後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2019年3月19日火曜日

スパルタ 続き

コリントスエイド、ランナーたちが緑の計測マットを踏む瞬間を、大会カメラが待ち構えている。カメラには目もくれず腕時計を厳しく見やって走り抜けた自分を、ビジネスマンみたいでかっこいいと思った。腕時計を装着するのは年に一度、スパルタスロンの時だけだ。カメラマンは、一分一秒を惜しむ私の腕時計姿をちゃんと撮ってくれただろうかと気になった。ウィダーインゼリーを10秒チャージとかして、多忙ぶりに磨きをかけたいところだった。

武内さんと、互いを短くねぎらった。
サポーターの方が日本人向けに特別メニューを用意してくれていた。ありがたく素麺をいただく。上顎と舌とで挟んで柔らかな麺をすりつぶし、喉に流し込んだ。塩分が全身に染み渡る。食べ物をおいしく感じるということは、まだ力が残っているということだ。味覚もしっかりしていた。食欲はあったが咀嚼を億劫に感じて、おにぎりは見送った。
小雨が降っていたんじゃなかったか。靴下が冷たいと思った。
右足裏の土踏まず側面に靴擦れの痛みがあった。痛みのせいで、右足が、左足の足をひっぱっていた。「足をひっぱる」の慣用句を実際に足に用いると話がややこしくなることがわかった。痛い方の足がもう一方の足を牽引しているような誤解を生む。逆である。足をひっぱられているのは左足のほうだ。考えて混乱した。
右の中敷を抜くことにした。靴を脱ぎ履きする間、私服の梢さんが肩を貸してくれて優しかった。なぜ梢さんがここに。リタイアしたのか。「なぜ」と聞くのと聞かないのと、どちらが野暮なのかわからなかった。どんな表情がふさわしいのか、呼吸がいつまでも整わないのをいいことにして顔を歪めた。
右の靴を履き直して、結局左の中敷も抜いた。左右のバランスが悪くなると思ったからだ。梢さんが中敷2枚を預かってくれた。何か励ましの言葉をかけてくれたと思う。あたたかかった。自分が梢さんにかけるべき、当たり障りのない言葉を探したが見つからず、使えない言葉にまみれながら武内さんに先行してエイドを出た。

右足、左足がバチンバチンと地面を打った。
中敷のエッジが皮膚を削る違和感はなくなったが、着地のたびに衝撃を感じてヒヤリとする。自分は脚が丈夫だと思っていた。長距離レースで膝を傷めた覚えはない。これまで中敷を抜いて走った経験はないが、シューズ本体に厚みがあるから大丈夫、と判断した。しかし無謀な選択だったのか。コリントスに着いたことで安心して、気が大きくなっていたのかもしれないと悔やんだ。
まだ200mも進んでいない。今なら戻れる距離だった。それでも、ついさっき力強く送り出してくれたばかりの梢さんと、また顔を合わせるのは気まずかった。梢さんが走っていないことをさみしいとも思ったし、ずるいとも思った。梢さんを探し出せたとして、また中敷を要求するのはお騒がせすぎる。ない。戻る選択肢はない。
雨で道は荒れるだろう。ぬかるみがクッションになるはずだ。前進を続けた。

自分のレース展開はいつも、前半のスローペースから徐々に上昇するスタイルになる。
体調不良と決めつけていたが、案外今年もいけるんじゃないか。
例年通りなら、ここからぐんぐん貯金が増えるはずだ。希望は捨てていなかった。
コリントスまではがむしゃらに走りすぎた。よく頑張った。もっと気楽に行こうと思って力を抜くと、たちまち貯金が減った。萎えた。
やっぱりだめかと思うと悔しい気持ちも湧いてこない。
この一年掲げてきた30時間切りの目標を失って、あとはただ完走すればいいだけだと思うと頭がぼんやりした。眠気を感じる。
…眠気。これは眠気だ。眠気を自覚したことで、緊張感が戻った。この状態では完走だって危うい。気がついて立ち直った。

薄暮の街並みに、小柄な女性ランナーの後ろ姿が見えた。
…ジョイナーさんだ。屈伸をしている。呼びかけようと息を吸い込んで吐き出す。吐き出したはずの声が、声にならなかった。喉を整えようと咳をしたが、腹筋が痛んだだけで咳の音も出ない。「あ」から「お」まで、全ての子音を試したがやはり出ない。自分の体がいつの間にか防音機能搭載になっていて、声が外に出ていかない。
足音で振り向いたジョイナーさんに、口をパクパクさせてみた。
「お疲れさまです」は音にならなかったが、「足、大丈夫ですか?」の、「だいじょうぶ」の部分はかすれ声で発語できた。濁音は出やすいようだった。
「空気乾燥してるからね」と言う、ジョイナーさんの声もひび割れていた。「ジョイナーさんも喉やられました?」と聞こうかと思ったが、「もともとよ」と怒られそうなのでやめた。
雨でも乾燥するとはさすがギリシャだった。

