後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2019年3月29日金曜日

スパルタ・サンガス ベース/トップ/ダウン

長い長い坂道を歩く。
途中でエイドが一箇所あったはずだ。
経験から、いつかは着くと知っている。進めば着く。必ず着く。知ってはいるが、信用できない。幸いにも眠くはない。しかしそれさえ、信じて良いのかわからない。いま自分は、夢の中で「眠くない」と思ったのだとしたらどうしよう。だれかほかのランナーをつかまえて、「これは夢ですか」と聞いてみようか。しかし「現実だ」と言われたところで、「現実だと言われる夢を見ている」疑いは消えない。夢から醒める方法がわからなかった。たとえ夢の中だとしても、前進するほかない。蛇行はしていなかった。テンポも良い。確かに進んでいる。しかし景色が変わらない。底冷えのするような不安が定期的に襲ってきて身震いした。
そういえば、関門には間に合うのだろうか。もう長いこと貯金を確認していなかった。他のランナーがだれも慌てていなかったので安心しきっていた。しかしあの時周りにいたランナーは全員先へ行っている。
もしかしてやばいんじゃないか。炎のように体が燃えた。額から汗が吹き出す。ホットフラッシュだ。ようこそ更年期障害。あまりに暑いのでポンチョを脱いだ。
時計を見た。早朝だった。後半の制限時間はメモしていない。レースが始まる前は余裕の計画だったせいだ。懸命に記憶をたぐる。5年前のリタイアが蘇る。あの時、この道で、3分前にエイドを通過した……あれは何時だったろう? 5時か? 6時か? 確かサンガスの頂上は7時でタイムアップだった。サンガスベースからサンガストップの所要時間は40分、ということはベースエイドの関門閉鎖は6時20分。じゃあその前のエイドは何時だ!? 間に合うのか!? 
高度を上げるにつれて気温は低くなるはずなのに、自分だけ場違いに暑かった。沸騰したヤカンみたいに、熱すぎてカタカタ震えていた。震えにもいろんな種類があって飽きない。蒸気を上げて走っているとすぐにエイドが見えてきた。血相を変えてボードの関門時間を読む。間に合っている。次のエイドもすぐだった。色とりどりのライトが輝く、ベースエイドについに来た。

選手、スタッフ、サポーターが風雨吹きすさぶエイドに入り乱れ、テントは混雑を見せていた。
ここは自分が装備を預けた唯一のエイドだ。ゼッケン番号を伝え、荷物を待った。トラックから荷物を運び出す係は、顔見知りであるエレナのお父さんがしていた。
かつてここでボランティアスタッフをしていたエレナから事前にサインを頼まれていたのだが、とてもそんな余裕はない。断らねばと思うと憂鬱だったが、お父さんからも何も言われることはなかった。ドボドボ言う雨のカーテン越しに、「今年大変だね、余裕ないね」というアイコンタクトをして心を通わせた。
荷物を受け取ってビニール袋のちょうちょむすびをほどき、防寒着を取り出した。ポンチョの袖から雨が盛大にしたたり落ちて、カーキ色のダウンジャケットが瞬く間に暗色に変化した。その、大きく広がる雨ジミを見た瞬間、なにかものすごく惨めな気持ちになって、取り出したダウンを袋の中に再び戻した。今、これを書いている今ならば、なんてバカなことをしたんだろうと思える。なに考えてんだ、と今はそう思う。でも、雨を含んだらずっしり重くなるんだろうなあとか、濡れそぼった生地はベチョベチョ冷たく肌に張り付くだろうなあとか、あの時考えたのはそんなことばかりで、ビニール袋のままダウンを携帯するとか、ポンチョの下に着こむとか、冷静になれば出てくる簡単な代案はひとつも思いつかなかった。
ベースエイドには武内さんとジョイナーさんの姿があった。もう出発するところだった。早く彼らに追いつかねばと、焦るばかりで結局何も身につけないまま異様な軽装で山に入った。

