後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2016年1月9日土曜日

ねむたくな

雨足は強くなっていました。
本降りになる前に、コンクリートの道に出たい。
サンガス山の下りは大きな石でガレていて、わたしは幾度となく足を滑らせました。

軽さを最優先に選択したヘッドライトは、ロードでは問題ないものの、スピードが出てしまうトレイルの下りでは光量が足りず使い物になりません。
こわい、転ぶ、集中!
神よ!

都合のいい時だけ飛び出すわたしの神への祈りは通じ、ガレ場をなんとか越えた時には土下座で拝みたい気分でした。

大きな雨粒が目ん玉を直撃し、視界はいよいよ悪く、雷が地響きを立てて空をかち割っています。

つい先ほどまでいたサンガス山の頂を振り仰ぎました。
土砂降りのベールの向こうに、ランナーを示すヘッドライトの光が点々と続いています。まだ山越えを控えるたくさんのランナーが、関門突破を目指して懸命に闘っているに違いありません。
みんな……。
茫然とするほど何もできないけれど、みんな、各々の神様が、各々をどうか守ってくださいますように。後続ランナーが、全員怪我なく、山下りできますように。

柄にもなくやさしさを持ち出してきた自分を、お前……まさか? まさか眠いんじゃ?
まさかと思って疑ってみると、確かに足元がおぼつきません。
ねむ、ねむた、ねむたくな………。

道路に横たわった深い水たまりにためらいなく足をつっこんで、しぶきを上げながらじゃぶじゃぶ渡りました。濡れそぼったシューズの凍てつく不快感に、「つめたい。」とはっきり感じはしても、「ねむたい」も今なおしぶとく居座り続けています。

あかん……。
眠い…………。

この土砂降りの中、良く眠くなれるなあ。
自分の図太さに妙な感心をしながら、バシバシ頬を叩きました。

てめえ!!
寝たら完走できねえぞ!

雨でダメなら、何が降ってきたら起きられるんだろう。
ヒョウとか? 豹とか? 兵とか?
あかん全部同じ音だから、声に出したらもっと眠い!

「くるちゃん! 起きて! 寝てる場合じゃない!!」

武内さんのこわい顔を思い浮かべて、我が名をちゃん付けで呼んでみました。次にやさしく、なだめるように。

「くるみちゃん、よくやってるよ、がんばってるよ。朝が来るよ。もう少しだよ。今こらえたら、きっと治るよ。大丈夫。大丈夫よ。」

かつて160km以上の長距離レースにおいて、眠くならなかった試しは一度もありません。数ある弱点の中でもダントツの強さで君臨しているのが睡魔に対する脆さで、毎度毎度、激烈な眠気に屈しては、しがないレースを重ねてきました。

「ちょっとだけ」で仮眠して寝過ごすリスクを考えると、横になるのは危険すぎます。
第一この雨ではさすがに道ばたにゴロッとともいきません。
寝てはならぬ、耐えねばならぬ。
朝が、朝さえ来れば……。

蛇行して遅くなるペースに体温は下がりきり、寒さに震えながらわたしはなんとかかんとか、睡魔をやり過ごしていました。
夜と雨雲に重く覆われた空は、それでもわずかずつ明るさを取り戻して、朝です。待望の、朝の訪れでした。


(レース翌日、日本のランナーの方に、「あれから大丈夫でしたか? 僕ビンタしたんですよ」って心配されて、「ん? ビンタ? ビンタしたのわたしですよ?」って言ったら、それは前半のビンタとは別の方で、なんか、「ビンタしてください」ってわたしは頼み込んでいたそうです。何より驚くべきはその記憶が自分に一切ないことで、「眠くはあったけど今回は耐えたわ。」とか言っていましたが、もう何も信じられない……。あと、もしかしたら自分のことをちゃん付けで呼んでいたのを聞かれていたかもしれず、とてもつらいです。)