後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2016年1月7日木曜日

サンガス山ベース

眠くないことを確かめるように小刻みに足を動かしていると、幾人かに追い越されたうちのひとりが日本人の方でした。

「お疲れさまです。あの灯りがエイドですかね?」

カーブを重ねた奥に見え隠れする、橙の灯りに希望を馳せて尋ねました。

「ですかね。……眠くて。眠気は大丈夫ですか?」

今のところ、大丈夫です。
あ。もしよければ、「ビンタしましょっか?」

かつての長距離レースでは必ず睡魔に冒されて、フラフラになってしまう自分でした。
眠くなるとだれかれ構わずお願いをし、ビンタをかましてもらうのがわたしの定番のあがき方です。

眼鏡を外して目をつむり、ビンタ受け入れ態勢を作ったランナーの左頬に手を添え、
「いきますよ!」右頬ビタン!!
「大丈夫大丈夫よ!」
ビンタする側に初めて立ったわたしは、手のひらを刺した無精髭のザラザラに思わず悲鳴をあげそうになり、とっさに大丈夫を叫びました。レースの長さを思いました。

昨日のスタートから、そろそろ一昼夜。
皆にとってもきつい時間なんだ。
そう思うと、眠気に蛇行していた過去の辛苦がまざまざと思い出され、敬語も忘れて必死で呼びかけました。
「大丈夫! 行けるから! 大丈夫、大丈夫よ!」
ペースが落ちているのはむしろ自分で、大丈夫じゃないのは明らかにわたしのほうなのに、発動してしまった母性をわたしは止められずいました。上から目線でいたわりまくり、胸を痛めて、「がんばって、がんばって!」と背後から切なるエールの念を送り続けました。

着いた。

サンガス山の、マウンテンベース。
159、5km。
関門閉鎖時間までは……思い出せない、けれどまだ1時間半はあったように思う。

去年はリミット2分前に息も絶え絶えに飛び込んで、でも、「お姉ちゃんに手をひっぱってもらったから失格」って、物議を醸したなつかしのエイドです。
あああああああー! あー!!
言葉にならない思いが溢れます。

ここだ、このエイドだ。
覚えている覚えている。突然蘇った記憶のフラッシュバックを壊さぬようそっと、紙コップに手をかけました。
冷え過ぎたお水をひとくち、口に含んで顔を上げると、エイドの皆がわたしを見ていて、あれあれあれ、あの人もこの人も去年と同じ……、って、あっ!!
去年ひっぱってくれた、お姉ちゃん!!!

「おねえちゃあーん!」

名前がわからなくって、日本語で、おねえちゃん。
お姉ちゃん、また会えた…………。
給水テーブルの向こうで微笑む彼女と、長く固い抱擁を交わしている最中、頭の中では「今さっきテーブルの脚で脛を打った」とかそういう残念なあれこれがうごめいていて、せっかくの名場面に没入できません。

照れくさりやがってわたし、だけどとってもうれしいよ。

今年も、みんな、ここにいたんだね。

去年、失格反対派だった憐れみ深いおじさんも、失格推進派だった正しくいかめしいおじさんも、今年は揃って、ただあたたかいだけのねぎらいで、わたしの再チャレンジを見守ってくださいました。