後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2014年10月15日水曜日

近藤さんとベオグラードの朝

列車の旅は続きます。

豊島さんの次にクジを引いて出た近藤さんは、六甲ミーツアートの初日にいらしてくださったお客さまです。

自撮りを試みたけれども難しくて…、と、写真を探して送ってくださるところに、丁寧で真面目なお人柄が忍ばれました。


時は真夜中。
隣室から、赤ちゃんの泣き声が途切れ途切れに聞こえてきます。

豊島さんの顔を消して、就寝する間は後頭部の皮膚をしばし休ませておくことにしました。



コンパートメントの向かい合っている座席をそれぞれ最大まで引き出すと、座面がくっついて、快適なベッドの出来上がりです。


空調を切っても車内は 寒く、サバイバルブランケット(山岳マラソンの景品)をかぶって横になりました。念のために持ってきたら意外と重宝したすぐれものです。

浅い眠りの中、何度か切符のチェックやパスポートのチェックがありました。
……ん?
パスポートを回収されたということは、国境駅に着いたということだな。
スコピエ(マケドニア)と、国境駅プレシェボ(セルビア)との距離はそんなに離れていないはずです。

ずっと列車の中にいたので時間軸がこんがらがってしまいましたが、プレシェボ駅には22時すぎには着いていたはず。
写真で確認すると、近藤さんの顔もその時既に描いてあったみたいです。



……もしかしてわたし、寝ていたのかな…。記憶が……。
プレシェボ駅と画面におさまる近藤さん。
近藤さん、セルビアに入ったみたいです!


携帯にもメッセージが届きました。

この「ようこそ」は単なる定型文にすぎないとわかっていても、それがどんなに形式ばった歓迎の言葉であっても、心は否応なくはずみました。
携帯会社からの自動配信はパスポートにスタンプを押されるよりもよっぽど早く確実に、国境を跨いだのだという実感をもたらしました。なんか、旅してても携帯って無機質だけど…。


プレシェボ駅はものものしい雰囲気で、腕組みをした警官が険しい眼差しで辺りに睨みをきかせています。

列車は停まったきり、なかなか発車しません。


外務省の海外安全ホームページによると、プレシェボは「十分注意してください」という危険エリアに指定されています。

(1)コソボ東部との国境周辺地域(メドベジャ市,ブヤノバツ市,プレシェボ市を中心とする地域)では,人口の多くをアルバニア系住民が占め,一部のアルバニア系住民とセルビア系住民との間では民族間の緊張が継続しています。2013年2月にはプレシェボ市で,アルバニア系兵士のための鎮魂碑をセルビア政府が撤去したことをめぐり,それに反発したアルバニア系住民が抗議集会を開くなど,依然不安定な状態が続いています。

(2)このほか,首都ベオグラードでは,2010年10月に同性愛者のパレードをめぐり市内中心部で暴動が発生したほか,最近では,スポーツの試合等をきっかけとしたサポーターやフーリガンなどの一部過激な集団による犯罪が試合会場の内外を問わず発生しています。


パスポート、なかなか戻ってこないけど…。さっきのポリス、偽警官じゃないよね、大丈夫だよね。
なんか、テロリストとかに列車乗っ取られたりしてないよね。

不安が膨らみきってまた眠くなりかけた頃、パスポートが返却されました。

後頭部の近藤さんをあえて見せることなく、決して騒ぎを起こさぬよう、不自然なくらい真正面からパスポートを受け取りました。

切符チェックが来るたびに飛び起きてチケットを提示しましたが、近藤さんを怪しまれることはなく、新しい朝がやって来ました。


ベオグラードに到着です。


それにしても、朝7時でこんなに暗いものなのか?  

北に来たせいかなあ。初めての土地が暗いと心細いなあ。そう思っていると、武内さんが「あれ!?  まだ6時だよ。」ビルの時計を見つけて教えてくれました。
携帯画面を確認すると、車中では7時だった時計表示がいつの間にか6時に変わっています。

そうか!  時差か!!

ギリシャとセルビアとの時差は1時間のようです。
今は6時の明るさなんだと思うとこの薄暗さも腑に落ちて、これから朝の訪れを味わうことができるのが幸せでした。

マケドニア、セルビアはギリシャと違って通貨がユーロではありません。
両替窓口の開く7時までわたしたちは無一文です。

ひとまずお手洗いへ…。
と思ったらトイレも有料で、でもユーロでも可だと言われて、よかった。
1ユーロ(140円くらい?)払ったらふたりとも入れました。
便器は洋式じゃなくて、跨いで用を足す形状でした。

お手洗いの一画には各地のバックパッカーの荷物が集まって、ドミトリーの一室のようです。

身支度を整えてドミトリー(トイレ)を出発。
時刻はそろそろ7時を迎えようかというところです。
あたりはまだぼんやり暗く、近藤さんの顔が見づらかったので写真の色調補正をしたら風景がテーマパークのようになってしまいました。

線路沿いに咲いていた、季節に似つかわしくないひまわりの花。寒そうです。


ベオグラードは、わたしたち好みの都市でした。

テッサロニキの無造作なヤンキー感には今ひとつ共鳴できなかったけど、ベオグラードは駅を出た瞬間から空が広く空間にゆとりがあって、建造物の抑えた色味にも心安らぎました。

