後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2014年12月19日金曜日

とるっちスマホなくす


とるっちです。
奥さまが、とるっちのサプライズプレゼントにと写真を送ってくださいました。

もっと左の眉を濃くしたかったのですが、吹き出す汗のせいでインクがのりません。
顔が欠けると力が出ないアンパンマンや、恋をしてほうきで飛べなくなっちゃうキキの魔法みたいだと思いました。
「汗かいてるから顔が描けない!」

渡し舟の運賃は3バーツほど。
とにかく安かったのを覚えています。

川はさきほどの土砂降りで茶色く濁っていました。

向こう岸へは5分もしないで着きました。

タコ足みたいなヒゲをした勇者が出迎えてくれます。

ワットポーの敷地に入ると、窓の外から大きな大きな涅槃像が横たわっているのが見えました。

巨大な仏像です。

同じ涅槃像でも、戸外にあるのと、屋内にあるのとでは印象がずいぶん異なりました。
やっぱり野営の涅槃像よりも室内で暮らすほうが楽に違いないし、半開きの目もどことなくふてぶてしく感じました。


一日中寝たきりでいいご身分ですこと。
皮肉のひとつも言いたくなるような弛緩した図体です。


温室育ちめ、と反感を抱きかけましたが、過保護、過干渉の苦悩もあるはずだと必死で言い聞かせました。

露出の高い服を着た女性には、緑色の羽織りものを貸出しているようでした。

足指の指紋は等間隔にデザインされていました。
何かに似ているなと思って頭を悩ませていたのですが、答えはすぐ近くにありました。


自分のTシャツの柄でした。


ワットポーは大仏だけでなく、壁面の様々な描写も見ごたえがあります。



天井まで細密画でびっしりと埋め尽くされています。


柱や桟にも余すところなく紋様が刻まれていて、猛烈な密度に圧倒されました。

大仏の後頭部は殺傷能力が高そうなトゲトゲで覆われていました。

わたしはいつでも写真が撮れるように常にスマホを片手にしていました。

ワットポーには、大仏殿の他にも数多くのお堂が存在しています。


回廊づたいに金色の仏像が立ち並ぶ、半分外で半分中のような人気のない一画で、恐れ多くも仏像に擬態してみました。


北京マラソンでもらった景品、サバイバルブランケットが活躍しました。

とるっちによる金色像の出来上がりです。

立像も試してみました。

涅槃像の出来が一番良かったです。

仏殿にはキッチュな壁紙もあって飽きさせません。



これら明るいシーンのひとつひとつが、今見ると死亡フラグに思えて仕方ありません。
このあと、スマホがないことに気づく。


はっ。
アイフォンない。

真っ青になってリュックの中身をひっくり返しました。
一日3回ぐらいの頻度で「携帯ない」をやるので、武内さんは「またまたー。絶対あるよーさっきまで持ってたじゃん。よく探しなよ」と冷めた目でみています。

いや、ない。
ないない。ない。

自分でも、いつものやつだ、絶対出てくる…と、現実を信じたくない気持ちであちこちまさぐりながら、やっぱり本当になくて右往左往。我を失って取り乱しました。

(一度記事を書いたあとで武内さんに読んでもらったら「すっきりしすぎ」と評されたので書き直したのですが、今度は「でも実はけっこう落ち着いてたよね」とか言われた。さじ加減が難しいです。)
トイレに置き忘れたのかと思って引き返したところ、入っていた個室には別の誰かが入っていて、「ない」と言われた。
さっきの仏殿かな、と戻って警備の方に泣きつくと奥の間に通され、防犯カメラ映像から我々を探してくれました。

防犯カメラを通して見る自分たちの姿は荒い画素数で、テレビのニュースで観る失踪した誰かとか、もしくは犯罪者とか、いわくつきの何かに見えました。自分たちだけのものだと思っていた場面が思いがけず他の場所にも存在していることに、武内さんもわたしも大きな衝撃を受けました。
結局防犯カメラの記録から、その時まではわたしはスマホを手に持っていたと確認できて、じゃあやっぱりトイレだ、と再度捜索しましたが、なくて、



