いろんなタイプのランナーがいますが、わたしは一応、追い越す時にはほんの短く「うー」だけでも(無意味)、なるべく声を発することにしていました。
「お疲れさまです」
「お疲れさまです」
「…僕は初参加なのですが、何回目ですか?」
「2回目です。でも昨年は160kmでタイムアウトでした。」
「あら…。前後に日本人いないですよね? なんか誰とも会わなくて。」
紙飛行機みたいなシャープなシルエットとは裏腹に、もの柔らかな口調でお話される方でした。
「うーん、…わたしは後ろから来たので、けっこう会えました。…わたし、42kmの関門がリミット15分前だったんですよ。」
「えっ、それでこの位置にいるのはすごい。追い上げましたね。」
自分でも驚いてもらえる自信があったから42kmのことを言ったのでしょうが、思った通りの反応がもらえちゃって、うしししし。
「夜になって突然走れるようになりまして…。でもいつつぶれるかわからないです。それまでいっしょに行かせていただけませんか?」
内心自信満々なのに言葉は謙虚で、でも顔はほくそ笑むという、心技体が見事にかみ合わない複雑な配合で、わたしは真夜中をしばらく日本の方と並走させていただきました。
去年リタイアしたサンガス山、161kmの頂上まではあと10km。
160kmを越えてからが、わたしのスパルタスロン本編だと思っていました。
160kmからがスタート、だから今は抑えなきゃ。
道はぐねぐね勾配を上げていきます。
「サンガス、あの山ですかね?」
「あの山……だった気が…。忘れた。」
いくつか並ぶ山々のふくらみを、新鮮な思いでわたしは眺めました。
山のあちらでは時折閃光がまたたき、雷鳴がくぐもった音を轟かせています。こちら側でも細かく小雨が散っていました。
前回のことはまるで思い出せず、どの山がサンガスなんだか、ちっともわかりません。初参加の方の役にも、今の自分の役にも立てない去年の自分、使えなさすぎです。
おまけにコースは下りきって苦手の上りに入り、わたしはあっという間に彼に引き離されました。
つぶれた……。
160kmをまだ彼方に、魔法は消えました。
0時をまわってからも好調が続いたため、永遠の魔法バンザイと思っていたら、午前2時半、わたしは敢えなくカボチャ化しました。
遅い。
足が重い。
ただ、去年は眠気でクラクラ歩いたサンガス山までのロードを、今年ははっきり、明瞭な意識でもって走れています。
ほんとに眠くないよね? 眠くない眠くない。
カボチャがどうとか言ってるのは、寝ぼけてるわけじゃないんだよね? うん頭おかしいだけ。
日本の方がいなくなって、寂しくひとり会話をつなぎながら、まだ行ける。まだ十分な、力が残っているはずです。
もう魔法は使えなくて良い。わたしは意志あるカボチャなんだ。
夜は濃く、自分の輪郭も曖昧で、上体をまるめ、カボチャから生えた2本の足を機械的に動かす道のりでした。