こちらは近藤さんの顔をはっきり見せるため明るくとばした写真ですが、背景の建物は上の一枚と同じです。

向こうに見える三角屋根の建物がベオグラード駅です。駅構内で両替も出来ました。


公園のベンチに荷物を広げてきちんとパッキング。

小さな運動場のようなスペースもあります。
ここは大学か何かなのかな。

朝が早いせいか、ひと気はほとんどありません。

公園に、飲んだくれているふうの若者が6、7人、たむろっています。
不穏な視線を感じました。
嫌な予感がして、荷物をしっかり抱えて足早に通り過ぎようとすると、……絡まれました。

おい、俺たちが観光案内してやるよ。

ノーサンキューです、にこにこにこにこ。

あとずさりながら丁重にお断りしましたが、解放してもらえません。
ドリンク片手ににじり寄ってくる彼らの目は、獲物を見つけた輩のそれです。

やばい。どうしよう。
昨日ふたりは列車の中で、暇にまかせてガイドブックに載っている「観光客の旅トラブル」を読んだばかりだったのでした。今これ、わたしたち当事者じゃん!

くるみちゃん! どうしようこわいよ!
隣にいる武内さんの緊張が伝わってきます。
近藤さん、助けて!!

…わたしは北海道出身です。「熊と出会ってしまったら、熊から目をそらすな。視線を外したほうが負ける。目で勝つんだ、そしたら熊のほうで勝手に退散してくれる。」いつか習った喧嘩術を思い出し、わたしは意志を持って、正面の顔で彼らに向き合っていました。後ろを振り向いちゃだめだ、強気でいなきゃだめだ。
けれど、限界でした。

近藤さんお願い、お願いします!

一か八かでくるりと身をひるがえして、後頭部の近藤さんを彼らの目の前にパッと踊らせました。

ひるめ!!!!!

ほんの1秒間のターンが、長い長いスローモーションに感じられました。
彼らの反応が、読めない。
けれども一拍置いたのちに明るいどよめきが聞こえて、張りつめた空気がゆるむのがわかって、わたしたちはピンチを脱したことを知りました。

大きく手を叩き、身を揺すって笑う彼ら。
びっくりしたでしょ? アジア人なめんなよ。
息を吹き返したわたしは調子に乗りました。

ユーアークレイジー!!
最も悪辣な笑みを浮かべていたジャンキーにそう言われて、
ユートゥー! お前もな!!
間髪入れずに応戦したのでした。

いよいよリンチされるかと思いきや、ジャンキーは一瞬驚いた表情を見せた後でゲラゲラ笑って「そうだその通りだ」と頷き、わたしたちはまるでマブダチのように肩を組んで写真に収まったりした。バーカ日本人のガキにクレイジーとか言われて喜んでんじゃねーよ。もっとまともな人生歩めば?

彼らの姿が背後に小さくなり、十分安全が確保された、人通りのあるところまで行ってから、わたしの精一杯の虚勢は一気に解除されました。膝がガクガク震えてへたりこんだ。ダサあ。極度の緊張で頭に血が上って、つい危ない応酬をしてしまいました。武内さんを巻き込むところだったと思ってとても反省しています。

それでもその晩、共通の知人に宛てたエアメールに、武内さんが「くるみちゃんはとても度胸があります。○○も見習ってね」と書いてくれていて、うれしかったです。こわかったねごめんね。

ちなみに、このやりとりの写真はありません。
彼らのカメラで撮るのだけで精一杯で、自分たちのカメラを差し出す心の余裕は皆無でした。

近藤さん、……ご無事で何よりです。
ありがとうございました本当に…。

おとなしく観光に戻りますね。

セルビアに行くことを急遽決めたがために、ガイドマップも何もなく、ネットも昨日からつながりません。
バス停の掲示物でなんとなく市内の位置関係を把握しようと努めます。

朝ご飯を求めて、両替したての通貨を払って定食屋へ。
まともな食事は久しぶりでした。

パイ、お豆の煮込み、肉じゃが、マッシュポテト、パプリカ。
緑が不足しているな。

朝食を終えても、特に行く当てがあるわけではありません。
寒いので上り坂を選んで早足で歩いていると、こじんまりした教会を見つけました。

90度に腰をかがめた老婆が、杖をついてやってきます。


ドアからかすかにこぼれる、厳かな賛美歌。

中へ入ると、こうべを垂れて祈りのメロディーを口ずさむ方々が一定の間隔を置いて、思い思いの場所に立っていました。
わたしも武内さんも、少しだけ離れて、立ちました。

フードをしっかり被って両手を組み、敬虔な調べに身を委ねました。


ベオグラードの地元の方々が日常的に営む祈りの中に闖入したわたしの頭の雑念は遠く日本のイメージで埋め尽くされ、自分のふるさとが日本であるという当たり前の事実を、まるで啓示のように思った。



完璧に美しすぎたりかわいすぎたりする女の子を見るとかなしくなってしまうみたいに、荘厳すぎる立派な建物にもなぜだか胸が痛みました。ホームシックでしょうか。



緑が騒ぐ公園で深呼吸。
ベオグラードの新鮮な空気を、近藤さんと目一杯共有しました。


族は、結局こわい人たちじゃなかったけど、ただの酔っぱらいだったけど、わたしたちにとって彼らに絡まれたことは今回の旅の一番のピンチでした。
近藤さんにはただただ感謝です。
ありがとうございました!