後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2016年5月20日金曜日

リタイア



診断は低体温かなんか。
なんかそういう、過労とか貧血とか低体温とかそういう、珍しくもなんともないやつ。みんながなるやつ。なりながら走るのが当たり前のやつ。

でも、先に、行かせてもらえなかったです。

ドクターストップされるまでは、必死で「ウォシャンワンサイ! 完走したい!」を繰り返していたのですが、いざ強制リタイアを命じられると「よかったもう走らなくていい」って深々と安堵している自分がいて、ああ、わたしの「完走したい」は嘘だったんだと気づく。

経験がものを言った、悪い例です。
むかし川の道を完走できたのは、経験がなかったからなんですね。どんなこわいかどんなつらいか、よく知らないから完走できました。
でもだめでした、今回。これまで走ってきた中のつらかった経験がいくつも頭をかすめて、踏ん張っていられなかったです。
わたしのせいで時間も体力もロスしてしまった介抱ランナーが、ゴールできるのかどうかもとても気がかりでした。

後悔先に立ちやがれ。
泣けないリタイアは初めてだったかもしれません。
本当に強い人は、こわさを知った上でさらにそこを乗り越えていくんだと思う。自分にはできなかった。人の手を借りてまでしても。

唯一うれしかったのは、武内さんが弱気になっているわたしをなじるような目で見てくれたことです。
安易に慰めたりせずに、なんとか完走させようとスタッフの方にレースの続行を掛け合ってくれました。でもいざリタイアが決まると、さばさばした口調で、「そうか。だめならしょうがないね」。大きな目で受け入れて、「じゃあ、よく休んで。」って。坂道を駆け上って行きました。
ピンク色が、たちまち闇に溶けていった。

バスに乗り込むと、最前列の1席以外は満員でした。
係の方が震えの止まらないわたしを毛布にくるみ、隣の方はホッカイロを与えてくださいました。かじかんだ手で封切れずにいると、さっとパッケージを剥いてくれます。隣の方はランナーの格好ではなく、ご主人の応援に来ている奥さんのようでした。余裕を感じました。
ここに乗せていいわよと言って、ぐらぐら揺れるわたしの頭に肩を提供してくれ、母性のぬくもりの中に沈み込んだわたしは一気に眠りに落ちました。

途中バスは何度止まったのでしょうか。
記憶は定かでありません。4時か、5時頃、バスは停車し、まぶたの裏に、夜が明けようとするほの白い光を捉えました。
さっきリタイアした記憶が瞬間こみ上げてきて、目ヤニでガシガシにくっついたまぶたを涙でこじあけた。

悔しい……のかな。うん。悔しいです。なぜ今自分は走っていないのか。なぜバスに揺られているのか。今わたし元気だな。全然疲れてない。心肺は正常で、筋肉痛もない。本当にあそこで限界だったの? もっとがんばれなかったの? と、思う。今はそう思える。もっとできた気がする。下りに入っちゃえば勝算はあったはずだ。でもあの時点で無理だったってことは、無理だったんだ。時間は戻せない。

一番きらいな言葉は「リタイア」だ。
わたしは唇をきつく噛み締めました。
「完走」以外、リタイアに成績ないからなあ。10kmでやめても150kmでやめても、リタイアはリタイア。負けは負け。でしょ? ちがうの?
「失敗からしか学べないことがある」って言うけど、それ本当かなあと思うんですよ。失敗を美化してる場合じゃないと思う。単に、失敗するくらい低レベルだから、学ばなきゃいけないことが膨大にあるって話じゃないの? 失敗してない人は、そのぶんもっと高次元の学習ができてるんじゃないの? 
「伸びしろ」とか言ってそんなの現状の体たらくをごまかしてるだけだ。自分の伸びしろが実際に伸びる日は今生のうちに訪れるのか。いつまで、あるのかないのかわからない自分の未知数に賭ければいいのか。
一生リタイアせずにいられるランナーもどこかにはいるのだろう。素晴らしいと思う。失敗ってほんとに必要? 失敗より成功のほうが、負けより勝ちのほうが、リタイアより完走のほうが、ブスより美人のほうがいいに決まってるんじゃないの?
「弱肉強食」で、あらゆる命は進化してきたってだれかも言ってた。

宣誓!! 
わたしは! もう! 二度と!!
リタイア、しません!

以上。