だちひとりしかいないけど……)

___________________________________

というようなやりとりもありましたがカットでした。
この頃から山里さんはちゃんと、自分のような奇人変人エリアからすごくモテていたのに、一貫して非モテキャラを作り込んでいらっしゃって、この~! 仕事熱心め~! 
わたしの「好き」もモテにカウントしてください!

本当は自分は、大好きな蒼井優の結婚なんてさみしいはずなのですが、相手が山里さんとなると話は別です。何しろわたしは山ちゃんに会ったことがあるわけですし、山ちゃんの顔を自分の後頭部に描いたことだってあるし、もう、自分も間接的に優ちゃんと結婚したようなものだと思っています。山里とわたしほぼ同一人物説!

おめでとうわたし! ありがとう! 一生幸せになります!



2019年5月31日金曜日

告知 駅伝藝術祭


明日、駅伝藝術祭というイベントに参加します。
駅伝色よりも藝術色のほうが強そうなイベントなので、本気のランナーの人から眉をひそめられるのがこわくて、告知はサボる気でいました。

そんな折、運営の方から、「生中継を配信するためチャンネル登録者を増やすべく、SNS等で宣伝してほしい」というお達しがあり、ゲッソリきて完全無視を決め込んでいたのですが、今日下見に行ってみたら(初顔合わせ)、告知していないことをだれも責めてきたりせず、全員とてもやさしくて反省しました。
というわけで、だれにも届かないブログですがここに告知を…。



私は真ん中の第二走者です。
SNSではつながれませんが、現場では死にものぐるいでタスキをつなぎますのでよろしくお願い致します。
ちなみに第一走者の方とも第三走者の方とも、面識はないです。一度も会ったことない。電話もない! メールもない! テレビもネェ! ラジオもネェ! クルマもそれほど走ってネェ!
駅伝って、チームの絆をつなぐものだという先入観があったのですが、絆がネェ!!!
見ず知らずの方につなぐってどんなテンションで挑めばよいのか、これを機に新たな境地をひらきたいです。

オラ東京サいるだ



2019年5月8日水曜日

個展のお知らせ 「ウルトラの滝」


京都で個展をします。



新作50点以上を詰め込みました。
これからは版画家を名乗ります。
税金対策に困っている富豪の方や、買い物依存症の方はここで散財するのがおすすめです。
見るのは無料なのでとにかく見に来るといいです。































































京都・アートゾーン神楽岡
若木くるみ木版展
ウルトラの滝
5月11日(土)〜5月26日(日)
水・木休み
11時〜19時(最終日のみ17時まで)



よろしくお願いいたします。




私と部屋

何かのまちがいでファッション誌のサイトに載りました。
https://ginzamag.com/lifestyle/roomandme12/


おしゃれサイトでは写真NGで没になった、自慢のトイレはこちらです。

スパルタ・了


雨によるダメージを仮に5とする。
風によるダメージを仮に5とする。
では雨と風、ふたつがタッグを組んだときのダメージは足して10になるのかというと、ちがう。雨風によるダメージはかけ算して25、もしくは計算を無視して、ダメージ50でもダメージ500でも良い。雨で濡れた体に強風が吹き付けると体感温度は信じられないほど低くなる。吹きさらしの平地をなんとか越え、飛ばされるほどの突風はいくらか収まったが、雨は依然として降り止まず、一旦下がりきった体温はいつまで経っても戻らなかった。心身の消耗が刻々と進んでゆく。
エイドで待つサポートカーから、再び防寒着を調達した。ゴアテックス素材なのか、安心感ある見た目の、ごついアウターを貸してくれた。あまりに寒く、止まると震えがわなわなと立ち上がってくる。ポンチョの上から袖を通し、走りながらファスナーを閉めようとしたが、指先が思うように動かず苦心した。

ファスナーが上がった。しかし体温は上がらない。(うまいこと言った)
首元をかき合わせると、リボン状の紐が指に絡まった。フードから剥がれた止水テープだった。借りたゴアテックスは防水機能が効かないらしく、雨を吸った丈夫な布地はずっしりと重たく肌を圧迫した。
「くるちゃんそれ、すごい重くない? 鎧みたいだよね。」武内さんが言った。武内さんも途中でこの防寒着を借りて、でもその割には確かに一区間で脱いでいたなと思い出した。もっと早く言ってよと思ったが、着ないよりはましなのかもしれなかった。わからない。心霊が覆いかぶさっているみたいに上半身が重だるい。濡れた生地が常に新鮮な冷感を供給する。今は走っているからなんとかギリギリの体温で死なずに済んでいるが、走るのをやめたらどうなってしまうのか。考えただけで、一段と深い寒気が脊髄をせり上がってきて絶望した。
自分は通常、晴れた日のレースでもゴール後は低体温に陥ってしばらく辛い思いをする。ゴールした瞬間に即、サウナに放り込まれるか地獄の釜でグツグツ煮られるかしない限り、本当に死んでしまいそうだ。ゴールにはサウナはなさそうだが地獄ならありそうだった。ゴールしたいのかしたくないのか、考えれば考えるほどわからなくなる。どこにも逃げ場がない。天国に行きたい。暖かい場所……

暖かなパライソを夢想しながら、残り7kmのエイドに達した。
青い車は見当たらなかった。
水しぶきが楽しげにまとわりつくランニングシューズのつま先を、自分はひたすら眺めて走った。
足元だけを見て、何の意思も持たず、左右の脚は下り坂の重力を使って自動運転させていた。

ゴール翌日武内さんが、「ラスト6kmのところでジョイナーさんに声かけてもらったじゃん」とレースの振り返りをしていたが、私には何のことだかわからずゾッとした。自分の残存エネルギーは、0%に近かったらしい。低電力モードに入った自分は、省エネのため、外界からのすべての受信をオフにしていたようだった。武内さんがそばにいなければ、自分はレースを続けていられただろうか。意思も思考も停止したまま、並走する武内さんの足取りが、自分をかろうじてレースにつなぎ止めていた。

