後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2015年4月5日日曜日

トンベンのお母さん


夜10時半、ターミナルで先輩と待ち合わせ、夜行バスでいっしょにオアハカへ行くはずでした。
先輩は時間ぴったりに来てくれましたが、酒臭いからという理由で止められてしまい、懸命に交渉している間にバスは我々だけ乗せて発車してしまいました。

広く快適な車内で、わたしも武内さんもまさかの乗車拒否事件に震えながら、それでもやがて眠りにつきました。
そしたら深夜、バスが故障してびっくりした。

英語のできる乗客が事態を通訳してくれましたがよくわからず、その人について行こうとしたら、暗がりではぐれました。
バス壊れるって………メキシコ怖いよ!! 
テロや山賊を恐れていましたが、故障とは想定外でした。
しかし先輩を置き去りにしたことについてかなりびくついていたので、「よかった、バス故障して大変だったって言える!」と、自分たちの不運を歓迎する気持ちもありました。

ルートを外れて進んだバスを、二回ほど乗り換えました。
最初に乗っていたバスに預けた荷物が気がかりでした。
パスポートと現金は手元にあるけど、最悪、荷物を受け取れないな。覚悟を決めたら、武内さんが「預けたリュックに高額の日本円を入れている」と言うので絶望しました。


朝方、身元検査がありました。
長い銃を持った兵士の表情は読み取れませんでした。

オアハカに着きました。
懸念していた荷物ですが、身振り手振りで要求したら、ややあって出してもらえました。ワゴンには他にもたくさんの荷物が積まれていて、無事受け取れたことに何より安心しました。
胸をなで下ろしたところで後頭部に描くのはトンベンのお母さんです。


『相談なんですが
20年前に他界した
母の写真、、、は受付て
もらえるんでしょうか?

35年前、私が高校生の頃、父と母が二人で
バリ島に行ったのは
覚えていますが

それ以外には
どこにも行った事がない
母です

外国の文化や習慣に
触れることに興味は
あったと思うのですが

とにかく乗り物酔いをする体質で
車やバスしか移動手段のない都市には
行きたがりませんでした

初めての外国、バリ島に
鉄道がなく
苦しかったからなんです。

長々書いてしまいましたが、

私より母に
外国を見せてあげたいな、て思っています。

もし生きていてくれたら
2/7が 80歳のお誕生日なんです。

そして2/8が命日です。』

2月7日。朝。
ここはメキシコの都市、オアハカです。
トンベンのお母さん、お誕生日おめでとうございます!

















現世だよ!
今生だよ!!
そう思うと、目に映るすべてが10倍増しにきらきらして感じられました。


呼吸する、吸って吐いてのリズムすらありがたく、生きて動いている人々の輪郭があやふやに溶けていくようでした。


ツタに覆われた、秘密の花園みたいなレストランで遅い朝食にしました。


Wi-Fiを使って、無事に着いたこと、今晩泊まるつもりの宿、合流できなかった場合も心配無用だというメールを先輩に送りました。
世界の美しさに酔いたいところでしたが、現実には宿を探したり地図を確認したり、調べねばならないことがたくさんあって、ネット環境にいる今のうちにと、情緒もへったくれもなくスマホをタッチし続けました。



パパイヤのジュースと、ホットケーキと、エッグなんとかかんとか。
メニューには英語もあってありがたかったです。
ジュースはぼんやりした甘さで、尖ったところがないやさしい喉ごしでした。

エッグなんとかにはおなじみのトルティーヤも出てきて、口ごもりながら「フリー…?」と聞くとにっこり追加してくれました。
卵があと一口になってからも、トルティーヤにホットケーキ用のジャムをつけたりすると延々、味を変えて食べ続けられました。
でもどれくらいおかわりしていいのか一般的な基準がわからなかったので、遠慮して「もうおなかいっぱいです」というジェスチャー。「本当?」と聞いてくれるかなと思ったけど、そんなラリーは当然なかったです。

お店を出てから、ホットケーキに『ハッピーバースデー!』の旗立てたらよかったね、などと悔やみました。



空が青く、日差しが眩しく、薄着が似合う町です。


わたしたちも早く荷物を下ろしたいです。

教会に立ち寄って手を合わせました。
正式なやり方がわからないよ。
ていうか異教徒でもいいのかな。
キリストについて考えるべきなのか、トンベンのお母さんのことを考えてもいいのか戸惑いましたが、神様はきっと間違えても怒らないと信じて「天にまします我らの父よ、トンベンのお母さんお元気ですか」と、でたらめな祈りを捧げました。


トンベンのお母さん、80歳おめでとうございます。ました?
重厚なラソレダー教会を見ていると、その気の遠くなるような歴史に、80年が長いのかあっという間なのかわからなくなりました。

広場を横切って、目的の宿を目指しました。

ありました。
サンタイサベル。
町は碁盤の目でわかりやすく、通りの名も親切に書かれているので迷うことなく来られました。


赤が基調の、吹き抜けが開放的なユースホステルです。


イタリア人が日本のユニフォームを着ていました。
バックには「ミヤザキ」の名前があったけど、二人ともサッカーを全く知らなくて申し訳ない気持ちでした。



トンベンからのメール。

『ありがとうございます。
そっくりです!
び〜っくり。

あんな小さなボヤけた写真一枚で
よくこんなに似た顔が
描けるものだと

いまさらながら
プロの腕前に感心しています

目の感じが
本当に
私の母です

ちゃんとホクロも忘れずに
描いてあり
嬉しかったです

きょうは
命日なので
御墓参りにいきます

みんなにみせますね
ありがとうございました

本人を直接知っている者でないと
この背面顔がいかに完成度が高いものか
わかりにくいですが

親戚は皆、感激してくれると思います

母をメキシコまで連れて行ってくれて
ありがとうございます。

ありがとうーー❤』

お母さん、メキシコの旅はどうでしたか。
あたたかくて、人は皆親切です。
本当にお疲れさまでした。
ありがとうございました!