後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2014年10月5日日曜日

あきちゃんと走った 4

深夜0時を過ぎてから眠気に襲われ始めましたが、深刻な睡魔は150km過ぎの3〜4時から本格的に始まりました。

集中力、集中力!

言い聞かせて、ハチミチをチューチュー吸ったり、眠くないって騙そうとしてすごい笑ってみたり、しかし眠くて眠くて、大きく蛇行。
道はサンガス山までのぐねぐねした上り坂に入っていて、ガードレールのない崖をうっかりすると滑落しそうです。
周りのランナーが、しっかりしろとバシバシやってくれました。次のエイドの灯りはいつまでも見えず、自分がこの区間どれだけ時間を費やしたかもわからず、這々の体でエイドに行き着いたら、閉鎖まであと5分でした。

やばすぎて目が覚めて、上り坂を走れないくせに猛ダッシュ。
間に合うのか間に合うのか間に合うのか!  
間に合わなかったとしても、死力を尽くして「だめだった」と言いたい。まだ全然あきらめられない。
坂道の向こうから、何人かのギャラリーが駆け下りてきて、ハリーアップ!!  関門閉まっちゃうよ、急いで!!  切迫した声で鼓舞してくれました。

わかってる、でももう限界です、これ以上速く走れない。
そう思っていると、美女がドントウォーリー!  ユーキャンドゥイ!!  手をとって並走してくれました。
エイドはもうすぐよ、この坂をのぼりきったら、オーバーゼア、深呼吸、深呼吸、ユーキャンドゥイ!

呼吸は乱れきっていて、今心拍数を計測したら鼓動が速すぎてゼロ表示されるんじゃないかというほど追い込まれて、頭は真っ白で、でも、ドキュメントとしてこれはこれでいい終わり方だった…。
おねえさんと腕をかたく組んだままエイドに足を置くと、地面に敷かれたシートがわたしのシューズをピピピピピって正常に記録する音がしました。
わたしは無事、関門閉鎖の2分前に間に合ったのでした。

おねえちゃあん!!  間に合ったあ…。 アイキャンドゥイ…。もうだめと思った。あなたのおかげです。
抱き合って、美女とフィニッシュしたみたいによろこびを分かち合って、さあ、ここから、いよいよサンガス山。

……と、前進を阻まれました。

おねえちゃんと手をつないで走ったのはルール違反だ、ランナーは自力で走らなきゃいけないのに介助があったから、おまえはここで失格だって、言われて、ああああああ、その話は聞いたことがある、大会によってはそうなると知っている、でも、手をとってくれたおねえちゃんの親切をふりほどくことなんてできなかったし、ここ外国だし、スパルタスロンでは関門ギリギリランナーにはこういう心あたたまる計らいが一般的なのかなって思ったんですけど、し、失格ですか…?  わたしもですが、それ、おねえちゃんにとっても辛い仕打ちではないですか…?
怒り狂う男性のオーバーゼアにおねえちゃんがしょげたようにちんまり座っていて、おねえさん、ごめんなさい…。わたしは自分の、許してくださいという思いを「プリーズ、プリーズ」の一語でしか伝えることができなかった。

他のスタッフの方々は、「今サンガス山行ったとしてもすごく過酷な道のりだよ、暗いし、寒い。タフな山だ。」とわたしのわがままをなだめようとしてくれて、それでもわたしはしつこく、アイウォントゥトライ、と繰り返した。
自分の目でサンガス山を見たいです。自分の足で、踏みたいです。
あまりに聞き分けなく懇願していると、哀れがっていろんな方が加勢してくれて、ここでストップだと断じた男性の周りに気付けば包囲網ができていました。
ストューピッド!
その単語だけ聞き取れました。お前の言っていることは愚かだと、男性と男性との間で激しいケンカが勃発する中、女性スタッフの方が、本部にどう対応すべきか電話で聞いてくれているようでした。

携帯を耳に当てた女性を祈るような気持ちで見ていると、何度もうなづく女性の瞳がわたしに向かって光を放って、アイコンタクトって本当にあるんだなとわたしは思いました。

どうやら前進を許されて、おねえちゃんに、守ってくれた方々に、叱ってくれた男性に手を合わせてから、皆に見送られてわたしは山へ一歩踏み出しました。

ここまで一分一秒を惜しんでエイドで腰をおろすことなく来ての、このタイムロスがどれだけ痛手かはよくわかっていたけれど、失格でリタイアだったって言ったほうがストーリーとしての完成度が高いとも考えたけれど、あきちゃんに「あきらめなかった」って言いたかった。自己満足でもいい、少しでも先へ進みたい。その気持ちは揺るぎませんでした。

でももう山に入った直後に、たぶんさっき上げすぎた心拍数が災いして、2度めの嘔吐。固形物をとっていないので純粋な液体しか出てこなかった。

皆が止めるのを振り切って、「あきらめない」とか言って意気がってここまで来て、このざまか…。
おねえちゃんに、どんな顔をしたら良いのだろう?  逆噴射してくる胃液に呆然と涙を流しました。

足を、前に、前に、進めようとしても重くて動かない。
ルートを示す青いライトが鬼火のように点々と続いています。
もうほとんど残っていない後続ランナーが足取りも軽やかにわたしを抜いていきます。
「ユーキャンドゥイ。あきらめるな」

腕時計を確認することもあきらめました。ただ、サンガス山の険しさを、覚えておこうと思いました。
次の一歩、次の一歩。
足だけでは体を持ち上げられなくなって、四つん這いで進んだ。
次の一歩っていうか次の一手だった。

しばらくして、関門閉鎖を告げるラッパが山の頂上から聴こえました。
…空耳かな?
聴こえた気がしたけど確信はありません。

終わったんだな。

リタイアしてしまったことより、山で遭難する恐怖のほうが差し迫ってリアリティがありました。馬鹿なひとりの日本人のせいで大会中止になったりしたら本当にわたしは申し訳なくてもう2度と日本の土踏めないから、なんとしても、生きて頂上へ行かなければ。

そしたら頂上からどなたか迎えに来てくれて、ご迷惑をかけてごめんなさい、あなたはランナーですか?  震え声を絞り出すと、スタッフだから心配するな、大丈夫だ、よくがんばった。しっかりと抱えられて、山のトップを目指しました。

大丈夫だ、謝ることはない、お前はよくやった、立派だ、君の勇気を誇りに思うよ。ドゥーユーアンダースタンド?

言ってることはわかるけど、イエスだけど、イエスじゃないです。わたしは、ひどかったです。走力なくてごめんなさい、勇気があっても走力ないと仕方ない。フィニッシュできないなら仕方ない。友だちが…、友だちに、応援に来てもらってまでして、いろんな方に励ましていただいて、なのにだめだったんです…。

力強く介抱してくださるスタッフの方と、泣き乱すわたしと、ひとかたまりでじりじりと山を進むのですが、わたしは人としてのフォルムを崩しながらも妙に冷静でいて、人間関係って結局バランスとってそれぞれの役割を演じるだけだよなと思った。

お兄さんはあくまで頼もしい完璧無比のヒーローで、わたしは夢破れたリタイアランナーの役で、しかも実際より若くて可愛い補正とかもあって、それぞれの物語がやさしく美しく強化されていくのを、不思議に乾いた気持ちで眺めていた。

リタイアしました。