残り3kmで市街地へ入った。あるはずのエイドは撤去されていた。
豪雨と強風がまた強まった。ひどい。今が最悪の天気なんじゃないか。ゴールを迎える晴れがましさは一片もなく、いつもは賑やかな沿道の声援も皆無だった。ただ自分の生存を無感動に確かめて、幻のような一歩をスパルタの町に刻み続けた。

マンホールから透明な雨水が勢いよく噴き上げている。道路には濁流が渦巻き川と化していた。ずっと隣にいたはずの武内さんがこちらを振り向いたので、我に返った。
あれ? と不思議に思って、足元を見つめた。自分の足が止まったことにもそれまで気づいていなかった。
武内さんの顔を虚ろに見上げた。武内さんは「なんなの?」と、無言の問いかけとともにこちらを見ていた。お互いもうずいぶん長いこと、一言も発していなかった。声を出しても土砂降りの騒音に消されてエネルギーが無駄になるだけだ。自分もやはり無言で「なんなんだろう」と答えた。体が前進を拒絶していた。体が、「私はこの川に浸からないといけないのですか? 嫌です。」と言って、勝手に足を止めたらしかった。とにかくもう、血が凍るほど寒かったのだ。これ以上の寒さは危険だという、体からの信号だった。
「行くぞ!」意思の力を使えば、足は簡単に動いた。川に一歩、そろりと右足を差し込んだ。全身が痺れた。その場でバラバラと瓦解してしまうほど冷たい。低電力モードに入ってからというもの意識をずっとオフにしていたため、「行くぞ行くぞ行くぞ行くぞ」と常に集中して言い聞かせ続けないと、体がまた勝手な振る舞いをしそうだった。行くぞ。ゴールまで行くぞ。川は永遠ではなかった。足の甲が水から上がってきた時には安堵のあまり泣いてしまった。自分の体も、自分の心も、コントロールが効かなかった。しかしもう終わるのだ。残り1km。ここまで来たら泣いていても不自然では全然ない。「痛いよ寒いよ辛いよ~」とメソメソすすり泣くしんきくさい涙から、ゴールを迎える感動の涙へとスムーズに移行した。

しかし「感動」という言葉は便利だ。感動と銘打ってしまえばあとは何も考えなくても許される。考えるのはもう疲れた。自分の「考え」の餌食になるのはこれ以上ご免だった。思考は感動を妨げる。おつかれさまでした。大いなる感動に身をまかせたい。

最後の曲がり角を、足並み揃えて武内さんとカーブした。
のぼりくだりする直線の、細かな起伏の向こうにレオニダス像が煙って見えた。あれがゴールだ。

私のスパルタスロンは、あきちゃんだった。
あきちゃんが私のスパルタスロン、そのものだった。
笑って泣いて、必死になってここまで走った。喜怒哀楽の詰め合わせで破裂しそうな宝箱を、ガタガタ乱暴に揺らしながらそれでもこうして運んできた。
「一生懸命なくるちゃんが好きだよ!」そう言い切る武内さんの声が、ずっと自分の、支えだった。

「考え」のスイッチはオフにしたはずなのに、武内さんのやさしかった思い出が、洪水のように押し寄せていよいよ涙が止まらなかった。
膝から崩れ落ちそうなほど泣きじゃくる私の手に、武内さんの手がそっと重なった。
手をつなぐ。
怒涛の安心感に包まれる。

5度目のスパルタスロン。4度目のゴール。武内さんと並んで辿りついた、はじめてのゴール。
雨音が拍手のように鳴り響く。
かけがえのない思い出が、積み重なって今をつくった。
レオニダス像の足指が、つやつや眩しく濡れている。銅で出来た巨大な体が、雨に打たれて寒そうだ。
冷たい銅製の足の上に、つないだ手と手の微かなぬくもりを、確かに伝えた。
ふたりが流した汗と涙のささやかな青春が、スパルタの風に吹かれてひらひら舞った。





2019年5月7日火曜日

スパルタ ゴールは遠ざかる

あと50kmで終わる。
200kmより、100kmより、50kmは短い。もう少しの辛抱だ。
リタイアしていないのが不思議なくらい心身ともにボロボロだった。そのくせ「少しでも早くゴールしたい」とは思えない自分がいた。毎年着実に伸ばしてきた自己ベストを、今年は更新できなかった。ガクンと落としてしまった成績を、どうやって受け入れたらよいのだろう。タイムや順位といった数字以外の部分で、意義あるレースだったと感じなければならない。そのためには制限時間を目一杯使って走ったほうが濃い内容にできるのかもしれないと、貧乏くさく計算した。
ただの完走で終わらせたくはなかった。
すぐムキになって、優勝争いに絡んでいるわけでもないのに「1秒でも速く!」と限界まで追い込むのが自分のこれまでのゴールだった。一生懸命と言えば聞こえはいいが、行き過ぎたハングリー精神が暑苦しくもあった。ずっと苦手としてきた「レースを楽しむ」という新境地に至る、今がチャンスだった。一生懸命のワンパターンから卒業するしかない。
そうと決まれば、焦ることはなかった。のんびりと和らいだ気持ちで走る自分を、たしなめる厳しい視点は持たなかった。

青いサポートカーがクラクションを鳴らした。
窓から顔を覗かせたのは途中一緒に走ったはずの外国ランナーで、リタイア済みの気楽な笑顔がはじけていた。
道の脇に止まった車に駆け寄って、「なんで!?」と大げさに嘆こうとしたが、うまくいかなかった。「ありゃだめだな」ととっくに諦めていたからだ。リタイアに対する驚きはなかったが、また会えたことはうれしかった。
「グレート! アメージング! グッジョブ!」
無邪気に応援してくれる相手の笑顔に釣られて自分も思わず笑ってしまい、外人はリタイアすらも陽気だなと尊敬の念を持った。悲壮感の全くないリタイアは、むしろ清々しく新鮮に感じられた。
何か欲しいものはないか聞かれて、甘いバニラ飲料をもらった。クーラーバッグの中でドリンクはすべてキンキンに冷やされていた。缶を持つ指先に感覚がない。「寒い」と体をさすって衣類もよこすよう要求した。この時点ではまだそれほど、強い寒さを感じているわけではなかったのだが、自分にはわがままを言う権利があると思った。車内はあたたかいだろうなあ、少しだけでいいから寝たいなあ、リタイアかよいい身分だな、と思うと苛立ちが急激に募り、ぶんどったウインドブレーカーを仏頂面で着込んで走った。