武内さんがスイスイ登って行ったあと、自分はジョイナーさんのすぐ後ろをキープした。途中、頑として道を譲らない外国人のランナーがいて、マナーがなっていないと思った。ジョイナーさんが怒ってくれるだろうと期待した。厳しく注意するか、もしくは「どけよ」と睨みつけて無理やり抜かすか、何か胸のすくようなアクションを待ったが、実際は温和な雰囲気で黙認されているのが私にとっては遺憾だった。華奢なジョイナーさんが風に煽られて後ろにのけぞったり、ご自身のレインコートの裾を踏んづけてよろめいたりするたびに反射的に「すみません!」という謝罪が口をついて出た。ジョイナーさんの後ろを歩くと、軍隊の行軍のようで5度目のサンガスも新鮮に感じられた。絶対君主としてジョイナーさんを過剰に畏れる自分だったが、当のご本人は至って気さくで、なんならこちらの体調をいたわり励ます、やさしいボスだった。スパルタで会ってお話するたびに、楽しいなあやさしいなあと心から思うのに、なぜか毎度それが更新されず、決まって第一印象の「こわい」からやり直してしまう。歪んだ人物像を作り上げてすみません、と心の中でまた謝った。
同じ歩みで皆揃って、トップエイドに到達した。
吹きさらしの頂は、凍てつく風が暴走族のように唸りをあげて荒れ乱れる、めちゃくちゃな場所だった。
ゼッケンチェックを済ませる間も、休まず足踏みをしていないと寒さで即死する。下界めがけて猛烈な勢いで駆け下った。

ジグザグのガレ場を転げるように走った。
いつ転んでもおかしくない危険なスピードだが、いつか転ぶかもしれない恐怖よりも、いま凍える恐怖のほうが先に立った。
風向きのせいだろう。ジグザグ道の、「ジグ」向きに走るときは山壁で風がブロックされるためにそこまで寒くないのだが、「ザグ」方面の風の威力は凄まじく、格段に寒い。コストコの青果売り場みたいだ。「ザグ」道に入るたびに強冷風が全身に直撃してきて震え上がった。
ペンライトを使って走る体験は初めてだったが、うまくこなせた。めくるめく速度で移動するライトの輪を追い、光と影の形を目に焼き付け、足の置き場を瞬時に読む。何度か足元がぐらつきひやりとしたが、転ばなかった。何人抜いたかわからない。猛烈なスピードでぶっ飛ばした。
ついに下り切った。平坦になってからも少しの間は砂利道が続いたが、やがて滑らかなコンクリート道に変わった。難所は越えた。深々と嘆息した。転ばなかった。凍えなかった。「ありがとうございます…」神に感謝して安堵のため息をつき、酸素を吸い直そうとして、…できなかった。息ができない。喉が、詰まっていた。

驚いて立ち止まり、コホッコホッと空咳をした。しかし喉の塊はビクともしない。喉と、鼻も塞がっていて、空気の通り道が断たれていた。
うずくまって、手をついた。体を折り曲げ、反動をつけて咳をしてみる。腹筋がよじれた。なんとか絞り出した咳は勢いがなく、喉元までは届かない。ここまでの160kmで酷使してきた腹筋が、もう使い物にならなかった。ああこれはあれだ、お正月の定番のあれだ。ニュース番組のテロップが脳裏をかすめた。お餅を喉に詰まらせる老人は、弱った腹筋によって息絶えるのだと我が身をもって思い知る。見渡さなくとも、ここに掃除機がないのはわかっていた。自力で吐き出す以外、助かる道はない。
苦しい。そこらじゅう、のたうち回った。道路に顔を寄せ、地面を叩いて狂ったように咆哮する。手のひらの肉に鋭利な砂利が食い込んだ。走っているときは滑らかに思えたコンクリートの凹凸が、間近で子細に観察できる。コンクリの細かな亀裂に雨が溜まって、小さな川が流れている。ミニチュアの世界が視界いっぱいに広がって、そしてぼやけた。涙がにじんだ。
背中を地面に打ち付けた。はずみで痰が飛び出さないか、期待を持ったが無駄だった。七転八倒してなお、窒息し続ける自分を見つける。苦しい。
頭に浮かぶのは、理科の解剖の場面だった。実験台の小さな魚が、頭を切り落とされてからもビクビク元気に跳ねる様子が一層むごたらしく、異様に映った。痛点がないというのもわからなかった。苦痛を感じないとは、どういうことだろう。生命の不思議を目の当たりにしておののき、すぐに目を背けた。関わりたくない世界だと思った。理科が苦手だった。
呼吸ができない。苦痛しか感じない。あのときの魚が、いまの自分と重なって、また離れた。

まさか、死ぬってことはないだろう、と明るく思った。まさか。呼吸困難にひきつりながら、仕方なく笑った。たかが風邪ひとつ、たかが痰ひとつで死ぬわけがない。そう思う間にも、「たかが痰」は喉にぴったり吸い付いて、私を窒息死へと追い詰める。両手で喉をつかんで激しく苦悶した。苦しい! 苦しい! 息をさせろ!!