鼻水が止まらず、喉が痛んだ。唾を飲みこむと激痛が走る。じゃあ飲み込まなければいいのにと思うのだが、どうしてだか定期的に唾を嚥下したくなる。飲み込むと痛い、わかってはいても、飲み込みたい欲求に抗えない。痛い。エイドにあった蜂蜜を口に含んだ。蜂蜜を通すと喉の痛みは劇的にましになった。握りしめた蜂蜜のチューブを少しずつ吸引しながら走った。蜂蜜が切れると唾責めに襲われる。痛みに悶えた。蜂蜜が手放せなくなった。

少し眠い。
雨が強く降ってきた。
エイドでゴミ袋をもらってレインコートにしようと思ったが、着込むとあたたかさで眠気が増しそうだ。寒いので汗はかかない。給水の必要はなく、常時蜂蜜を吸っているためカロリーも足りていた。無駄にエイドに寄ってタイムをロスしたくない。しばらくは寒いまま、エイドをパスして走り続けた。

坂の向こうのエイドに、ボランティアの坂根さんの姿を見つけた。やさしくしてくれそうな人が恋しかった。寄るべきエイドだった。
指先がかじかんで蜂蜜のチューブの蓋が開けられない。寒い。
「ビニール袋…」とかすれ声を絞り出すと、「ないの。あげられないの。」と思いがけない返事が返ってきた。声が出ないせいで通じなかったのかもしれない。喉を持ち上げて、「え、でも、あれ…、プラスティックバッグ…」と他のスタッフにも助けを求めて必死でゴミ袋を指さした。「ダメダメだめなのあげられないの。」低いトーンに驚いて顔を見ると、坂根さんはうつむいて、蜂蜜のキャップをひねっていた。
「ない」とは、「あるけどあげられない」を意味していたのだとやっと気づいた。寒いのは私だけじゃない。だれもが雨よけにゴミ袋を続々希望してキリがないから、配布が禁止になったのだろう。毎年エイドのゴミ袋で寒さを防いできたので、今年も当然のように甘えてしまった。本来自分で防寒着を用意するのが筋である。自分が防寒着を預けたエイドは…。考えて呆然とした。40km先だ。ちくしょう、想定タイムが強気すぎた。予定から大きく遅れて、寒さが限界に近づいていた。もっと速く走れたら体も温まるのだろうが、もう体力がない。参った。他のエイドでもやはりもらえないだろうか? どこか道端に、ビニール袋は落ちていないだろうか。まずいことになった。
……考えていると、坂根さんが「ちょっと待って」と言って険しい表情のままテーブルを離れた。目で坂根さんを追いかけてハッとした。白っぽいビニールがその手の中に隠れて見えた。他のスタッフの視線を遮るように彼らから背を向けて、坂根さんが体ごとブツを押し付けてくる。映画でよく観る、拳銃の受け渡しみたいだ。
坂根さんを危険に晒してごめんなさいという申し訳なさと、他のランナーに対する申し訳なさと、かと言って御厚意を断りはしないことへの申し訳なさと、なのに申し訳なさだけは感じている申し訳なさと、いとしさと切なさと心強さと申し訳なさと、あとはただただ、尽きることのない感謝があった。坂根さんにほとばしる感謝を伝えたかったが、裏金ならぬ裏ビニール、秘密裡の授受である。こわばった顔で受け取ってすぐ、走った。目頭が熱かった。
走りながらビニールの塊をほぐした。広げると、ポンチョになった。頭からかぶる。やわなビニールじゃない、分厚い素材のポンチョだった。袖もあった。フードもあった。フード紐まで付いていた。お尻まですっぽり覆えた。雨が防げる。風も防げる。ゴミ袋どころじゃない。特級の救命防具を私は手に入れた。
腕を振ると、ビニールがこすれてガサガサ言った。
出ない自分の声の代わりにビニールが、「リタイアしたらぶっ殺す」と、しゃべった気がした。

(そして今、ビニールがピエールに見えてしまって仕方がない。2019/3/19)