後頭部ビジネス

若木くるみの後頭部を千円で販売する「後頭部ビジネス」。
若木の剃りあげた後頭部に、お客さんの似顔絵を描いて旅行にお連れしています。


*旅行券の販売は現在おおっぴらにはしていません。*

2016年1月8日金曜日

サンガス山トップ

サンガス山のベースからトップまでの一区間は2kmと短く、しかし本格的な山道に入るため、大会側の目安タイムは40分。比較的ゆるい設定です。
クリアできそうもない関門閉鎖と闘って涙目で嘔吐していた去年と比べ、今年は頂上エイドが、もう確実に見えています。

今年はしっかり、自分の力で登ること。
心拍数を上げすぎないこと。
それでいて体温は下げないこと。
捻挫しないこと。
吐かないこと。

ペースは気にしません。
貯金は多少減らしてでも、てっぺんに達することが最大の目標です。
次の右足、次の左足を置く場所を、慎重に見極めて歩きました。

途中で行き倒れスタッフの方に救護されたサンガス山を、今年は、自力で登っている。
ガシガシ駆け上がっていくトップランナーからしたら低レベルな話だけど、今は自力歩行の一瞬一瞬が大いなる成長でした。

行ける。

ベースエイドの顔ぶれが去年と同じだったこともあり、トップエイドも同じスタッフかな?  わたしは期待しました。
去年のお礼も伝えたい。一席ぶてるかな。

「去年」が「ラストイヤー」でしょ、「ヘルプ」を過去形にして……、それから、「ゼン」、「達する」はなんだろう、「リーチ」? 「コンプリート」?

頂上にはなかなか着かず、考える時間はたっぷりありました。
登りの時間をすべて英作に費やしたため、完成度は無駄に上がり、これから演説をぶちかますと思うと高揚感で体が火照って少しも寒くありません。

エイドの灯りが見えました。
ついにこの時が訪れました。
ってあれ? みんなの反応薄いけど、演説企画、大丈夫か…?
あの、ほら、わたし、わたしです……。

「ラストイヤー、アイ クドゥナット リーチ、ディスポイント……。アイ リタイアド、ディスポイント……!」

「ここ。ここでリタイアしたの」と、「ディスポイント」をジェスチャーつきで必死に表現すると、「何こいつ」と怪訝な顔をしていたスタッフの方々が次々「ああ、あいつか! うんうん!」と、うなづき始めました。

よし、伝わった! わたしもコクコクうなづいて、準備した文章を一から暗唱。

「Last year, a kind men helped me up the hill, and then I retired.
    But, now, I was able to climb this mountain, by myself.」

つたない発音、頼りない文法、たどたどしい抑揚。
しかしそれらの欠点はすべてプラスであって、完璧な間、完璧なスピーチ……!
「バイマイセルフ」の直前で、涙をひと筋こぼして言葉につまり、存分にタメてから声を震わせるなど、練り上げたパフォーマンスは自分自身にも周囲にも、十分すぎる効果をもたらしました。
わたし、わたし、自分の力で、ここまで来られました……。

テントの屋根を叩き始めた雨音を、かき消すような拍手と「ブラボー」の喝采。
感動は派生し、わたしの涙につられて瞳をうるませる女性陣に、男性陣がまたときめくという、ちょっとした集団催眠状態の出来上がりでした。

一言で表すなら、「幸福」です。
皆で共有する「いいね」の空間。
もう、今がクライマックスじゃん。これ以上なんてないじゃん。

ここで終わらせたい………。

ゴールまで80kmの道のりを残して、わたしは本来の目的を忘れかけていました。

何しに来たんだっけ? 完走だっけ? もう良くない? 完走よりさ、尊いものがあんじゃんね? ほら、おたのしみはちょっとずつにしてさあ。この続きはまた来年にしようよ。

自分に酔いしれて涙でかすんでいたライトの環が、「来年」のワードが出たところで急にビカッと強く光りました。

来年……?
今回完走できなきゃ、来年なんてねーよ!!

数あるスパルタスロンの参加条件をわたしは大抵満たしておらず、唯一、2年前の長距離レースの実績だけで今回出場できたのでした。
記録の有効期限は2年間。
来年以降もチャレンジするには、今回完走するか、さもなくば他の大会で資格を取り直すしかありません。
そんな気力はとてもない。
今回だめならあとはない。

厳しい現実を前にして、溢れた涙は引っ込んで、行きます、行きますとも、行かせてください!

「ここが一番テクニカルな区間よ、ここさえクリアすれば、あなたはきっとフィニッシュできる。ユーキャンドゥイ! ネバーギブアップ!」

スタッフの皆さまから励まされ、わたしはエイドに背を向けました。
臨界点を超えた感情をタプタプこぼしながら、坂道をあぶなっかしく下りたのでした。