走っても走っても、体が温まらない。ペースが遅すぎるせいだ。コースは上り坂に入り、疲労はいよいよ限界だった。寒さに身を縮め、やっとの思いでエイドに達した。
「味噌汁あるよ!」という河内さんの誘いにつられ、駐車場の向こうのロッジまで歩いた。とにかく最短でゴールしたい普段の自分なら、絶対に取らない行動だ。しかしどうしても寒かった。小刻みに震えながら、とにかく体を温めなければと思案した。何か服を借りられないかお願いすると、「ないなあ」と困った顔で、それでも「Tシャツなら!」と新品の大会Tシャツを恵んでくれた。シャツの袋を開封する様子を見ながら、だれかへのお土産だったのかなと申し訳なく思ったが、手に持った紙コップのお味噌汁がこぼれるほどガタガタ震えて、「大丈夫」とは言えなかった。
エイドを通過する選手たちを眺めながらぼんやりお味噌汁をすすっていると、武内さんの姿が現れた。河内さんがエイドまで走り出ていく。着ていた黒いレインパンツを脱ぎ捨てて武内さんは、そのままゴールに向かって行ってしまった。てっきり一緒に休憩するものだと楽しみに待っていたのでがっかりした。自分ももたもたしてはいられない。早く出発しなくては。そう頭では思うのだが、足を止めたせいで寒さはかえって増していた。お味噌汁の温もりは全身までは回らずに、震えがいつまでも止まらない。体が出発を拒んでいた。
ロッジからさっきの外国人が出てきた。「寒い寒い」と訴えると、さっとフリースを脱いで自分に着せてくれた。ギョッとしたのはフリースの下が裸だったからで、自分は動揺を隠すように乳首に貼られた絆創膏を凝視した。擦れ防止用の絆創膏が、雨に打たれてひっそりと寒々しかった。そうだった、この人もさっきまではランナーだったのだ、と我に返ってハッとした。リタイアの悲しみに追い打ちをかけるような真似をしてすまない。こちらが悲しくなった。山賊みたいに身ぐるみ剥がしてしまった。
私にフリースを着せて外国人は、「ロッジにストーブがあるから、暖まって行け」と言う。断ると、「時間はたっぷりある。なぜ急ぐ。WHY!?」となじるような顔をする。
お前、リタイアしてなかったっけ? と悲しみから覚めて私は思った。時間はたっぷりあるなんて嘘だ。そんなぬるい気持ちでいるから安易にリタイアするんじゃないのか。相手を手厳しく断罪した。言葉が通じないのが幸いだった。
お前にはリタイアがお似合いだ。そして私は完走に向いている。
心の中で捨て台詞を吐いて、エイドを出発した。フリースのなめらかな温もりが自分の尖った気持ちをやさしく撫でた。武内さんの背中を懸命に追いかけた。

追いついて一緒に走った。眠い自分は少しずつ遅れた。振り向いた武内さんが迷惑そうな顔で「そのペースで間に合うの?」と喝破してきた。うるせえ。自分は「さっき、時間たっぷりあるって言われたもん」とふてぶてしく返してから、その情報源は信用ならないことを思い出してにわかに不安になり、「間に合わないの?」と恐る恐る聞いた。「あと6時間で40km。ちゃんと走らないと厳しいよ」武内さんが時計を睨みつけて言う。重ねて「この区間にこれだけの時間かかっているからこの調子で通すつもりならもう本当に無理。」と直近のデータを突きつけられ、私はようやく開眼した。「どうしよう!?」慌てて武内さんに食ってかかった。
このままでは間に合わないことは理解できたが、足がどうにも動かなかった。自分は「わかるけどこれ以上速く進めない!」と悲痛な声を振り絞った。武内さんは無言だった。

絶望的な展開だった。ここまできてゴールできないなんて、と歯を食いしばって涙をこらえた。嗚咽で息ができなくなりそうなので、口を開けて酸素を吸った。
喉に余計な雑菌が入らぬよう鼻呼吸で走ってきたが、もうどうにでもなれと観念して口呼吸に切り替えた。パワーがみなぎるのがわかった。一拍置いて、足が動いた。足の回転についていこうと「ハア、ハア!」激しく呼吸しているうちに、潰れていたかすれ声も、音声としてはっきり出てくるようになった。
「あきちゃん!! 走れるようになった!!」クララが立った瞬間の感動に撃たれて、武内さんに絶叫した。

ウルトラマラソンには復活がつきものである。もうダメだと思っても、ひょんなきっかけでケロッと生き返ったりする。でも、何度復活を経験しても、復活の奇跡に出逢うたび、毎度心からびっくりする。こんなに何度も奇跡が起こるならそれはもう奇跡ではないのだろうが、それでもやっぱり奇跡だとしか言いようがない。さっきまで動かなかった体がどういう仕組みで復活したのか、わからないまま夢中で走った。

まともに走れたために体温が上がり、暑いと感じるようになった。フリースを脱いだ。さっきの外国人は本格的に我々の専属サポートをすることになったらしく、エイドごとに回り込んで待ってくれていた。自分も、エイドが近づくと青い車をまず探した。彼のリタイアは私たちをサポートするためにあった。そう錯覚するほど、献身的な支えだった。ありがたく防寒着を車に預け、ふと、サポーターの接触エリアは数カ所に決まっていたはずなのに、こんなに度々お世話になって良いのだろうかという疑念が湧いた。ルール違反じゃないのか、眉をひそめて尋ねてみると、台風のため全エイドでサポートが許可されたとのことだった。悪天候が原因のルール変更があったということは、制限時間を待たずしてゴールが閉まる可能性もある。天候の悪化によってレースが中断された前例が国内にいくつかあった。ゴールが封鎖される前に、さっさと辿り着かなければ。武内さんと顔を見合わせて先を急いだ。

