後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2014年12月14日日曜日

吾輩の名前はまだない

およそ7ヶ月の胎児の方……胎児の方? のエコー写真です。
名前はまだありません。
まだ日本に誕生してもいないのにアユタヤへお連れします。

写真のネガポジを反転させます。

鼻や口はそれとなくごまかして描きました。
武内さんうまい…。

ネガに置き換え直してみましょう。

髪の毛を描き加えるとこうなります。

我々が顔を描いていたところは人のほとんど通らない暗い物陰だったのですが、明らかに観光用ではない朽ちた塔のまわりにもまんべんなくミニチュアの仏像や愛好品が備えられていて、微笑ましいようなうらやましいような感じがしました。


最も小さい仏さまのほとんどは倒れてしまっているのですが、体重が軽いぶん倒れた時のダメージもなさそうなので痛ましい雰囲気はありません。
飾り方は粗雑です。いかにも「量販店で販売されていました」というようにビニールにくるまったままの仏像もたくさんあります。ビニールの内側は結露してサウナ状態になっており暑そうです。けれども、それを許す仏の度量に心を打たれるし、体裁良く見せることに神経を注がないタイの人々の潔さもあっぱれでした。
自分たちの信仰心の表明がたとえゴージャスでなくともよい、本質はそこにはない。そう言わんばかりの自由なスタイルを、うらやましいと思いました。

おなかの赤ちゃん目線で見たらどうなるのかなと思って景色をネガにしたら、あたたかみがなくなってしまいなんとなくショッキングです。氷の世界を思わせます。

おなかの大きな仏さまにひざまづいて安産祈願をしました。

こちらはネガにしたら「なんとなくショッキング」どころじゃない、地獄の使者みたいな面妖なオーラが飛び出てしまいました。
仏のこころの闇が……。

しっぽを巻いて退散しました。


たっぷり観光してヤイチャイコンモン寺院をあとにしようとしたら、壁の向こうに横たわる大きな涅槃仏が。気づかずに見逃すところでした。

(ここは座っちゃだめだと注意された)



でかい。

足の裏には無造作に金箔が貼られていました。
ところどころ埋め込まれているコインもあります。
サイズが大きすぎる上に質感も人間離れしているので、足の裏を見ても、思わずくすぐりたくなるようないたずら心は起きません。

ヤイチャイコンモンをあとにして、自転車で移動します。
子どものよろこびそうな(でも確信は持てない)置物のたくさん並んだ雑貨やさんに寄り道。売り手の好みやお店のコンセプトはよくわからないままでした。

次の目的地はマップ番号2のWAT PHANANCHOENGです。
地図と、標識を目標に進みます。
わたしは「WAT」という最初の3文字だけを見て、目的地はここだ! と早とちりしていたのですが、次第に「WAT」の看板が複数あることに気づきました。
例えば、この写真のいちばん上の看板をパッと見て、目標の「WAT PHANANCHOENG」まで300mか…などと思っていたのですが、ようく見ると「WAT PHAYATIKARAM」。
「ワットパ……」までしか合っていません。

……!!
ワットって、固有名詞じゃないのか!
寺院ってことか!!

この時わたしは初めて知るのでした。

ああああ!
もしかして!!
アンコールワットって、「アンコールワット」っていうひと続きの固有名詞じゃなくて、「アンコール•ワット」なの!?

自分の脳みそに春が来た気がしました。

小さい頃にもこれと似たカルチャーショックがありました。
なんだっけ。

わかった。
「サイモントガーファンクル」。
サイモント(名字)、ガーファンクル(名前)だと思っていたのでした。

待てよ、じゃあ、…マリーアントワネットもひっかけなのか?
マリーアントワネット、人名と見せかけて寺院なのか!?
 
疑心暗鬼になりましたが、落ち着いて考えてみると語尾は「ワット」じゃなくて「ワネット」でした。やっぱり人でした。

WAT PHANANCHOENG、パナンチューン寺院に着きました。
トイレの便器脇の立方体にはお水が貯まっていて、洗面器が浮かんでいました。
トイレは水洗です。
洗面所もあって、蛇口からは水も出ます。


ということは、洗面器でお尻を流す用の水なのかな。
高い技術を要しそうでした。

安産祈願を思わせるスポットはいくつもありました。
おそらくここも。

パナンチューン寺院のメインはこれのようです。
ばかでかい仏像に見下ろされました。
目の前の金色の丘があぐらをかいている膝小僧です。でかすぎます。
小僧感が皆無です。

ネガにして腕組みされると怒っているようにしか見えません。
光を反転させると表情も「柔」から「剛」に反転するんですね。


母という字が入っていればすなわち安産スポットであろうとこちらで勝手に決めました。


安産祈願は続きます。

公民館みたいな照明のサブステージにも菩薩さまが。

でたらめな服をまとわされて、ちんどんやのようになっていました。
物乞いをされているようでかなしかったです。



モザイクの装飾がきれいでした。
クリスタルのきらめきが背広姿の遺影をファンシーに演出しています。

派手に破れたタペストリーも見事な存在感でした。

カニやワニなど、屋外に多彩な動物パンが並んでいます。
お供え物用でしょうか。


向こう岸まで渡し船もあるようでしたが、309号線の橋を通って移動しました。

この時わたしが背にしているのは国立美術館です。
逆光だったので眩しく、薄目で見て、「またいつか」と思ってあとにしました。

少し行くと象がいました。

象のオブジェです。

象の足下に集合した大小さまざまの動物の種類に、何か意味や物語があるのかなと思いましたが、そこには象のミニチュアも混じっていたので深く考えるのをやめました。



厳しい日差しに、汗で後頭部の顔がすっかり薄れてしまいました。

「ネガだとどう見えるか」というのは新たな視点でした。
早くカラーの世界をみてもらいたいと思います。
無事にうまれてきてくださいね。
この世はたのしいですよ。