落とし物コーナーなんかに届いてないかなあとインフォメーションセンターを訪れたのですが、期待も虚しく終わりました。

担当してくれた警備員の方はとても親切で、元気づけようとジョークを投じるなど人間味あふれる対応をしてくださいました。けれどもわたしは失ったスマホのことで頭がいっぱいで、力なく微笑むのが精一杯でした。
突然の土砂降りに見舞われました。
「天気は人物の心情を表すものである」という映画のルールにのっとるなら、今、この場所での主人公は自分ってことでいいのかなあと思った。だったら泣きたかったです。
警備員の「なんでも力になる」という社交辞令にすがって、なんでもしてもらおうとアップル社の場所を聞いたけどちょっとよくわからず、武内さんの携帯を借りて日本の知人に電話をかけ、紛失の際の指示を請いました。

「iPhoneを探す」というサービスは、ネット環境にないと使用できないらしく却下。
知人に頼んで電話回線を止めてもらいました。
……その知人というのはとるっちの奥さまだったのですが、「とるっちの顔の時になくした」と打ち明けたら、「うちの旦那がすみませんでした。…あれ?  こっちが謝るのもおかしいな」と混乱していて、わたしは、ああ見ず知らずの方が後頭部の時にスマホなくしたんじゃなくて良かった、と思いました。
自分の失敗は後頭部のお客さんの失敗になっちゃうんだなあと思うと、軽はずみな行動は慎まなくてはという重責をきつく感じました。子を持つ親のような気持ちというか、親を持つ子のような気持ちというか、社会(ブログ内社会)的にわたしと後頭部とは一心同体なんだと思った。
今回の後頭部が、失敗を笑ってくれるレベルの知人だったことが不幸中の幸いでした。

どうしよう写真が消えちゃったよ、…象の写真とか北京マラソンの写真もないよ、バックアップとってない…。
わたしは落ち込みに落ち込んで、「横田さんの、めぐみさんを失った気持ちがよくわかるよ…」とか抜かして、「あほか横田さんは片腕もがれたような気持ちやで」と、一緒にするなと一喝された。
でもわたしもこの瞬間はまさしく片腕をもがれた級の痛みを感じていました。
く、くるしい……。

本来ならば観光に使える時間が、自分の不注意のせいで丸つぶれです。
それでも武内さんは怒るどころか「諦めたら終わりだよ、すべての手を尽くそうよ」と励ましてくれて、わたしたちはワットポーを出て市の警察へと向かいました。


男子学生グループや他の方々も数人、聴取コーナーに既にいたのですが、不安げな我々を見て、係員はこちらを優先してくださいました。
日本だと番号札があったりして(それは役所か)、順番は絶対だけど、割込みが可ってそんな不公平が…。驚きながらもすがる思いで恩恵に預かりました。

窓口の方に英語は通じず、受話器を渡された相手はおそらく海外トラブル専門らしきダイヤルなのですが、わたしは全然、言葉をつなげずにいて、今までの自分の英会話がいかにジェスチャーや表情に頼ってのしろものだったかを改めて思い知らされました。電話の相手は優しい若い女性で、しかしほんの片言しか話せないわたしはどうしても同じところで引っかかってしまうのでした。

電話口の相手を困惑させながらもそれでもなんとか盗難証明書を作成してもらえて、これがのちに、とてもとても役立ちました。

わたしは海外旅行保険には入っていませんでした。
携帯会社の保険にも、どうせ海外で適応されないんだしと思って入っていなかった。
けれどもアップル社の紛失オプションというものに加入していたらしく、この時警察で入手した証明書のおかげで、後に半額保証をしてもらえることになりました。

なので、海外で携帯を紛失した場合には、無駄と思っても警察に行くことをお勧めします。

家に帰ってから、いらないよーと思って捨てた海外旅行保険のチラシを開きました。



スマホ程度の損失で済んで良かったと、言わざるを得ない…。

でも、この時はとてもかなしくて、エピソード的にはもう十分なのに後頭部の顔を描き直す気にはとてもなれず、肩をがっくり落としてとるっちとの旅を続けました。
つづきます。