死が訪れるそのときは、もっと静かな時間だと思っていた。悟った風に、泰然として受け入れるはずだった。けれども体は勝手に動いて、命じてもないのに必死の抵抗を見せるのだった。こんなに激しくもんどり打って、生きよう、生きようとして見苦しく暴れる体を、哀れなようにも、けなげなようにも思った。そしてその体から抜け出せない、自分という存在とは。考えて涙が流れた。あとからあとから流れた。苦しい。苦しむしかできない。
呼吸ができない。
ヒックヒックと痙攣した。

「虫の息」という表現も使えない。息という息は、気管の中に固く密封されている。
窒息死とともに、凍死の危険も迫っていた。倒れた体に容赦無く、冷たい雨風が吹きつける。急速冷凍されたくなければ走るしかない。
よろよろと立ち上がって、試しにジャンプをした。だめだ。喉は開かない。
前のめりに二歩、三歩、よろめきながら何百回目かの咳を試みたとき、喉を塞いでいる吸盤が、一点緩んだような手応えを得た。風穴を感じる! 全身全霊、余力のすべてを振り絞り、渾身の力を込めてむせ倒した。
ゴボッと鈍い音がして、つっかえていた塊がとうとう取れた。再びへなへなへたり込み、震える右手で受け止めた。おぞましいほどの硬度と粘度でもって五指にベットリへばりつく。「たかが痰」が、ついに外気に晒された。世界中の排水溝の詰まりを凝縮させたような緑色に、血の塊が幾筋も混じっている。感触も見た目も、グロテスクそのものだ。
ようやく詰まりの取れた気管に、喘いで喘いで空気を送った。立ち上がって、走る。涙が止まらなかった。

この症状が、再発するのかしないのか、考えて怯えた。次こそ助からないかもしれない、という怯えではなく、この調子で立ち止まっていたら制限時間に間に合わないぞ、という怯えだった。助かった瞬間から一心に完走を目指している自分が、自分の知っている自分の姿で安心した。よし、その調子だ、完走するぞと、頬を叩いて自分を鼓舞した。

死を目前にしたときの体が表したとてつもない狂態に、圧倒され打ちのめされている自分が悔しかった。神なのかなんなのか、見えない力に操られているようで、ままならない体が不気味だった。自死を選んだ人々のことを心から讃える。すごい。自分にはできない。彼らはあの苦しみを耐え抜いてついに死ねたのだ。もっときちんと評価されて然るべきではと感じた。国は自殺撲滅キャンペーンとかやっている場合なんだろうか。善意の運動が、自死をやり遂げた者に対する中傷に思えてなんとなくつらかった。

死んだ人のことや、死に方のことを、ぽつぽつと取り留めもなく考えた。

登山の栗城さんが夏にエベレストで急死したときのこと。
第一報では低体温が死因だったのに、続報では滑落死に変わっていて、それに対して「また捏造した」とか、「かっこつけやがって」とか、意地の悪いコメントが散見され、私は、そうか死因にもグレードがあるのかと初めて気づいて、まあ確かに、言われてみれば、滑落死の方がドラマティックかもしれないなあ、などと思って一応納得したのだった。けれども今回もし自分が死んでいたならと考えるとやっぱり「痰詰まらせて死んだ」よりも「サンガスから滑落して死んだ」が絶対いいなあと強く思って、いいじゃない、死因ぐらい好きにさせてあげればいいじゃない! 変なふうに憤慨した。別に栗城さんの死因を嘘だと決めつけているわけではないですが。
もう何も、暴かれなくていいと思った。

栗城さんのご冥福をお祈りして、それから、ああよかった、と思った。自分は生きている。自分は死ねなかった。死なないでよかった。まだ。
死ななかった、と思うだけで、ありがたくて涙が容易にこぼれた。ぐすんぐすん、汚い顔で泣きながら、必死で走った。走れることがうれしかった。