後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2019年4月3日水曜日

スパルタ 二日目の朝

サンガス山付近で時計を確認したときは「もう朝だな」と確かに思ったのに、そこから明るくなるまでの道のりが果てしなく長かった。

しばらくぶりに幻覚を見た。何度か遠くのほうに同じモチーフが現れては消えた。
子どもたちが5、6人、かごめかごめか、はないちもんめか、何か手をつないでちょこまか足を動かしていた。初めは現実かと思ったが、この時間に? こんな場所で? 明らかに怪しかった。彼らとの距離は一向に縮まらず、なのに視力の及ばないはずの細かなステップまで、克明に見えた。子どもたちとセットでちょうちょも数匹必ずついてきた。色の配置を覚えておこうと思ったのに、緑のちょうちょが無軌道に動いて邪魔をした。子ども、ちょうちょ、と来たらお花畑もほしいところだが、そこまでの完成度はなく殺風景な幻覚だった。例えば電信柱が人の形に見えるとか、枯葉がアイドルの顔面に見えるとか、願望が形を伴う類の見間違いなら割とある。しかし今回の幻覚は何もないところに現れた。夢ともまた違っていた。
直近の私の幻覚体験は7年前までさかのぼる。やはり250kmのレース中、目の前の急な坂道をマサコだと思っていた。「マサコまだある」と真剣にいやがっていた。マサコという知人はいない。謎の迷妄だった。それに比べて今回の幻覚はずっとまともだったが、その分面白みにかけた。無害だが、心地よくもない。どうせならもっと愉快な幻覚が見たかった。

矢印に沿って、お城みたいな家々の高い外壁に囲まれた細道をぐねぐね進んだら、矢印が消えて行き止まった。焦りは禁物だった。壁伝いに着実に引き返し、もう一度やり直した。しかし今度も行き止まる。再び矢印まで戻って他のランナーを待った。道はひとつしかないので、迷う余地はないはずだ。台湾のランナーが来た。ひとつひとつ確認しながら、いっしょに進んだ。繰り返されるデジャブの末に、視界が開けた。
絶句したのは、目の前に広がる景色がさっきのそれと完全に同じだったということで、どう説明すれば良いのか、つまり自分はそれまで、だだっ広い虚空に行き止まりを見ていたのだった。我ながらどうなっているのか、混乱の中で足元を見ると矢印は確かにない。どこをどう進めば良いのかやはりわからず、結局行き止まりみたいなものだった。概念としての「行き止まり」が、本当に壁のイメージを取って視界に立ちふさがっていたらしい。はた迷惑な幻覚だった。
台湾ランナーも進路を失って途方に暮れている。その、「ライト? レフト? ストレート?」の問いによって、自分の目にもようやくライトが見えレフトが見えストレートが見え、行き止まりの幻覚がほどけたのだと思う。
我に返って、進むべき方角の手がかりを求めて走り回った。車が何台か止まっている中に、人の姿を見つけ必死の形相でノックした。土砂降りの轟音で互いの声は遮断されている。スパルタスロンだとジェスチャーで告げると、彼は反対側を指し示した。言われた通りに走るとあっけないほどすぐさまエイドが現れた。
自分が、ボードゲームの駒になった気がした。ギリシャの神々の気晴らしである。振られたサイコロの目の数によって、「3マス戻る」とか「1回休み」とか、ゲラゲラ笑われながら右往左往、行きつ戻りつしている気がして情けない。ゲーム性など必要ない。頼む淡々と進ませてくれと懇願した。
つるつる滑る石畳を転ばないよう慎重に踏んでいると、本当にそのひとつひとつが盤のマス目に見えてきてこわかった。後ずさりでもしない限り、実際は3マス戻ったりはしない。「お気を確かに」と自分に言い聞かせた。「神は死んだ」ってニーチェも教科書で言ってた。神々もだれも、ボードゲームなんてしていない。目の前にあるこの一足が現実だ。前進の形跡を確かめるように丁寧に歩いていると、気持ちが大いに安らいだ。一マス一マス、こうして潰していきさえすれば、サイコロの6を待たなくともきっとゴールに達するのだ。

目をしょぼつかせながら長い直線を走っているうちに、空が白み始めていた。
ライトを貸してくださった方を見つけた。無我夢中でお礼を言って握りしめていたペンライトをお返しした。ライトの消し方がわからず困っていたのでそれも教えてもらい(お尻のスイッチを押すだけだった)、無事に返すこともできてすごい達成感を味わった。ちょうど明るくなったタイミングでこうしてまた会えるなんて、と感激した。けれども後日、まさにその点について、「お前は天然か」と叱られた。冗談めかして言ってくれてはいたが目が笑っていなかった。「明るくなってからライト返すとか、それはないだろう」と言われて、目から鱗だった。ほんとだ…。思いもよらない指摘だったので、自分は天然なんだなと真面目に思った。まずリュックを背負って走っている姿を「すごいな信じられん」と思って見ていたので、てっきり荷物を持って走るのが好きな方なのかと……。
「多様性」「人それぞれ」を標榜するあまり、「自分がされていやなことは人にもしない」という道徳の基本をすっかり忘れていた。反省したが、欲を言うなら、その場で教えてほしかった。レース中に怒ってくれたら眠気も覚めたかもしれないのに! と悔しく思って、もうその時点で人間性が壊滅的に天然だった。自己中風味の餡を自己中の皮で包んで自己中の粉をまぶしたら私になるな、と、自分のレシピを考えた。

たぶんライトの方は静かに心底激憤されていたのだろう、ライトを返すととっとと走って行かれてしまって、眠気に苦しむ自分はその後ろ姿をむなしく見送った。
足は何度となく止まって、その度につんのめってはハッとして起きて走り、そしてまたぷつんと立ち止まって、を繰り返した。ひどく眠い。助けを欲した。後ろをふり返るとランナーが遠くに小さくひとり見えた。明るい黄色だった。

〈記憶A〉そのまま体ごと回れ右をして、じっと待った。靴紐を結び直すでもなく、ストレッチをするでもなく、ただただ安直に立ち尽くして待った。

〈記憶B〉ゆらゆら危なっかしく走りながら、何度となく物欲しげに後ろをふり返り、追いついてきてくれるのを待った。不審に思って自分も後ろをふり返ったりしている黄色いランナーに向かって、「だれもいません! あなたです! 標的は!」と思いながら、待った。


「大丈夫ですか」待ちだった。大丈夫じゃない。とにかく一心に待った。忠犬ハチ公は待っているだけでみんなに褒められていいなと思った。私も待つ。ワン。