後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2017年11月5日日曜日

205km〜240km《若木》

わからないでしょう、どうしてわたしがこんなにみずきに拘泥するのか。
自分でもわからないです。でもずっと、みずきへの執着心がとれないんです。あくまで一方的な思慕。それはわかっているのですが、どうすれば抜けられるのかがわからない。

まずは追わないことだ、みずきの情報を入れないことだと思って、実践もしました。それはとてもうまくいっていました。でも、わたしがみずきファンだと知る方が親切心で冬、みずきさんの完走記? 手記? 一連の新作を送りつけてきて、ちょっと〜! 余計なことしないでよと思った。き、気になる……。
読んだらへこむってわかってるから読まなかった。ナイス判断。
でも春、もうみずき病治ったなと早合点して、うっかり読んでしまったのでした。まんまと病が再発した。

なんか、だめなんです。比べちゃうんです。自分と同じ人間だとは思えないんです。実際ちがう人間なんです。それが堪え難く悩ましいんです。素晴らしいんですみずき。比べてしまう。みずきと自分とを比べては、地底深くまで沈んで喘ぐ。

春の病は軽度の鬱状態にわたしを追い込み、一ヶ月間、立ち上がれなくなりました。
「スパルタもう無理。諦める。」ついに耐えきれずあきちゃんに電話したのでした。

そのときあきちゃんが放ったのが、「私の友だちはくるちゃんなんだから自信持ってよ!!」のせりふで、わたしは耳を疑いました。「だって私、見る目あるもん。私しょうもない人と友だちにならない。」重ねて言うあきちゃんの、あなたのその自信はどこからくるんですか……? 圧倒された。
あきちゃんの、自信の源がわからない。わからないながらも気迫に圧されて、「ありがとうあきちゃん…。」と、か細く言ったら、「くるちゃんだめじゃないよ。くるちゃんにだっていいところあるよ。」たたみかけられて泣きそうでした。わたしがうるうるしていると相手は急に黙り込み、「まあどこがいいとか具体的なことは言えないんだけど……。」とか言ってきて、ひどい。いいとこ一個ぐらいはあんだろ。悩むなよと思った。
「とにかく私の友だちなんだから、私がいいって言ったらいいんだよ!!」
最終的には投げやりななぐさめでした。

わたしの自信のなさと、あきちゃんの余りある自信と、どちらが勝つのだろうと思いました。もしわたしが「しょうもない人」だったら、あきちゃんの力強い自信もまやかしのものになってしまうと思いました。とにかくわたしはあきちゃんを信じなくては。あきちゃんと友だちでいる限りは、わたしも自分に自信を持っていていい。

……あきちゃんと言えども他人なわけで、他人に頼っている以上、自分のよわよわメンタルの根本的な解決には全くなっていないのですが、それでも。

わたしはみずきのことではちょっとおかしいぐらい落ち込んでしまう。
いまここでみずきに負けたら、ケアするあきちゃんが大変だと思いました。
今年はあきちゃんはサポーターじゃないんだから、あきちゃんだっていま走ってるんだから、疲れているはずなんだから、いつまでもあきちゃんあきちゃんじゃだめなんだから。
わたしは自分の力でみずきに立ち向かうんだと顔を上げました。
自立心起動(32歳)。

今年の目標について以前大滝さんと話したとき、「順位は相手次第だからどうにもならないけど、タイムは自力でよくできる。目標をつくるなら順位よりもタイムにこだわるべき」との助言をいただきました。でも、目標だった30時間切りはもう叶わない。ならばせめて、この順位死守させてくださいと思いました。もうわたしにはこれしかない。

後方から勢いよく迫る足音に、ああ…みずき来たと思ってぎゅっと目をつぶる。もはやこれまでだと思う。赤と青の幻覚がまぶたにチカチカくる。覚悟を決めて目を開くと、……追い越したのはみずきじゃない、外人だった。助かったと思う。またうしろが気になる。足音がこわい。次こそもうだめだと思う。呼吸が苦しい。みずきに抜かれるまではずっと、先延ばしにしたこの恐怖から逃げられないのだと思う。もういっそ早く抜いてくれと思う。不安ループに歯を食いしばる。

帽子は預けた。
あんなに日焼けを恐れていたのに、もう余計なものは何一つ身に付けていたくなかった。体を軽くしなくては。給水も飛ばす。汗も飛ばす。

無理のある全力疾走でどこまで行けるのかが危ぶまれた。みずきを抜き返したエイドからゴールまで、40km以上残っている。それでもスピードを緩めるわけにいかなかった。一歩一歩が限界だった。

いま抜かれたらもう抜き返せない。これ以上速くは走れない。
みずきが勝ったら、大勢のみずきの仲間がよろこぶのだろうと思う。考えると死ぬほど胸くそ悪かった。あいつら気のいい連中をよろこばせてなるものか。醜い気持ちに火をくべた。
悪者でいることの傷心はなかった。望むところだと思った。人に嫌われるのを何より怖れるこれまでの自分とは別人だった。不思議な快感があった。わたしは自由だと思った。わたしはわたしのヒールを完成させるのだ。

みずきはわたしに興味ない。
「費用対効果」でいくと、勝つべきはどう考えてもわたしだった。わたしの「みずき対効果」は無限大だが、みずきの「くるみ対効果」はゼロだ。みずきはこの争いに乗る必要がない。にこにこ愛想をふりまいて、いい人のまま走っていればいい。自分は醜くてよい。気持ちの強い者が勝てばいい。醜ければ醜いほど気持ちはよく燃えた。

「みずき前」と「みずき後」でのわたしの覚醒は明らかで、課題だった最後の50kmをまともに走れていることが驚異だった。例えみずきに抜かれても、このままゴールまでつぶれなければ、少なくとも目標のうちのひとつは達成できると思った。それもこれもすべてみずきのおかげだった。ありがとうみずきさん……感謝をするとたちまち足が鈍った。自分の本質は悪だと知った。

打倒みずきにかける、お門違いの闘魂だけがわたしの炎をたぎらせていた。
みずきを踏み台にしてわたしは走った。イエイ。