ドーハ空港を出て市内観光できるか聞いてみると、インフォメーションの方が先陣切って案内してくださいました。
外、出られるっぽいね!!
先ほどドーハへ到着した時に通過したゲートを逆戻りします。職員の方の他にひと気はありません。
そこでどうなったかというと、案内されたゲートの外で、屋外へ行くのならビザを買わねばならない、ひとり三千円と聞いて、結局諦めたのでした。
ケチったのはもちろんですが、空港の方も、迷っているわたしたちを見て「夜だし暗いし何もわからないだろうし乗り継ぎ失敗したら大変だし、空港内のバーにでも行って素敵な夜を過ごすが良い」とご忠言くださったからです。
次の飛行機まで時間はたっぷりあるので、遠藤さんの顔を描き変えることにしました。
(遠藤さんありがとうございました! ドーハ観光はまたいずれ…)
遠藤さんからリレーして、ドーハから日本まで帰国するお客さんを決めねばならないのですが、ちょっとそれだけじゃかわいそうです。
ここは身内だな…。
旅券を買ってくれていないのですが、勝手に父の顔を描くことに。
しかも遠藤さんの顔を再利用した。
眼鏡をかけてシワを増やしました。
父の写真を持っておらず困りましたが、空港のパソコンを駆使しました。武内さんがYouTubeにアップしている動画の、1分8秒に出てくる父を資料にして描きました。
ドーハ空港のネット環境は最高です。
ドーハにて、武内さんと父とのツーショット画面が!
後頭部に父を描いたからと言って、バーに行ったりアクティブに行動することもなく、広場の隅にゴミみたいに横たわって、寝ました。
午前6時、起床して搭乗ゲートまで走りました。
ふたりとも時間に余裕を持った行動が苦手です。父とは大違いです。
飛行機に乗り込むと、武内さんが昔話を聞かせてくれました。
「子どもの頃飛行機がこわくて、離陸する前に隣の親族と手を握りあって『ハンニャ、シンギョウ』っていつも唱えてたんだ」
子どもの頃っていつ? と聞いたら中学生で、思ったよりけっこう大人でした。
じゃあアラサーでもやっていいかなと思って真似しました。
ハンニャ、シンギョウ!
ハンニャ、シンギョウ!
それから、窓の外、くっきり見えた飛行機雲に、「わー、風しぶき!」と武内さんが言って、漢字とか文法とか国語全然できないくせに、詩情ネイティブはすごいなと思って悔しかった。
感動しました。
「ハンニャ、シンギョウ」のおまじないによって、わたしたちは無事に羽田へ着きました。
しかし時は深夜。
もう終電は終わっていました。
わたしたちは今夜も空港で夜を明かすことに…。
メテオラのホテル以来、列車移動や空港移動ばかりで、宿無し記録が四日間に更新されました。
それから預けたバックパックを開いたら、ビスケットクジの瓶が盛大に割れていた。
なんで梱包とかしないの!? ガラスくるむのとか基本じゃん!!
……なんで梱包とかしなかったんだろう?
なぜわたしにはそういった能力がないんだろう……。
くるみちゃん、割れるか割れないかの2択があっても割れない可能性に賭けちゃうからでしょ!? でも割れるかもしれないじゃん! そういうとこで危険な道を選ぶことないよ! 学習しようよ!
ずばり自分の性格を言い当てられたのですが、別にわたしは確固たる信念のもとに危険な道を選んでいるわけでは全然なくて、ほんとに、見通しが浅はかなだけなんです。
オリーブオイルとハチミツの瓶が割れなかったのが不幸中の幸いだと思ったら、ハチミツがちょっと漏れていて、惨劇一歩手前でした。もう危険な道とか選ばないよ、と心の中で誓いました。
我々が羽田で夜を明かした10月6日、日本列島はちょうど台風18号の真っ只中でした。
始発で帰れて、土砂降りに打たれたけれどもいい思い出です。
武内宅で台風のニュースをみていると突然あきちゃんが吹き出して、「この、903便とか1803便って便名なんだ! さっき空港でくるちゃんに、飛行機すごいいっぱい欠航してるって言ったの、便名じゃなくて総数だと思って言ってた! 足したらすごい数と思った!」と告白してきて、ふたりはいつまでもおかしくていつまでも笑い続けた。
それから、あーあ、旅が終わっちゃったなとつぶやくと、まだまだ旅は続く、だよ! と力強く訂正してくれて、武内さんを拝みたい気持ちでした。
わたしは翌日京都に帰って、父に、「お父さんの顔描いたから千円ちょうだい。」と強制的に千円を徴収した。
あこぎなビジネスです。
ギリシャ、マケドニア、セルビア旅行の次は北京旅行です。
ご参加くださったみなさま、本当にありがとうございました!
ただいま、そして行ってきます!