私が死にそうな声でゼーゼー喘いでいると、「くるちゃんそんな飛ばさなくても大丈夫だよ!」武内さんが見かねて声をかけてくれた。「貯金増えたよ!」時計を見て、にっこりする。
武内さんはビデオを回し始めた。「すごい風です!」とビデオカメラに向かって余裕の表情で実況している。最後のふたつの急坂は走らないと決めて、「風ー!!」と雄叫びをあげながら、楽しんで歩いた。
坂道の上の方に黒いワゴンが停車した。恰幅の良いシルエットが車から身を乗り出し、こちらへ手を振る。何かとひいきにしてくれるカメラマンだった。自分たちもカメラに向かって走り寄る元気がまだあったりして、ここまで来たらもうゴールしたも同然だった。とうとう終わる。隣に武内さんがいる幸せを噛み締めていた。

坂道を登り切ると眼下に広がるのは海である。遮るものは何もない。えっちらおっちら、坂の頂点へと一歩進むごとに、猛烈な暴風雨が勢いを増して我々に襲いかかった。「風すごー!」とか言ってお気楽に笑い合ったついさっきまでをなつかしむ。息もできないほどの突風が間髪入れずに飛びかかり、腰を折り曲げひたと足裏で踏ん張った。もったりした重たい砂の中をかき分けるように苦しく前進していると、腹にパンチを食らって耐えきれずよろめいた。強力な突風にみぞおちを殴られたのだった。「ぶわっ!」と呻いて180度回転し、後ろを向いた。すると視線の先には武内さんが遠くいて、小柄な彼女はその一瞬で数メートルも後方に飛ばされ、坂からずり落ちそうになっていた。「ぎゃー!」と叫んで駆け寄り抱きすくめると、武内さんは「今のやつ撮りたかったー!」とビデオチャンスを逸したことを悔やんでおり、プロ意識が高かった。「すごくなかった!? 何メートル飛ばされたことにする!? 10メートルはやりすぎかな!?」と、興奮した武内さんに話をどれだけ盛るか相談を持ちかけられ、「うーん2~3メートルだと思うけど…、せめて5メートルにしたら?」と、あいだを取って答えた。体感としては実際5メートルくらいの勢いはあった。けれどもその5メートルに自分と武内さんとの体重差が落とし込まれていると考えると、誇張の片棒を担ぐことに抗いたい見栄もあった。私は回れ右をするのがやっとで、1ミリたりとも飛ばされませんでした。

くだらぬ談合をしながらふたり抱き合って動けずにいると、がっしり大きい外国のランナーが助けに来てくれた。私と外国人とで両側から武内さんを挟み込むようにガードして歩いた。
「ホエアー、アー、ユー、フローム!」
至近距離で怒鳴り合っても声が届かないくらい、風が轟々と猛っている。武内さんを支えていたはずの自分は、いつの間にか外国人にかじりつく格好になっていた。隊列は乱れ、風の吹き抜ける隙間を潰すように、三者の腕はこんがらがってひとかたまりにもつれている。動力は主に外国人が担っていた。ワシワシ歩く外国人にひしとしがみついて、3Pありがとうございます。と感謝した。

目前だったはずのゴールがどんどん遠ざかってゆく。最後の最後で暴風を食らって、歩いても歩いても距離が縮まらない。
雨、風、坂のトリプルコンボが完走を阻む。さすが、過酷が売りの大会だけあると思った。過酷オプションの充実ぶりが素晴らしい。
いくらかでも貯金があったことは僥倖だった。ギリギリのタイムでここに突っ込んでいたら、精神的にも体力的にも、とてもじゃないけど保たなかった。
「まだ大丈夫」
「まだ大丈夫?」
貯金は減り続ける。進まない距離に焦りは募るばかりだった。

「ただの完走で終わらせたくない。」そう考えた、3時間前の自分が頭をよぎった。思えば傲慢な考えだった。
「私のまちがいでした。ただの完走でいいです。」涙ぐんで心から思った。
「ただの完走で十分なので、どうかどうか完走をください。」
ただの完走が美しかった4年前のゴールを思い出した。
時間がどうの、順位がどうの、こだわっていた最近の自分が小さく思えた。今はただただ完走させてほしい。望みはそれだけだ。
欲を捨て、解脱に近づいた自分がいたが、完走への執着だけは捨てられなかった。




2019年4月10日水曜日

スパルタ〜

「大丈夫ですか」と言ってくれた黄色いランナーは日本人だった。立ち尽くし、ふり返り、私が心待ちにしていた方だった。
「眠くて」と返す自分の声はしゃがれきって聞き取れる限界を超えていたが、この区間、天気は小康状態で雨が止んでいた。車も通らず静かな朝を迎えていたため、会話が叶った。
ポンチョ一枚で走っていることについて心配されたが、寒さは我慢できる範囲だった。それより眠い。互いに名乗り合ってから、「スパルタ何回目ですか?」とか、「目標タイムありますか?」とか、「お住まいは」「走歴は」「きっかけは」、睡魔のつけ入る隙をつぶそうと、立て続けに質問した。初対面の方にあれこれ聞き込みする感じが見合いの場のようだと思ってひとり照れていると、「あの…、よかったら、持ちます…?」と言って腕を差し出してくれて、ドッカーン! ハートが噴火した。続けて、「あ、あの、手でもいいですし袖でもいいですし裾でも、…どこでも。あの、以前なにかで完走文を読んだことがあって」と、慌てた様子で補足され、自分はさらに赤面した。「どこでもいいんですか…? じゃあ、…ちんこでも……?」と言えるほど親しくはなく、「そ、袖を…」と出ない声を振り絞り、おずおずと腕を取った。
海外、国内問わず長距離走のたびにつぶれては都度、だれかに手を引いてもらってきた。身に覚えがありすぎて、どのレースの記録を読まれたのかわからなかった。いずれにせよろくなもんじゃないのは確かだが、それでもそのおかげでこうして並走してくれるのだからありがたい。なんでもかんでも書いておくものだなと思った。というわけでもう一度ここに改めて記しておくと、私は眠いときに手をつないでもらうのが大・大・大好きです。
相手が外国人の場合は、こちらが弱っていると見ると有無を言わさず手を取ってくるし、日本人の場合は、こちらから襲撃してむりやりかまってもらう。これまで様々な手口で他人を巻き込んできたが、「よかったらどうぞ」と控えめに介添えを提案されるパターンは初めてだった。頬をポッと赤らめる自分が、ゾーンに入ったのがわかった。もう、好きと思ってしきりにもじもじした。遠慮がちに袖をつまみ、「やだあ女子〜」とオカマ口調で思ってまた照れた。

