後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2017年11月1日水曜日

176km〜195km《若木》

時刻は夜中の4時頃です。
ギリシャの朝は、日本のこの時期よりもずっと遅く、明るくなるのは7時すぎ。
朝さえ来れば眠気も覚める、そう期待しながら走るのですが、夜明けまでの道のりが永遠のように思われます。

ただ、去年はあまりにも長かった単独走の区間、今年は前後にいつもだれかが走っていました。日本人には会えなかったけど、国籍問わず「人がいる」っていうだけで、心細さに押しつぶされはしませんでした。

暗がりの夜道に、犬の咆哮がこだましています。道路の真ん中で野犬が数頭、たむろっていました。
前を行くランナーがふたり、犬エリアを通過します。わたしもそれに続きました。平気な顔で。

大丈夫。通り過ぎました。全然、へっちゃらでした。
……吠え声が大きくなっている気がします。振り向くと、吠えたてる連中との距離は目視でだいたい50m。わたしは走ります。「こわい。」つぶやくと本当に身震いが出て、犬間距離40m。40m……30m……20m……えっ、おっ、追っかけられてない!?

「こわいこわいこわいこわいこわいこわいこわいこわい!!!!!」

つんざくような悲鳴をあげて、ヘルプを求めました。
前を行くランナーがこちらを振り返り助けに向かってくれましたがもう間に合いません。
だめだ喰われる……! 背中で身構えた刹那、突進してきたサポートカーが犬たちの前にギュイン!! 立ちふさがってくれたのでした。

こ……こここここ、こ〜わ〜い〜よ〜〜〜〜〜!!
こわかったあああああ!! こわいと思った瞬間、思いっきり日本語で「こわい」って言ってました。英語で「ヘルプミー!」を出す余裕、皆無でした。前のランナーが、「いいか、犬がいるところは走っちゃだめだ。静かに歩くんだ」って教えてくれたけど、「だってあんた走ってたじゃん……?」あんたを真似て大股でパスしたはずが追っかけられたんだよ!

犬のおかげで50分間は眠たくなりませんでした。
恐怖で気持ちも昂ったし、やつらはわたしの眠気を覚ますため現れた、天の使いだったんだろうかと考えました。
「いやそんなわけないな、あいつら本気で飛びかかろうとしてたもんな。それにしてもサポートカーのタイミングよ! あそこで車が来なければ、……わたしどうしたらよかったんだろう? 人間1人(運動神経なし)に対して犬5匹(運動神経の塊)って、どう考えても勝ち目ない。意表を突けばいいのかな? 突然ガッて回れ右して犬に向かって走り込む。または土手から落下して姿を消す。(それはそれで死にそう)」

本当に、どうすればよかったのか武井壮に教えて欲しい。
一般的に『熊に出会ったら死んだ振り』とか言うけど、それ、死んだ人にはもう体験談聞けないわけじゃないですか。生き残りにしかインタビューしてないから、『こうすれば助かる』みたいな話が生きてるけど、死んだ振りして死んじゃった残念な人も絶対いるはずだと思うんです。
だから、運良く生き延びたわたしが、あくまで役に立たない体験談として犬に襲われた際の『こうすれば助かる』を言うならば、『サポートカーに賭けろ』それしかないですね。
本当に、あのサポートカーの運転手を見つけ出して毎日バラの花束を送りつけたいぐらいです。ストーカー行為。

ていうか犬、足めっちゃ速いんですけど、そんなに走りたいんなら代わってくれよと思いました。ゼッケン渡すところでした。
わたしはと言えば、足は重く、全身だるく、夜も明けず、距離は積めず、何もかもがどうでもよく思えてきました。
あーあ。やっぱりつぶれたな〜。いつまでも元気に走れると思ってたけどやっぱつぶれるもんだな〜。よわあ。よわくておもしろいな〜。別にいいやもう。

眠気で、がんばる気力が激減していました。

ふらふらとエイドに着いてビンタを所望。
「スリーピー。ビンタビンタ。」
ビンタって英語じゃないんですね。頬を叩くジェスチャーでやっとわかってもらえました。でも、全然きついのくれない。なんかやさしく両手で「よしよし」みたいな、頬を包んで「Oh〜ハニ〜」みたいな。
ちっがう! と思って、
「ノー! マイルドビンタ、ノー!!」
ハードなやつくれって頼んだのですが、なんですか現代ってアメリカ以外も全世界的に訴訟社会だったりするんですか? 全然ハードに殴ってくれなくて、「ビンタっていうのはねえ! 1、2、3、ダー! に代表される、彼の名はイノキ、フェイマスレスラーインジャパン、もっと、バチコーンってやんだよバチコーンってよお!!」
ジャパンカルチャーを切々と訴えました。

195kmのエイドにわたしは帽子を預けていました。
エイドに着いたら、帽子をゲットして代わりにライトを預けよう。でも、そこでライトを外すためには、夜が明けるのを待たなくては。
「だから〜、いまはゆっくり行って〜、ちょうど明るくなる時刻に195kmに着いていればいいよ〜。無理せずね〜!」

別にライトなんてどこでだって預けられるのに、眠い脳がそれらしく出してきたアイディアに、「これは間違った考えだ」と気づけない。
それからペースはいきいきと遅くなり、まんまと、ダメな妙案通りにぴったり朝7時、195km着。
曇り空の切れ目にちょうどうっすら、朝日が滲む頃でした。