異性の袖をひっぱって、半歩うしろを行く。
それだけ書くと初々しく可憐な情景も、実際のところは「妙にゴツゴツしたばかでかい女が酔っ払いじみた千鳥足でしつこくすがりつく」という残念さで、男役のランナーがお気の毒だった。それでも、「ごめんなさいごめんなさい」と謝ると、「いえ、気がまぎれて自分も助かってます」とか返してくれたりして、「それそれ〜!」と私ははしゃいで思った。この人ほしいセリフをくれるなと思って、好きメーターがまた上がった。ここまでのレース、人から助けられる一方だったので、助け合いがやっとできて感無量だった。もっと助けられていいですよ! 私に! と思って袖を強く握り直した。
エイドが見え、自分は先行することになった。「声が出なくてすみません、ゴールしたらちゃんとお礼をさせてください」などといい子ぶった挨拶をして、別れた。
ああよかった、あの人がいてくれて本当に助かったと、すっかり良い思い出にしていたら、また眠気が来て足が止まった。止まると、思い出が追いついてくる。再会。並走。エイドに着く、別れる。眠くなる。追いつかれ、並走。エイドで別れる。眠くなる。追いつかれ、並走。
会えない時間で愛を育てたいのに、私の足がすぐに止まるため、あっさり会えてしまってありがたみがなかった。けれども、何度も何度も、眠くなると必ず現れる黄色いジャケットは、私にとってヒーローだった。自分は、「ヒーローの仕事は困っている人を助けることなんだから、まあいいよね」と、無力なランナーの座にふんぞり返って、このいびつな関係を肯定した。
そのようにして長らく助け合って(公認)きたが、200kmを超えたあたりで急な便意に襲われ、私は何も言えずにじりじりと後退した。振り向いてくれないかな、でもいま振り向かれたら脱糞シーンを見られちゃうよ〜、と複雑な感情で、黄色い背中が小さくなるのを見届けた。
それが最後だった。
完走後、お礼が言いたいと本当に思っていたのに、なんと私は顔を覚えていなかった。メガネの特徴だけを手がかりに、メガネをかけている人に片っ端から「○○さんですか?」と尋ねて回ったが、いずれも人違いに終わった。しかし言いわけするならば、○○さんはレース中フードをすっぽりかぶっておられ、しかもメガネは曇っており、髪型も輪郭も目の造形も隠れていた。鼻がふたつついているとか、もしくは鼻がないとか、顔面中央にびっくりするような特徴でもない限りお手上げである。実際、ランナーなんてだいたいみんな痩せて焼けていて短髪で、そもそもが酷似しているのにその上メガネが来るともう印象は「メガネ」でインプットされてしまう。そしてメガネのランナーは意外と多いのだった。

紅白などでAKBを見ると決まって「若い子はみんな同じ顔をしておる」とぼやく初老のおじさんと同じで、「ランナーはみんな同じ顔をしておる」と私も思うのですが、それは覚える気がないからじゃなくて、AKBとかテレビに出ている娘はみんなかわいいじゃないですかあ〜。彼女たちは整っているから似てるんです。そのように、ランナーの方も全員すてきでいらっしゃるので、ごめんなさい、みんな、同じに見えます…。だから、レース中親しくさせていただいても、あとで顔がわからなくなることについて、どうか悪く思わないで欲しいのです。本当にね、みなさんかっこいいのでね……。それなら、じゃあなぜ自分はやたら顔を覚えられてしまうのか。ブスだからです。でも整形したので、もう覚えないでください。





2019年4月3日水曜日

スパルタ 二日目の朝

サンガス山付近で時計を確認したときは「もう朝だな」と確かに思ったのに、そこから明るくなるまでの道のりが果てしなく長かった。

しばらくぶりに幻覚を見た。何度か遠くのほうに同じモチーフが現れては消えた。
子どもたちが5、6人、かごめかごめか、はないちもんめか、何か手をつないでちょこまか足を動かしていた。初めは現実かと思ったが、この時間に? こんな場所で? 明らかに怪しかった。彼らとの距離は一向に縮まらず、なのに視力の及ばないはずの細かなステップまで、克明に見えた。子どもたちとセットでちょうちょも数匹必ずついてきた。色の配置を覚えておこうと思ったのに、緑のちょうちょが無軌道に動いて邪魔をした。子ども、ちょうちょ、と来たらお花畑もほしいところだが、そこまでの完成度はなく殺風景な幻覚だった。例えば電信柱が人の形に見えるとか、枯葉がアイドルの顔面に見えるとか、願望が形を伴う類の見間違いなら割とある。しかし今回の幻覚は何もないところに現れた。夢ともまた違っていた。
直近の私の幻覚体験は7年前までさかのぼる。やはり250kmのレース中、目の前の急な坂道をマサコだと思っていた。「マサコまだある」と真剣にいやがっていた。マサコという知人はいない。謎の迷妄だった。それに比べて今回の幻覚はずっとまともだったが、その分面白みにかけた。無害だが、心地よくもない。どうせならもっと愉快な幻覚が見たかった。

矢印に沿って、お城みたいな家々の高い外壁に囲まれた細道をぐねぐね進んだら、矢印が消えて行き止まった。焦りは禁物だった。壁伝いに着実に引き返し、もう一度やり直した。しかし今度も行き止まる。再び矢印まで戻って他のランナーを待った。道はひとつしかないので、迷う余地はないはずだ。台湾のランナーが来た。ひとつひとつ確認しながら、いっしょに進んだ。繰り返されるデジャブの末に、視界が開けた。
絶句したのは、目の前に広がる景色がさっきのそれと完全に同じだったということで、どう説明すれば良いのか、つまり自分はそれまで、だだっ広い虚空に行き止まりを見ていたのだった。我ながらどうなっているのか、混乱の中で足元を見ると矢印は確かにない。どこをどう進めば良いのかやはりわからず、結局行き止まりみたいなものだった。概念としての「行き止まり」が、本当に壁のイメージを取って視界に立ちふさがっていたらしい。はた迷惑な幻覚だった。
台湾ランナーも進路を失って途方に暮れている。その、「ライト? レフト? ストレート?」の問いによって、自分の目にもようやくライトが見えレフトが見えストレートが見え、行き止まりの幻覚がほどけたのだと思う。
我に返って、進むべき方角の手がかりを求めて走り回った。車が何台か止まっている中に、人の姿を見つけ必死の形相でノックした。土砂降りの轟音で互いの声は遮断されている。スパルタスロンだとジェスチャーで告げると、彼は反対側を指し示した。言われた通りに走るとあっけないほどすぐさまエイドが現れた。
自分が、ボードゲームの駒になった気がした。ギリシャの神々の気晴らしである。振られたサイコロの目の数によって、「3マス戻る」とか「1回休み」とか、ゲラゲラ笑われながら右往左往、行きつ戻りつしている気がして情けない。ゲーム性など必要ない。頼む淡々と進ませてくれと懇願した。
つるつる滑る石畳を転ばないよう慎重に踏んでいると、本当にそのひとつひとつが盤のマス目に見えてきてこわかった。後ずさりでもしない限り、実際は3マス戻ったりはしない。「お気を確かに」と自分に言い聞かせた。「神は死んだ」ってニーチェも教科書で言ってた。神々もだれも、ボードゲームなんてしていない。目の前にあるこの一足が現実だ。前進の形跡を確かめるように丁寧に歩いていると、気持ちが大いに安らいだ。一マス一マス、こうして潰していきさえすれば、サイコロの6を待たなくともきっとゴールに達するのだ。

目をしょぼつかせながら長い直線を走っているうちに、空が白み始めていた。
ライトを貸してくださった方を見つけた。無我夢中でお礼を言って握りしめていたペンライトをお返しした。ライトの消し方がわからず困っていたのでそれも教えてもらい(お尻のスイッチを押すだけだった)、無事に返すこともできてすごい達成感を味わった。ちょうど明るくなったタイミングでこうしてまた会えるなんて、と感激した。けれども後日、まさにその点について、「お前は天然か」と叱られた。冗談めかして言ってくれてはいたが目が笑っていなかった。「明るくなってからライト返すとか、それはないだろう」と言われて、目から鱗だった。ほんとだ…。思いもよらない指摘だったので、自分は天然なんだなと真面目に思った。まずリュックを背負って走っている姿を「すごいな信じられん」と思って見ていたので、てっきり荷物を持って走るのが好きな方なのかと……。
「多様性」「人それぞれ」を標榜するあまり、「自分がされていやなことは人にもしない」という道徳の基本をすっかり忘れていた。反省したが、欲を言うなら、その場で教えてほしかった。レース中に怒ってくれたら眠気も覚めたかもしれないのに! と悔しく思って、もうその時点で人間性が壊滅的に天然だった。自己中風味の餡を自己中の皮で包んで自己中の粉をまぶしたら私になるな、と、自分のレシピを考えた。

たぶんライトの方は静かに心底激憤されていたのだろう、ライトを返すととっとと走って行かれてしまって、眠気に苦しむ自分はその後ろ姿をむなしく見送った。
足は何度となく止まって、その度につんのめってはハッとして起きて走り、そしてまたぷつんと立ち止まって、を繰り返した。ひどく眠い。助けを欲した。後ろをふり返るとランナーが遠くに小さくひとり見えた。明るい黄色だった。

〈記憶A〉そのまま体ごと回れ右をして、じっと待った。靴紐を結び直すでもなく、ストレッチをするでもなく、ただただ安直に立ち尽くして待った。

〈記憶B〉ゆらゆら危なっかしく走りながら、何度となく物欲しげに後ろをふり返り、追いついてきてくれるのを待った。不審に思って自分も後ろをふり返ったりしている黄色いランナーに向かって、「だれもいません! あなたです! 標的は!」と思いながら、待った。


「大丈夫ですか」待ちだった。大丈夫じゃない。とにかく一心に待った。忠犬ハチ公は待っているだけでみんなに褒められていいなと思った。私も待つ。ワン。







2019年3月29日金曜日

スパルタ・サンガス ベース/トップ/ダウン

長い長い坂道を歩く。
途中でエイドが一箇所あったはずだ。
経験から、いつかは着くと知っている。進めば着く。必ず着く。知ってはいるが、信用できない。幸いにも眠くはない。しかしそれさえ、信じて良いのかわからない。いま自分は、夢の中で「眠くない」と思ったのだとしたらどうしよう。だれかほかのランナーをつかまえて、「これは夢ですか」と聞いてみようか。しかし「現実だ」と言われたところで、「現実だと言われる夢を見ている」疑いは消えない。夢から醒める方法がわからなかった。たとえ夢の中だとしても、前進するほかない。蛇行はしていなかった。テンポも良い。確かに進んでいる。しかし景色が変わらない。底冷えのするような不安が定期的に襲ってきて身震いした。
そういえば、関門には間に合うのだろうか。もう長いこと貯金を確認していなかった。他のランナーがだれも慌てていなかったので安心しきっていた。しかしあの時周りにいたランナーは全員先へ行っている。
もしかしてやばいんじゃないか。炎のように体が燃えた。額から汗が吹き出す。ホットフラッシュだ。ようこそ更年期障害。あまりに暑いのでポンチョを脱いだ。
時計を見た。早朝だった。後半の制限時間はメモしていない。レースが始まる前は余裕の計画だったせいだ。懸命に記憶をたぐる。5年前のリタイアが蘇る。あの時、この道で、3分前にエイドを通過した……あれは何時だったろう? 5時か? 6時か? 確かサンガスの頂上は7時でタイムアップだった。サンガスベースからサンガストップの所要時間は40分、ということはベースエイドの関門閉鎖は6時20分。じゃあその前のエイドは何時だ!? 間に合うのか!? 
高度を上げるにつれて気温は低くなるはずなのに、自分だけ場違いに暑かった。沸騰したヤカンみたいに、熱すぎてカタカタ震えていた。震えにもいろんな種類があって飽きない。蒸気を上げて走っているとすぐにエイドが見えてきた。血相を変えてボードの関門時間を読む。間に合っている。次のエイドもすぐだった。色とりどりのライトが輝く、ベースエイドについに来た。

選手、スタッフ、サポーターが風雨吹きすさぶエイドに入り乱れ、テントは混雑を見せていた。
ここは自分が装備を預けた唯一のエイドだ。ゼッケン番号を伝え、荷物を待った。トラックから荷物を運び出す係は、顔見知りであるエレナのお父さんがしていた。
かつてここでボランティアスタッフをしていたエレナから事前にサインを頼まれていたのだが、とてもそんな余裕はない。断らねばと思うと憂鬱だったが、お父さんからも何も言われることはなかった。ドボドボ言う雨のカーテン越しに、「今年大変だね、余裕ないね」というアイコンタクトをして心を通わせた。
荷物を受け取ってビニール袋のちょうちょむすびをほどき、防寒着を取り出した。ポンチョの袖から雨が盛大にしたたり落ちて、カーキ色のダウンジャケットが瞬く間に暗色に変化した。その、大きく広がる雨ジミを見た瞬間、なにかものすごく惨めな気持ちになって、取り出したダウンを袋の中に再び戻した。今、これを書いている今ならば、なんてバカなことをしたんだろうと思える。なに考えてんだ、と今はそう思う。でも、雨を含んだらずっしり重くなるんだろうなあとか、濡れそぼった生地はベチョベチョ冷たく肌に張り付くだろうなあとか、あの時考えたのはそんなことばかりで、ビニール袋のままダウンを携帯するとか、ポンチョの下に着こむとか、冷静になれば出てくる簡単な代案はひとつも思いつかなかった。
ベースエイドには武内さんとジョイナーさんの姿があった。もう出発するところだった。早く彼らに追いつかねばと、焦るばかりで結局何も身につけないまま異様な軽装で山に入った。

武内さんがスイスイ登って行ったあと、自分はジョイナーさんのすぐ後ろをキープした。途中、頑として道を譲らない外国人のランナーがいて、マナーがなっていないと思った。ジョイナーさんが怒ってくれるだろうと期待した。厳しく注意するか、もしくは「どけよ」と睨みつけて無理やり抜かすか、何か胸のすくようなアクションを待ったが、実際は温和な雰囲気で黙認されているのが私にとっては遺憾だった。華奢なジョイナーさんが風に煽られて後ろにのけぞったり、ご自身のレインコートの裾を踏んづけてよろめいたりするたびに反射的に「すみません!」という謝罪が口をついて出た。ジョイナーさんの後ろを歩くと、軍隊の行軍のようで5度目のサンガスも新鮮に感じられた。絶対君主としてジョイナーさんを過剰に畏れる自分だったが、当のご本人は至って気さくで、なんならこちらの体調をいたわり励ます、やさしいボスだった。スパルタで会ってお話するたびに、楽しいなあやさしいなあと心から思うのに、なぜか毎度それが更新されず、決まって第一印象の「こわい」からやり直してしまう。歪んだ人物像を作り上げてすみません、と心の中でまた謝った。
同じ歩みで皆揃って、トップエイドに到達した。
吹きさらしの頂は、凍てつく風が暴走族のように唸りをあげて荒れ乱れる、めちゃくちゃな場所だった。
ゼッケンチェックを済ませる間も、休まず足踏みをしていないと寒さで即死する。下界めがけて猛烈な勢いで駆け下った。

ジグザグのガレ場を転げるように走った。
いつ転んでもおかしくない危険なスピードだが、いつか転ぶかもしれない恐怖よりも、いま凍える恐怖のほうが先に立った。
風向きのせいだろう。ジグザグ道の、「ジグ」向きに走るときは山壁で風がブロックされるためにそこまで寒くないのだが、「ザグ」方面の風の威力は凄まじく、格段に寒い。コストコの青果売り場みたいだ。「ザグ」道に入るたびに強冷風が全身に直撃してきて震え上がった。
ペンライトを使って走る体験は初めてだったが、うまくこなせた。めくるめく速度で移動するライトの輪を追い、光と影の形を目に焼き付け、足の置き場を瞬時に読む。何度か足元がぐらつきひやりとしたが、転ばなかった。何人抜いたかわからない。猛烈なスピードでぶっ飛ばした。
ついに下り切った。平坦になってからも少しの間は砂利道が続いたが、やがて滑らかなコンクリート道に変わった。難所は越えた。深々と嘆息した。転ばなかった。凍えなかった。「ありがとうございます…」神に感謝して安堵のため息をつき、酸素を吸い直そうとして、…できなかった。息ができない。喉が、詰まっていた。

驚いて立ち止まり、コホッコホッと空咳をした。しかし喉の塊はビクともしない。喉と、鼻も塞がっていて、空気の通り道が断たれていた。
うずくまって、手をついた。体を折り曲げ、反動をつけて咳をしてみる。腹筋がよじれた。なんとか絞り出した咳は勢いがなく、喉元までは届かない。ここまでの160kmで酷使してきた腹筋が、もう使い物にならなかった。ああこれはあれだ、お正月の定番のあれだ。ニュース番組のテロップが脳裏をかすめた。お餅を喉に詰まらせる老人は、弱った腹筋によって息絶えるのだと我が身をもって思い知る。見渡さなくとも、ここに掃除機がないのはわかっていた。自力で吐き出す以外、助かる道はない。
苦しい。そこらじゅう、のたうち回った。道路に顔を寄せ、地面を叩いて狂ったように咆哮する。手のひらの肉に鋭利な砂利が食い込んだ。走っているときは滑らかに思えたコンクリートの凹凸が、間近で子細に観察できる。コンクリの細かな亀裂に雨が溜まって、小さな川が流れている。ミニチュアの世界が視界いっぱいに広がって、そしてぼやけた。涙がにじんだ。
背中を地面に打ち付けた。はずみで痰が飛び出さないか、期待を持ったが無駄だった。七転八倒してなお、窒息し続ける自分を見つける。苦しい。
頭に浮かぶのは、理科の解剖の場面だった。実験台の小さな魚が、頭を切り落とされてからもビクビク元気に跳ねる様子が一層むごたらしく、異様に映った。痛点がないというのもわからなかった。苦痛を感じないとは、どういうことだろう。生命の不思議を目の当たりにしておののき、すぐに目を背けた。関わりたくない世界だと思った。理科が苦手だった。
呼吸ができない。苦痛しか感じない。あのときの魚が、いまの自分と重なって、また離れた。

まさか、死ぬってことはないだろう、と明るく思った。まさか。呼吸困難にひきつりながら、仕方なく笑った。たかが風邪ひとつ、たかが痰ひとつで死ぬわけがない。そう思う間にも、「たかが痰」は喉にぴったり吸い付いて、私を窒息死へと追い詰める。両手で喉をつかんで激しく苦悶した。苦しい! 苦しい! 息をさせろ!!

死が訪れるそのときは、もっと静かな時間だと思っていた。悟った風に、泰然として受け入れるはずだった。けれども体は勝手に動いて、命じてもないのに必死の抵抗を見せるのだった。こんなに激しくもんどり打って、生きよう、生きようとして見苦しく暴れる体を、哀れなようにも、けなげなようにも思った。そしてその体から抜け出せない、自分という存在とは。考えて涙が流れた。あとからあとから流れた。苦しい。苦しむしかできない。
呼吸ができない。
ヒックヒックと痙攣した。

「虫の息」という表現も使えない。息という息は、気管の中に固く密封されている。
窒息死とともに、凍死の危険も迫っていた。倒れた体に容赦無く、冷たい雨風が吹きつける。急速冷凍されたくなければ走るしかない。
よろよろと立ち上がって、試しにジャンプをした。だめだ。喉は開かない。
前のめりに二歩、三歩、よろめきながら何百回目かの咳を試みたとき、喉を塞いでいる吸盤が、一点緩んだような手応えを得た。風穴を感じる! 全身全霊、余力のすべてを振り絞り、渾身の力を込めてむせ倒した。
ゴボッと鈍い音がして、つっかえていた塊がとうとう取れた。再びへなへなへたり込み、震える右手で受け止めた。おぞましいほどの硬度と粘度でもって五指にベットリへばりつく。「たかが痰」が、ついに外気に晒された。世界中の排水溝の詰まりを凝縮させたような緑色に、血の塊が幾筋も混じっている。感触も見た目も、グロテスクそのものだ。
ようやく詰まりの取れた気管に、喘いで喘いで空気を送った。立ち上がって、走る。涙が止まらなかった。

この症状が、再発するのかしないのか、考えて怯えた。次こそ助からないかもしれない、という怯えではなく、この調子で立ち止まっていたら制限時間に間に合わないぞ、という怯えだった。助かった瞬間から一心に完走を目指している自分が、自分の知っている自分の姿で安心した。よし、その調子だ、完走するぞと、頬を叩いて自分を鼓舞した。

死を目前にしたときの体が表したとてつもない狂態に、圧倒され打ちのめされている自分が悔しかった。神なのかなんなのか、見えない力に操られているようで、ままならない体が不気味だった。自死を選んだ人々のことを心から讃える。すごい。自分にはできない。彼らはあの苦しみを耐え抜いてついに死ねたのだ。もっときちんと評価されて然るべきではと感じた。国は自殺撲滅キャンペーンとかやっている場合なんだろうか。善意の運動が、自死をやり遂げた者に対する中傷に思えてなんとなくつらかった。

死んだ人のことや、死に方のことを、ぽつぽつと取り留めもなく考えた。

登山の栗城さんが夏にエベレストで急死したときのこと。
第一報では低体温が死因だったのに、続報では滑落死に変わっていて、それに対して「また捏造した」とか、「かっこつけやがって」とか、意地の悪いコメントが散見され、私は、そうか死因にもグレードがあるのかと初めて気づいて、まあ確かに、言われてみれば、滑落死の方がドラマティックかもしれないなあ、などと思って一応納得したのだった。けれども今回もし自分が死んでいたならと考えるとやっぱり「痰詰まらせて死んだ」よりも「サンガスから滑落して死んだ」が絶対いいなあと強く思って、いいじゃない、死因ぐらい好きにさせてあげればいいじゃない! 変なふうに憤慨した。別に栗城さんの死因を嘘だと決めつけているわけではないですが。
もう何も、暴かれなくていいと思った。

栗城さんのご冥福をお祈りして、それから、ああよかった、と思った。自分は生きている。自分は死ねなかった。死なないでよかった。まだ。
死ななかった、と思うだけで、ありがたくて涙が容易にこぼれた。ぐすんぐすん、汚い顔で泣きながら、必死で走った。走れることがうれしかった。